愛に生きる男の過去日記
2010年1月4日『誕』〜2010年4月22日『焦』








ハッピーバースデー、俺。




 大物もしくは変人(こっちが主)揃いの1月4日、negi、しの、ten、イチ、がみちゃん、亮、ぼんちゃんのパパ、そのほかみんなおめでとう。  

2010年01月04日 00時00分01秒






“ウシとの遭遇”


 こんばんは、いまだに新年の講義が始まっていない「愛に生きる男」であります。以前もここで触れましたが、講義が無いと時間ができるのはいいんですが、講義の数と収入の額とが直結する契約ゆえそう喜んでもいられない状況でもあります。何とかしないとなあ…。


 反動が怖くてあまり認めたくないのだが、今とても安定している。色々と表現の仕方はあると思うのだが、これが一番しっくり来るような気がする。もちろん、今なお膝が猛烈に痛いとか左目があまり見えていないなどといった物理的な面の不調はもはや予定調和と化している。それ以外の部分、端的に言うと情緒の面で近年にない安らぎを感じられているのだ。

 “反動が怖くて認めたくない”というのは、それが自分一人で現出したものではないため。その意味では臆病であり、一歩の踏み出しがイマイチ鈍い私の特質がいかんなく発揮されていると言える。しかしリスクを取らずして果実を手にすることも叶うものではなく、その意味では今はとても良い時期に来ているのではと感じられるのだ。

 さて、さて。  

2010年01月13日 23時13分39秒







 こんばんは、ついに電子辞書を購入した「愛に生きる男」であります。これまで「辞書は紙で」という思いが強かったんですが、いっぺん使ってみたところあまりに簡便さに目を見張りました。辞書だけじゃなくて広辞苑や百科事典、その他の便利ツールも入ってるので、少々値は張りますが費用対効果で考えると納得できると判断しました。


 このところ、久しぶりに“旅行”に行ってみたくなっている。普段から遠出はする方なのだが、一日あたりの航行距離が尋常じゃないので、少々の場所では日帰りで済んでしまうのだ。だが“済んでしまう”とは言うものの、一日で400kmを超えたりするとさすがに疲れもする訳で、翌日が平日の場合は少々気も使う。日帰り圏内はだいぶ走り回ったが、そこから少し外れるあたりにも行ってみたい場所はたくさんある。そう考えると、一泊ぐらいでのんびり旅行するのもいいなあと思い始めたのだ。

 どうも公共交通機関での旅行に慣れておらず、得意の道中での“寄り道”をするためにも、移動には車を使うだろう。温泉地などに宿だけを予約して行くか、泊まる場所すらも未定のまま出発するか、まあその辺りもざっくり自由な感じでいいかなと思う。時期と行き先を考えながら、何をどう見て回るか。それを考える過程も、既に旅行が始まっていると言えるだろう。

 普段は中国五県を走り回っているが、どの辺まで足を伸ばすか。ただ車で行くなら、四国・九州は高速なり架橋なりを使うことになるので、必然的に移動そのものの時間が多くかかってしまう。そうした地域に行くなら新幹線など、車で行くなら中国地方に限って考えた方がいいかなとも思う。中国地方は勢力範囲内とは言え、県外に出るとやはり“目的地に行って、帰る”という傾向が強くなってくる。一泊にして行程に余裕を持たせると、そうした比較的遠い場所でも、気ままに寄り道をしながらのんびりと走ることができるだろう。

 さあ、どこに行こっかな。  

2010年01月30日 15時51分37秒







 こんばんは、気が付けばまた10日以上更新間隔が空いてしまった「愛に生きる男」であります。2月上旬がすっかり終わってしまった訳ですが、何かと忙しくバタバタしているうちに更新が後手後手になってしまいました。まあアレですよ、貧乏暇なしですから。


