愛に生きる男の過去日記
2009年10月3日『伸』〜2009年12月31日『瀬』






月下美人が咲きました。


 こんばんは、先月の連休を指して「シルバーウィーク」と称することを連休直前に知った「愛に生きる男」であります。五月のゴールデンウィークにちなんでシルバーなのか、敬老の日が絡んでるからシルバーなのか、その辺はよく分からずじまいですが。


 講義に行っている専門学校が、今週から後期に入った。それに伴って私の授業も再開されたのだが、今年は昨年までと様子が違う。学校法人のコース改編の関係でこれまでメインに教えていたコースが消滅、その分の授業が後期からスッポリと無くなったのだ。結果、今期からは社会人の皆さんには反応が恐ろしくて言えないようなスケジュールでの時間割になっているのである。

 ではこのスケジュール変更が、どういった形で私の生活に変化をもたらすのか。結論から言えば、恐らく状態そのものとしては大きな変化はない。“恐らく”とあるようにあくまで推測の域を脱していないのだが、もともと「時間を拘束される仕事は比較的少ないが、やらなければならない仕事は山ほどある」という生活であることがその根拠である。加えて現在教えている科目はいずれも今期が初めての授業であり、毎回教案の練り直しと準備に追われている。故に「大きな変化なし」との見解に至ったのである。

 しかし一方で、事実関係として「時間を拘束される仕事」である授業数が激減した事は、私を取り巻く状況が動いているという事を指し示すことである。で、あるならば、そこに直接的に由来する変化は小さくとも、そこをきっかけにより大きな状況の転換へとつながる可能性があるということでもある。「やることは山ほどある」とは言うものの、それらの事々にどう優先順位をつけ、どう当たっていくか、この点の自由度は飛躍的に高まったと言えるだろう。それはすなわち、自らの意思に則した形で周辺状況を把握・調整できる状態になったということであり、それを主導する自らの意思の強さが問われる局面に入ったということでもある。

 伸るか、反るかだ。  

2009年10月03日 23時14分23秒



年齢は重ねても、気持ちが老いてはならない。
老いればすぐに出し抜かれる。
常に進取の気概を持つべし。
―――――愛に生きる男
2009年10月16日 11時11分33秒



人間の行動にも潮時がある。
満潮に乗じて事を行えば、首尾よく運ぶ。
―――――シェイクスピア
2009年10月31日 21時15分24秒







 こんばんは、髪を切ってスッキリした「愛に生きる男」であります。前回切ったのは8月アタマなので、3ヶ月ですね。今月と来月はイベントが多いので、気合入れて行こうと思います。


 先日、後輩から「あのー、唐突なんですけど…」と切り出された話がコチラ。




「コスプレの撮影ってやってます??」


 ってオイ(笑)。
 なんでも彼女の妹がいわゆる“レイヤー”だそうで、ソレ系のイベントに撮影に来るカメラマンが居るとのこと。そのカメラマンの周囲からの呼び名(○○さん的なやつ)や風貌が私に酷似しており、共通点があまりにも多いのだという。年齢だけ、私よりもそのカメラマンの方が上らしく、「まーあの人年齢不詳だし」とスルーしてその点だけが気になってはいた、という事だった。


 うむ…、




 バレちゃあしょうがねえ。
 いや、そんな事実は無いです(笑)。
 今までそういう撮影会的なモノに参加したことはなく、残念ながら人違いだろう。いや「だろう」じゃなくて人違いである。「写真を撮る人」と聞いて私を連想してくれたのは嬉しかったが。そういえば最近では、別の後輩から「卒業アルバム用のサークルの写真が要るんですけど、ぜひ撮ってほしいんですけどいいですか」との打診もあったところ。何と言うか、嬉しいね。  

2009年11月09日 19時19分04秒







 こんばんは、「週1更新」はあくまで努力目標だと主張し続ける「愛に生きる男」であります。まーね、更新そのものが目的ではないし、それが義務になって重荷になっていっては本末転倒だしね。更新を楽しみにしているという奇特な方がいらっしゃいましたら、これからも末長くお待ちください。


 つい先ほど、比較的長めの日記を書いたものの、いったん消して書き直しているところである。内容に不満があった等という訳ではなく、敢えて言うなら「気が乗らなかった」のである。内容については「思うまま」が基本線であり、故に気に入ろうが入るまいがそれはその時の自分の状態を反映したものであるため、これまでもそのまま書き綴ってきた。つまり内容云々ではなく、今回は本当に単に気が乗らなかっただけ。また時機がくればアップしようと思っているところである。

