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愛に生きる男の過去日記
4月12日『顧』〜5月20日『一』


 
 4月もそろそろ中旬に差し掛かってきて、年度更新にともなう様々な環境の変化にもどうにか順応し始めるころだろう。先日も徒歩3分の場所にあるダイヤモンドシティ・ソレイユで買い物をしていると会計中店員に「大学の人ですよねっっ!?」と声を掛けられたり。彼女はこの春ウチのデザイン科を卒業したのだとか。そのソレイユでは、時折BBSにも登場するtenも徘徊しとる模様。皆それぞれに、新生活が本格的にスタートしたというところか。

 さて私はと云ふと、昨秋論文を提出し損ねたため現在の学び舎での生活が遂に10年目に突入。入学したころはまさかこの山奥大学に10年も居ようとは、全く想像もしなかったものだ。
 今でこそ本学近くには広島高速4号線が開通し、市内とを結ぶバスも22時過ぎまであるもよう。私が入学した頃は大学前を出発するバスの最終は19時前だったハズだし、高速4号線のトンネルはおろか本部棟前から料金所前交差点、アストラムライン大塚駅へと走るメイン道路(「大学大路」と言うらしい)、その道路自体が無かった。 そのため図書館の閉館時間まで残っていると大塚駅へ向かう交通手段がなくなるという大学としては致命的とも言える弱点があったのだ。バスが無くなった後は当然徒歩で下山せざるを得なくなる。大学から文明社会の香りがするあたりまで下りる道は数本あるのだが、そのいずれにも街灯がマジで無い。 道の周囲が畑ならまだマシな方で、ルート選択によっては墓地の脇や鬱蒼とした茂みの中を進まなくてはならない。さらに大学の掲示板には『マムシに注意』とか書いてあるので、一体何をどう注意すればいいのかわからなかったが、ちょっとした肝試しのような風情だった。そんな風にして駅まで下り、そこからアストラムラインに乗ることになるので、市内に出るのに楽勝で1時間かかったものだ。それが今ではバスセンターまで最短で15分を切るとか。いやはや、時が経てば少しずつでも便利になっていくものだ。

 これだけではない。時が経てば様々なところが変わっていくものだ。大学自体にも色々あった。とある事件で新聞紙面を賑わしたこともあった。人も変わっていく。この9年間、大学にまつわる人脈だけでも本当に沢山の人と出会い、お世話になってきた。年齢・学年を問わず押並べて友人たちであったり、教職員の方々であったり。そして私自身にとっても、これまでの9年間とは決して短い時間ではない。感覚的には「あっという間」であったとしてもだ。

 私が学部を卒業して、満5年が経った。つまりこの5年間は、「後輩を送り出す3月」だった訳だ。昨年送り出した後輩たちは私が学部卒業・大学院入学した年の新入生なので、普通なら交わる機会は無い。現在の学部生に至っては、4年生でさえ義務教育ですらかぶっていない年齢差となる。
 あるとき後輩が「寂しかったりしないんですか?」と聞いてきたことがある。全く寂しくなんかないと言ったらそれは正しくないだろう。実際寂しいと感じることもあるのだが、それは「寂しい」というよりは、同級生や既に卒業した後輩たちとの思い出が「懐かしい」という感覚に近いかもしれない。だからと言って、過ぎし日の思い出に耽美的な妄想を抱くなどということは全く以て無い。彼らの学年の同窓会だというのに声を掛けて誘ってくれる後輩たち、部活を切り盛りしているみんな、酒を酌み交わしながらの語らい、悩み事をコソッと相談してくれたり。細々とした事すべてが、私にとって何事にも代え難いものとなっている。つくづく心から、自分は幸せ者だと思う。本当にみんな、ありがとう。
 こう言っても、私もまだまだ若い。色々と挫折感を味わうことは多いが、幸い自分に絶望はしていない。さー新年度、気合入れて行きましょうかね。
2004年04月12日 01時54分38秒


 

酒と女と歌を愛さぬは、生涯愚者でとおすもの。

―――――ルター
2004年04月15日 01時20分44秒


 
 自分が何をしでかしたのか分からないが、今朝起きたら上半身が右腕以外裸だった(悩)。何がどうなってこうなったのか皆目見当もつかないが、これがまだ「手首から先だけ服がひっかかっている」とかいう状態だったら、まだ何らかの理由で服が脱げていった過程だと推定も可能だろう。しかし右袖は、肩までしっかりと装着されている。その上にちゃんと布団もかぶっている。もー訳がわからん。みなさんも寝起きミラクル経験があったらBBSとかに書込んでくださいな。