 ああしかし、こうやって筆を執ってみたところで、どうも先へと話が進まない。比較的ネタ話題に事欠かない日々を送っているはずなのだが、いざ書こうと思うとどうにも。「伝説のプリン&黄金のプリン」を食べに行ったとか、わざわざ饅頭たべに吉舎まで行ったとか、釣りに行ったものの強風でそれどころじゃなかったとか、バーでの会計の時に思わぬ金額にビビッたとか、コソコソ活動はしている。もちろんこれが全てではなく、その他にも面白い事はあったのだが。

 なのに“筆が進まない”のは、私自身が消化しきれていない部分が大きいという事があるだろう。“消化”と書くと一見「受け入れる」や「納得する」といった様な印象も与えかねないが、決してマイナスのイメージでの話ではなく、日常全体の中での処理する余裕が確保できていないという事のように思う。

 オーバーフロー気味の日常の中でのひとときの安らぎ、敢えて“処理”せず置いておくのも良いのかも。  

2010年02月10日 21時56分14秒



自分は愛されている、と思っている女は
いつも魅力があるものだ。
―――――伊藤整
2010年02月18日 11時34分23秒







 こんばんは、相変わらずバカな「愛に生きる男」であります。ちゃんと更新を心掛けねばと思っていた矢先、まさかの1ヵ月近くのブランクと相成りまして、恐縮している次第です。“更新なんてあくまで任意だし大目に見て”等の言い訳もできんこともないですが、そうするとこれまで何年も積み上げてきたものが無になってしまいそうな気がしているので、気楽さを忘れず心掛けも大事に頑張っていこうと思います。


 しかし体調が悪い。別にこの不調で更新をサボッていた訳ではないのだが、今回の体調不良は中々に厄介である。膝や腰が痛いのはもはや予定調和であるし、頭痛はこの冬はそんなにひどくなく乗り切れたと思う。つまりこれらの相手であれば、最早手慣れたものなのだが、今回のものは今までに私が経験したことのない症状であり、それゆえに対処法に窮しているところである。

 無用の混乱を避けるために詳述は避けざるを得ないが、この症状が続くことが私にとって大きな精神的負担となっている事は確かである。身体の不調と精神的負担が同時に発生すると、その負の輪廻から抜け出すのはなかなか容易ではない。何かきっかけが必要なのだ。

 対応は色々と考えられるのだが、どれも今一つ、踏み切るまでに至らない。むしろその方法に依存してしまった場合、期待したほどの効果・改善が見られなかった場合に更なる負担となって跳ね返ってくることも予想される。そうしたリスクが、自然と行動を抑止していると言えるだろう。だからと言ってこのままでは、ジリ貧となって状態が改善するとは思えない。

 要はその“一歩”を踏み出すか否かだ。  

2010年03月16日 00時37分29秒







 まあ、十日なんでね。こんばんは、ついに今年の目標を立てた「愛に生きる男」であります。ってもアレですよ、カタチだけですから。初夏には涼しい顔してスルーしてるのが関の山です。


 今週は大学の卒業式があり、私も大学へと赴いた。生憎の空模様もあって、必ずしも会いたい後輩の全てに御祝を言えた訳ではないが、気持ちは伝わったんじゃないかなと思う。一期一会の世の中で、これが今生の別れになる友人もいるかもしれないが、生きていれば再会も全無ではないはず。

 後輩たちに、私なりに伝えたい事や話したい事はあったのだが、当日の芋の子を洗うような騒ぎの中ではそうじっくりと話し込むこともできず、また前述のようにみんなに会えた訳でもないし。
 かといって、本来このHPでは様々な事を赤裸々に綴っては来たが、本当に大切にしている事は自らの言葉で語りかけようとも努めてきた。なので機会に恵まれなかったからと言って、この場を借りて滔々と語るような事はすまいと思っている。一対一でも多対一でも、顔を向き合わせて話したい事というのがあるのだ。私風情がと偉そうに聞こえるかもしれないが、私なりに言葉を大事にしたいと考えているためである。それに、何と言うか、気持ちを乗せることができるとも思う。

 だから、この日に話せなかった言葉は、この次、会える日までとっておこうと思う。

 おめでとう!   