 この「気が乗らない」という現象、これまでにも結構あったりする。傾向としてはちょっと小難しいことを書いていて自分でも収拾がつかなくなった明快な結論を導き出すに至らなかった時などに、そのまま論述を続行するのに飽きてしまって中断することが多い。随筆的につらつらと書いている時に多いのだが、まあたまにはそういう事だってある。今も既に、こうして数行書いてきたものの、ここまでとは別の内容の文章を書こうかなーと思い始めたところであって、そういった時にも“一時保留”のような扱いになることもある。

 という具合にとりとめもなく、支離滅裂になる事も多いが、別に一つのテーマにこだわった日記を連ねている訳ではないので、これも一つのカタチとして捉えていただけると有難い。少々格好つけて言うとロードムービー的だが、その時々の頭の中や気持ちの動きを反映したものであるので。

 ああ、変な日記だ(笑)。  

2009年11月22日 22時27分52秒



恋する少女は常よりも美し。
―――――田山花袋
2009年11月30日 22時34分39秒







 こんばんは、このところ体調がすこぶる悪い「愛に生きる男」であります。症状は風邪に似ているものの、発熱がある訳でもなく、全体的に身体のだるさが続いております。それに加えて目や鼻がむずむずする感覚と、それに付随して寝付きが浅くなっており、普段から短時間睡眠の私にとってはジワジワと効いてきているところです。原因として有力なのが「牛乳の呪い」。今度フルパワーでブッ飛ばしてやろうと思います。


 自分の立場、もとい“立ち位置”という表現の方が適切かもしれないが、自らの立居振舞について思うところを少々。何も急に思い立った訳ではなく、結構昔から考えていた事を改めて。友人や後輩に直接話したことはあっても、文字で表すのは恐らく初めてだろう。
 私に限らず誰も、単一の行動指針を以てその人の所作の全てを語り尽くし説明しきれるというものではない。故にこれから述べんとするところは、あくまで「特に留意しているもの」という事になる。意識の中での話になるため、如何せん、抽象的な内容になることは前もって御容赦願いたい。

 「リーダーシップ」という言葉は、普段の生活の中でも比較的耳にすることが多いと思う。この言葉からは「率先した行動」「メンバーに対する統率・牽引」「人望」などが、想起されるイメージとして挙げられるだろう。そしてこれらのイメージは、表現がやや妥当ではないかもしれないが、自らに対して問い掛けた際には資質としてカリスマ的な少々“敷居が高い”ものと映る。リーダーシップのある人物とは人望があり、率先して行動し、強力な統率力を発揮する人物である、といった具合である。ゆえにリーダーとは、こうした才能を備えた、ある種限られた人にのみ適用される特別な呼称であると見做されることがあり、「自分はリーダーの器じゃないから、」等のかたちで表れてくる。乱暴な定義ではあるが、由無いものではないだろう。(念のために付記するが、これらの言説を避けるべき“良くないもの”ととらえている訳ではない。)

 この「リーダーシップ」に対し、現在の私は「フォロワーシップ」という言葉を重視している。とかく団体・集団での行動になると、「リーダー」にその責任が集中しがちである。その際にあって、自分たちが推戴したリーダーを積極的に支え、彼らがより効果的に動けるために何をすべきかを念頭に置いた行動を心掛ける。そうした気配りや配慮は本来なされて然るべきものと思われるが、敢えて意識して動かなければ、恰も水が低きへ流れるが如く容易に欠落してしまうもの。ゆえに「フォロワー」としての自意識を明確にし、行動することは、人間が社会的動物である限り非常に有用なものであると思われる。ざっくり言うなら、仲間としての積極的な意識を持つ、といったところだろうか。

 さらに自らの思うところに関して更に踏み込むと、この「フォロワー」である事は、包括的に見ると「リーダーシップ」にもつながる所が大きいと思われる。リーダーが全てを背負うのではなく、あるいはいくら優秀なリーダーであっても、それはフォロワーがあってこそというもの。互恵という言葉では十分に意図を説明しきれないが、リーダーとフォロワーが一体となって初めて全力で衝に当れるというものである。故にフォロワーとは言え、リーダーと同等の責任感を以て自らを律する努力があって然るべきだろう。