 今日、おなじみのひげ車に男が3人、私の他にtenとたくやんが乗り込んだ。行き先は香川県。今回のドライブのテーマは『香川にラーメンを食べに行こう!』である。讃岐の国に行くのに、うどんではなく敢えてラーメンである。事の起こりは私が以前テレビか何かでみた「ねぎラーメン小山」なる店の話をtenにしたところ、彼が非常に良い喰い付きを見せたことによる。そこで今回彼の卒業旅行的な意味も含めて、有志を募って決行したのである。

 大学の後輩に香川県出身のさっPという男がいるのだが、彼もその店には行ったことがあるという。そのさっPから「店まで3、4時間ちゃいます?」とのアドバイスをもらっていたので、当日は9時にアジトひげ基地に集合ということにした。が、この予定は初っ端からつまづくことになる。 私は何やかんやした後普段よりやや遅めの3時ごろ眠りに就き、6時半に起床。寝る前2時半ごろだったか、他の2人に「寝坊したらゴメン」というメールを送っていた。起床後返信メールの有無を確認すると、一通、tenから返信が来ていた。曰く、


・件名:大丈夫

・本文:「俺も理由あって今から寝るけん(爆) ではまた」


 送信時間の欄の『4:53』という数字を見た瞬間、私は一抹の不安を覚えた。が、彼は以前にも深夜1時過ぎまで市内で一緒に飲み、それから帰宅したのち6時にはバイト先(西条)に到着なんてこともしていたし、このところも朝晩の時間もキッチリ守っているようなので、私はその不安を無理矢理杞憂に付した。
 前日たくやんから『五日市駅でten車がたくやんをピックアップ、ひげ基地へと向かう』という予定を聞いていたのだが、五日市駅からひげ基地への距離と土曜日とは言え朝のラッシュの時間帯に重なるため時間には余裕を持って動くのだろうと思っていた。しかし「2人が合流したら連絡します」というのに連絡が来ない。そこで8時19分、2人に「起きとる?」と、シンプルかつ根本的問題を確認するためのメールを送信した。するとたくやんからは即時に「起きてますよー」との返信が来たが、tenからの返信は来ない。たくやんに再度「まだ合流せんの?」とメールしたところ以下のような返信が来た。


・本文:「です(^_^; ちょっと俺が遅れたんですが、tenさんが置いていくとは思えんし…どうしたんでしょう?」


 先輩であるtenを信頼するたくやんの心意気に感銘を受けるのと同時に、私は昨夜のtenのメールの送信時間と彼が学生時代「寝坊人よりちょっと長めに寝ること」が得意だったことを思い出した。そこでたくやんにその旨通知しすぐに電話してみるよう促したところ、2通のメールが同時に着信した。


・送信者:たくやん
・本文:「大正解。」

・送信者:ten
・本文:「死んでました(^_^;


 大正解だったことに対しガッツポーズをするのがいいのか悔しがるべきなのか迷ったが、ともかくこうして我らの旅は1時間遅れでスタートすることとなった。とは言っても、計画が動き始めた当初は「10時ごろでええかねぇ」と話していた位なので、さしたる混乱もなく、景気付けにイベントが一つ起きたという感覚で賑やかしく出発した。
 それからというもの、道中は至って順調そのもの。初夏を思わせる陽気も相俟って非常に快適なドライブであった。基本的に往路は全編高速道路で行ったのだが、途中で寄ったサービスエリアで「明るいパールカラーの新型デミオにお年頃の娘さんが3人、ワイワイと楽しげに出発する」という光景を目にした。それにひきかえ我々は「十ン年前のプリメーラに男が3人、香川にラーメン食いに行く」というあまりの落差の大きさに挫けそうにもなったが、その都度3人で「いいじゃないか!俺らには俺らの熱さがあるんだ!!」と傷口に塩を塗り意気揚々と四国を目指し、瀬戸大橋を渡って香川県へと入った。

 そうこうしているうちに目的地である「ねぎラーメン小山」に到着したのだが、かかった時間は休憩を含めて3時間半。さっPの読みがドンピシャでハマり、tenの寝坊も「昼の混雑する時間帯を外す」という風にうまい具合に作用した。店に入ってカウンターにつき、「ねぎラーメン」を注文する。そして出てきたものがこちら。