2010年03月26日 22時48分46秒







 こんばんは、早くも今年の目標を見失いかけている「愛に生きる男」であります。昨日は今季初戦のマツダスタジアム。が、カープは負けるし雨は降って寒いしで大変でした。


 今日は4月1日、すなわちエイプリルフールなのだが、別にこれと言って大きな嘘をついたという事はなく、むしろ平々凡々な日常を過ごした。それが不満という訳ではなく、まさに淡々と過ごした、という印象である。

 時々思うのが、この「淡々と」というヤツが曲者で、「ありふれた日常」というものを時としてひどく退屈であるかのような脚色をすることがあるのだ。それが不要な焦りをもたらし、巡り巡って全体のリズムを崩していく。そうした事が往々にして起こるのだ、少なくとも私の場合は。こうしている今も、デスクの上の書類にふと目が行き、一瞬のうちにそれらをどう処理していくかを考え始め、数分間この日記をタイプしていく指が止まる。別に大した話ではないが、積もり積もれば結構なロスにもなる。

 数年前の私であれば、何とかこのリズムの乱れを自律的に解消すべく何らかの手立てを講じたのだろうが、最近はどうもそういう無駄な動き方向には動かないような傾向を見せている。余裕を持って対処するほどゆとりのある方ではないハズなのだが、結果としてなんとなく巧く回っているようなので、今のところこの変化も由無しとはしないものなのだろう。これが数年後にどう転ぶかは、その時にならないと分からないし。

 だからと言って、長期射程の像を忘れてはならないのは言うまでもないだろう。
 なぜ敢えて今、このタイミングでこう言うかというと、淡々と対処することで日々を送っている自分に対する危機感があるからである。自らの戒めとして、日々を“こなす”という事はすまいと常々思っている。上述の「淡々」が「こなす」につながりかねない、そうした危機感が漠然とした不安を呼んでいるのである。

 新年度、一層気を引き締めてかからねば。   

2010年04月01日 22時08分37秒



およそ哲学というものは、
常識をわかりにくい言葉で表現したものにすぎない。
―――――ゲーテ
2010年04月09日 00時15分25秒







 こんばんは、禁酒中の「愛に生きる男」であります。嘘です、飲んでます。


 ここ数年、この時期になると必ずと言っていいほど“焦り”に似たものを感じる。恐らくは春という季節に関係しており、それは特に4月の持つ「始まりの時」という性格が大きく影響していると考えられる。大学にうっかり11年も在籍した挙句、現在でも定期的に通っている関係上、多くの友人・後輩に恵まれてきた。

 もちろん良き仲間に恵まれてきたのは大学と関係ない所でも然りなのだが、大学では「卒業」「入学」という行事が巡り来るため、特に3月・4月にまつわる行事が印象的なものと映る。今年も多くの後輩が大学から巣立ち、また多くの後輩が入学してきた。彼らはみな一様に、期待と不安が入り混じりつつも、新たな環境に身を置いて一歩を踏み出したのである。

 こうした事と対比しての、“焦り”である。動態を失ってはならないと感じてはいるものの、それをうまく打開できずにいる自分への焦りと苛立ちの感情が鬱積しつつある。守りに入ってはならないと感じつつも、焦りが募るほど失敗への懸念から易きへ流れ、結局また動きが鈍る。

 失敗したところで失うものはこれと言ってなく、失敗もまた経験となる。そう考えれば何をするにも怖気づいている場合ではなく、後輩たちにもそう語ってきたはず。ならば彼らに対し恥ずかしい思いをすることの無いよう、度胸と決意と開き直りとを持って前に進まねば。そう思う4月である。  

2010年04月22日 22時33分32秒






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