 斯様な事を考えながら、日々を過ごしている。念のため付言すると、ここで述べた事は、あくまで私の自意識としてのテーマである。なので所々で出てくる「…べき」「…というもの」といった断定的な表現についても、あくまで私が私自身に対して確認している意識の問題であり、これを目にした人たちに強いて求める資質のようなものではない。自らの思うところを他人に押し付けるのは本意ではないし、価値観は多様であって然るべきだろう。その多種多様な価値観がある集団として集まり、色が重なって新たな彩りを増していくのが、コミュニティ規模で事を為すことの利点であり醍醐味だろう。その潤滑油として、積極的に良きフォロワーとして在ろうと思う。  

2009年12月10日 22時55分05秒







 こんばんは、先週の時点で早くも本年中の全講義が終了した「愛に生きる男」であります。再開は1月の中旬からなので、大雑把に見て約1ヵ月の休暇に突入したことになります。一見ハッピーな様ですが、講義が無いという事は収入もそれだけ減るという事。また金の入らない仕事は山ほどあるので、時間的にもそんなにゆとりはなかったり。ま、こんなもんですよね。


 今年もあと10日となったが、目下のところ忘年会のオンパレード中。上述の様に早々に休暇に入ってしまうような勤務形態のため、懐と肝臓によくない日々が続いているところである。毎週のように様々な集まりにお呼ばれして行くものの、色っぽい展開の気配すら見えないあたりは、もはや見事と言うべきだろう。いや、寂しくなんかないぞ。うん、うん。

 そんな中、今日が21日なのでクリスマなんとかという国民的なお祭りウィークに突入している訳だが、私には特に関係の無い話である事は論を待たない。手に手を取って街へと繰り出すイチャ男&イチャ子どもカプールたちを尻目に、資料検索に奔走する予定である。公文書館等が年末年始の休館期間に入る前に、必要な資料を集めておこうという目論見なのだが、対象となる資料のリストアップと整理も済んでいない状況で、どこまで追い込み切れるかは未知数。“頼まれ仕事”なのだが、それ故に気楽なところと責任を持って進めなければならない部分とがあるため、クライアントとの綿密な打ち合わせが必要とされる。私の残念な英語力のせいで意思疎通に一手間二手間が余計にかかってしまっているが、気合で乗り切るしかないなあと気が乗らない四苦八苦しながら頑張ろうと思う今日この頃。

 当面の課題と長期的展望との葛藤に苛まれつつ、細々と頑張っております。  

2009年12月21日 15時59分37秒



クリスマス?食べられるのかい、それ?
―――――愛に生きる男
2009年12月24日 19時07分26秒







 こんにちは、今年もまだ年賀状を書いてない「愛に生きる男」であります。昨夜は恒例の、大学同期の忘年会でした。人数では史上最少を記録してしまったものの、小ぢんまりと、かえって濃く過ごすことができました。こういうのもアリですね。毎年来てくれる友人たちに感謝です。


 2009年も大晦日。私の部屋ではいまだに扇風機が出ているのも、もはやお馴染みの光景である。そんな風にいつもと変わらない年末を迎えているが、今朝からの雪が“いつもと違う”雰囲気を醸し出してくれている。まずは扇風機を片付けて、その他の片付けにも取り掛からねば。

 扇風機が出しっぱなしになっているのがお馴染みの光景なら、この時期に一年の総括をして最終的に総括しきれずに終わるという展開も然り。色々と思うところは多いのだが、一年一年がそれなりに特別に過ぎていくという感じだろうか。単調なように感じられることもあったが、顧みれば示唆となる事も多く、あっという間に過ぎた一年だった。

 それらの示唆をどう活かすかが来年へ向けての課題なのだが、十分に消化しきれていない部分が多い。どの場面で、どういう方向で、どう展開させるのか。
 これらの点を明確にするには、己がどのような展望を以て物語を語るのかが大きな意味を持つ。換言すれば中・長期の展望を持つことと表現できるだろう。眼前の問題への対応や超長期の遠大な風景を語ることはできても、実現可能な現実的距離感にある将来への視野に乏しいことが、私の抱える大きな問題である。自己認識としてこの問題を捉えている事は、まさに現実的距離感にある将来に向けて大きな鍵になるのだが、同時に自己矛盾の基点ともなっており、言うなれば“諸刃の剣”である。

 だがいかに諸刃の剣と言えども、道具は道具。使い手の力量が問われる場面でもある。すなわち、周囲の状況の分析も肝要だが、最終的には自分が動かねば事態は展開しない。受けて立つしかないのだ。


 みなさん良いお年を。  

2009年12月31日 12時14分50秒






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