 画像を見ればお分かりいただけると思うが、とにかくねぎ。店側の資料によると「9〜13cm」とのことだが、高さもそうだがやはり量がすごい。食べても食べてもなくならない。麺と絡めて食べても、麺の方が先になくなる。あっさり味のスープを飲み干すと、ようやく丼から緑色が消えるのだ。いかに本来は薬味、言わば脇役であるねぎでも、これだけ食べるとねぎで腹がふくれてしまい、食べている最中も「これは『ねぎラーメン』というよりは、むしろ『ラーメンねぎ』じゃなかろうか」との考えが脳裏をよぎった。確かに好みは分かれるだろうが、非常に個性的なラーメンだった。とりあえず広い意味で満足できた。

 往路は時間を稼ぐために高速道路をメインで採用したのだが、復路は経費節減のために有料区間は瀬戸大橋のみとし、本州に戻ってからは国道2号線をのんびり帰ることにした。往路で降りた坂出ICから瀬戸中央道に乗り、今度は早島ICで高速を降り、2号線に合流。倉敷、笠岡と進んで広島県に入った。
 福山市に入り時間も17時半すぎ、夕方のラッシュが始まりひげ車は渋滞に巻き込まれた。しかしこれもある程度予測していたことで、後部座席で眠りこけるtenをよそに、たくやんと他愛もない話をしながら福山駅前を過ぎたあたりのことだった。車によく乗る人なら分かると思うのだが、自分の車で、運転者だけが感覚的に感じる音や振動、抽象的になるがそういった“なにか”を感じたことがないだろうか。「それ」を感じた私は直感的に、ひげ車の水温計に目をやった。


上の針です。


 また?マジでか!?
 「カコニッキ」を見ていただけるとわかるのだがこのひげ車、水温計がらみのトラブルは初めてではない。昨年も、また一昨年もこのような状態になっており、これで都合3年連続である。慌てて窓を全開にし、排熱系への負荷を少しでも軽減するためにエアコンをオフにした。過去2回が真夏であったのに対し、今回は車の排気さえ我慢すれば窓全開でも快適に走れる季節だったことが不幸中の幸いだった。とりあえずコンビニでワンストップしてボンネット内を冷やし、そこから最寄のガソリンスタンドで様子を見てもらった。見るからにベテランげな店員さん2名がひげ車のフロントに立ち、ボンネットを開けて開口一番交わした会話は次の通り。


店員A:…嫌な臭いするねぇ
店員B:ああ、するねぇ
 私 :…それはボンネットの中で何か焼けよるってことっスか?
店員A:まぁ、そういうコトよね


 スタンドの店員が言うには「冷却水を足したからこの後すぐさま、ということはないが、開けた時に嫌な臭いがしていたから帰ったら必ず整備工場で診てもらうこと」とのことだった。一応オイルの量などもチェックし、「水温計を気にしながらのんびり走る」ということで再スタートを切った。当然のことながら車内は著しくブルーな空気に支配されかけていたが、そこをten主催の妙なゲームで異常な盛り上がりを見せ、かつその場でたくやんの新たな才能を私とtenとで目の当たりにした。 その後は特に異常も見られず、無事に帰ってこれて本当に良かった。最後に寄ったコンビニで、普通は取れちゃいけないハズのキー周りの部品が取れるとかいう事もあったが、まぁ、とりあえず今日は考えないことにしよう。まず明日、オイル&エレメント交換を兼ねて整備工場に持っていこう。車検が秋なのだが、その前に暑い夏が待ち構えている。むむむ。


2004年04月18日 00時57分48秒


 
 以前日記にもちょろっと書いたしご存知の方も多いと思うのだが、私はよく偏頭痛を起こす。いわゆる「頭痛持ち」というやつである。他にも頭痛持ちだという人に何人も会って来たが、痛みの出るキッカケ、痛みの質・程度、継続時間など各個々人で結構バラつきがあるもよう。

 私の場合は判断するポイントは『寝起き』。目覚めた時に頭痛(またはその兆候)があるか無いかを確かめる。無ければその日は時間が経っても頭痛に見舞われることはまず無く、逆に頭痛が出ていると程度の強弱にかかわらず夜まで痛みから解放されることは無い
 痛みの強度は大別して3種類。軽い方から『軽め』、『強め』、そして『極甚』である。『軽め』は痛みが「出る」というよりは後頭部にスッキリしない感じが「残り」、『強め』の時は後頭部から前頭葉に突き抜けるような痛みが眩暈とともに襲ってくる。
 『極甚』の場合、この痛みは言語に形容しがたい。 『極甚』のレベルで痛みが出ている時はもやは何処がどう痛いのかすらも分からない。目が覚める、と同時に思わず「……マジかぁ…(苦悩)」との断末魔が口から洩れる。この場合はまず起き上がれない。起き上がろうにも力が入らず、さらには余りの痛みに起き上がろうという気力すら萎える。何とか痛みから逃れようと二度寝を試みるも痛みで眠れない。意識も遠のかんばかりの痛みなのだが、その痛みは寝付いて意識を失うことすら阻害する。しばらく布団の中で悶えた後死力を尽して起き上がり、食欲なぞ全く無いのに無理やり何かを口にする。一応鎮痛剤を飲もうとするためである。ところが私の偏頭痛は、痛みの強弱に関係なく鎮痛剤は全く効果を示さない。 そのためここで服用する鎮痛剤も単なる気休めに過ぎない。
 そうこうしていると身体に力が入らなくなり、フラフラと彷徨うように再びベッドへと向かう。とりあえず横になるとすうっ…意識が遠のき始めるのだが、そうかと思うと耐え難い痛みに悶絶する。このせめぎ合いがしばらく続いた後、運が良ければ眠りにつける。この後もあまりの頭痛に目が覚めたり再び眠りについたりを繰り返しつつ、時間ばかり淡々と過ぎていく。そして日も暮れるころになると、ようやく起き上がってみようかという気になれる程度まで痛みが引き始めるのである。

 もーね、

マジでツライです(泣)。



 この頭痛、先日ちょっと気になる事があった。
 私の頭痛は「寝起きの時点でオンかオフかが決まる」「痛みは夜まで一定」という特徴があるのだが、先日は寝起き時点では特に痛みは感じなかった。が、大学へ向け自宅を出発する頃に「あれ?」という感じで痛みを感じ始め、大学に着いた時には明らかに「オン」に変わっていたのである。
 痛みの度合いも大学到着時はせいぜい『強め』であったのに、昼に近付くにつれ徐々に『極甚』に近付き始め、12時台は完全に『極甚』となっていた。その後もいったん『軽め』に落ち着いたかと思えば目を開けておくのもしんどいくらいの痛みに襲われたりと、「強度」が一定せず波形的に変わっていったのである。こんな症状はこれまで一度たりとも経験は無く、マジで気懸かりなんだが(悩)。
 思えば二十ン年前に交通事故で後頭部を強打、入院しており、それ以来私が頭痛を訴えるたびに祖母は「あんたぁ昔事故で頭打っとるんじゃけぇ、気を付けんさいよ」と言う。ホントに何かあったら恐いなぁと思う今日この頃。 精密検査ってどの位かかるもんなんだろう。
2004年04月24日 22時19分19秒


 
 
着物を脱ぐ女の眩ゆさは、
雲を貫く太陽のようだ。

―――――ロダン
2004年04月25日 17時47分04秒


 
 ふとPCのキーボードに目をやった。














一戸建てのようです。




 押せば夢がかなうのでしょうか(笑)。
2004年05月01日 13時59分03秒


 
 五月五日の子供の日、今季初めて野球を観に行った。場所は当然廣島市民球場、我らが廣島東洋カープと阪神タイガースとの一戦だった。GW最終日な上に前日までのグズついた天気も快晴に変わり、当然の如く球場は超満員、大入り袋が配られるほどであった。

 試合展開は廣島・黒田、阪神・井川という両チームのエースが先発、白熱した投手戦が予想された。しかし井川が早々に降板、黒田も大量リードを守りきれず終盤に追い付かれてマウンドを降りた。そして延長突入を覚悟していた9回裏代打で出塁した新井を1塁に置き、不振にあえぐ緒方がサヨナラ2ランを打つという劇的な幕切れとなった。去年の自分の観戦成績に思いを致す時、私にとって今年最初のゲームが、展開はともかく勝ちで終わったのは良かった。

 で、休日のデーゲームに欠かせないものとは何か。人それぞれだろうが、いくつか考え付くものを挙げてみようと思う。
 実用的なトコロで挙げると帽子や水筒とかが出てくるのだろうが、それらはともかくまずビール。 コレは絶対に外せない。白昼堂々と太陽を浴びながら飲むビールは最高のシチュエーションの一つに挙げられるだろう。デーゲームとビール、素晴らしい組合せだ。外野スタンドの場合は応援用のメガホン、ミニバットも欠かせない。となると、廣島市民球場の応援スタイルからするとタオルや着替えのシャツもあった方がいいだろう。ご存知のように廣島市民球場の外野スタンドで応援するには大声に耐え得る喉とスクワットに耐え得る脚力が必須となる。しかし逆説的に極論すると、自らにこの2点が備わっていると確信できれば他には何も要らないとも言える。要は廣島東洋カープを応援する熱き心があれば良いのだ。“お気に入りの選手がスタメンを外れたからと言って応援にテを抜く”など論外である。 相手選手に対して『オイオイどーしよるんならァ!ショボいドラフト逆指名じゃのォ!』や『ルーキーに市民球場の先発マウンドは早いんじゃないんかオラァ』などとヤジ愛あふれる叱咤激励も大事だが、やりすぎると周囲に引かれるので注意が必要かも。
 気が付けばセ・リーグで最も長く優勝から遠ざかったチームとなってしまっている廣島東洋カープ。今年こそ、と毎年思っているのは私だけではないはず(汗)。

 そんなわけで今回もまずビールから入ったデーゲームだが、ビールと同じくらい定番のものを買った。


ぶっかき氷です。


 カープうどんと同じくらい、野球観戦には欠かせない定番商品である。袋を開けて先が広がったストローでシャカシャカやりながら食べたのだが、ふと裏面の原材料などが記載されている欄を見た。その一番最初に記されていたものとは


異性化液糖


 でした。
 性転換の技術は我々の気付かないところで日常生活に浸透してきている模様です。
2004年05月09日 18時05分41秒


 
 
ある恋の終わりと別の恋の始まり、
この境界線はいつも判然とし難い。

―――――愛に生きる男
2004年05月12日 00時31分33秒


 
 お知らせです。

 長年にわたり「ひげ車」との愛称で親しまれてきた私のプリメーラですが、本日午前中をもちまして廃車処分となります。
 直接的な原因は先日日記にも書いた水温計の件。あれが起きる前までは、車検がこの秋に控えているのでそこまで乗り続け、あわよくば車検を通すという案が最有力でした。ですが香川からの帰りにああいうことになってしまい、その後も必要上から(当然距離・時間・速度を抑えて)乗り続けていたものの、それでも週に1回は針が半分より上に上がってこようとするという事態に直面し、やむなく代替となりました。この件については戦慄のツブヤキスト・タカユキによる日記でのいじられ方に少々カチンともきましたが、今にして思えば不可避的事態であったと思うほかありません。
 2001年の1月に中古で購入し、それからの3年3ヶ月で65000キロを走り切り、先月無事に10万キロを突破いたしました。

  


 この3年3ヶ月・65000キロの間、たくさんの人とたくさんの場所に行った想い出が思い起こされ、少々辛いです。
 初めて現ひげ車を運転した時の印象は「何だこりゃ!?」でした。というのも、現ひげ車は平成3年式・2000ccのプリメーラなのですが、その先代のひげ車も同じプリメーラ、平成4年式・1800ccでした。たった200ccの違いでこんなにも運転感覚が変わるのかという驚きと、ちょっと気を抜くとあらぬ方向へとスッ飛んで行きかねないジャジャ馬ぶりに戸惑ったものでした。しかし少しずつ着実に走行距離を重ねて行くにつれ車を分かってやることができ、今では未熟ながらもそれなりに満足のいく運転ができるようになっていたと思います。
 あの車については思うところがあり過ぎて、徒然に書き綴って行くと修士論文程度の文量なら余裕で超えてしまうので、後は自分の胸にしまっておこうと思います。私は普段から安物のカメラを持ち歩いて、日常の何気ない光景をパチリ、パチリと撮っているのですが、プロジェクト“ぎょうらく”などイベントごとがあった後で早く現像に出したい時などは『フィルムが余ったら車を撮る』という事にしていたので、ひげ車の写真は結構あるんじゃないかな、と思います。アルバムの最後の方に集中して(笑)。 残念なのは、写真を撮っているのが私自身なので、私とひげ車とが1フレームに収まっている写真が極端に少ないということです。先日第3回ぎょうらく花見でドン!』の時にはminちゃんが撮ってくれたりしましたが、そういったものしか無いんですよね、当然の話ですが。
 ともかくあのプリメーラには、本当に色々と助けられました。いろんな想い出が詰まった、本当に愛車でした。お疲れ様、ですね。




 さてこうなってくると「これから“ひげ車”の地位はどうなるのか」ということになりますが、今日の廃車と同時に、後継機が投入されます。変にもったいぶってもいずれ分かる事ですし、既に一部の人々には相当もったいぶっているので、ここらで公表しようと思います。

 まず車種は、現行型のデミオです。


 そしてカラーは、











まさかのハニーイエローです。



 ……。
 やってしまいました(笑)。 
 もともと黄色は好きな方だったんでいいんですけどね。非常に個性的な、ニクイ奴です。

 皆様今後とも『愛に生きる男』と新ひげ車『愛に生きるデミ』をよろしくお願いします。
2004年05月15日 09時40分32秒


 
実は本日、密かに


サイト公開一周年


だったりします。
2004年05月20日 00時11分56秒







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