愛に生きる男の過去日記
2009年3月30日『抱』〜2009年6月19日『曰』







 こんばんは、最近ひいたおみくじで健康・体調に関して「無理をするな、身体をいたわれ」的なことが書かれていた「愛に生きる男」であります。手始めに、まずは26時までに寝るように心がけようと思います。するとそれまでに仕事のメドを立ててしまわなきゃいけないって事だよなー…。


 3月も終わりを迎え、明後日には新年度がスタートする。ここで激動だった2008年度の総括をさらっとスルーして、来るべき2009年度についての展望をしてみようと思う。

 まず議論の出発点となる今年の抱負だが、特にない。いや、何も日々を無為に浪費するという訳ではなく、“大目標”のようなものはちゃんと設定している。しかしこれは中長期的なもので大きく言うと「人生のうえで、」のような意味合いが付与されてくるものであるため、ここで云々しようとしている抱負的サムシングとは少しく趣が異なるのでそこに触れるのは見送ろうと思う。要するに、何もないところに如何に肉付けをしていくかが今回の日記のテーマなのである。そのため議論は必然的に自己内部の思索の過程、簡単にいえば独り言の積み重ねのためそこらの凡人には理解できまい、抽象的な議論にフワッとした解釈が重ねられ行くといういかにも掴みどころのない話になるだろう。

 「あまり具体的な目標・抱負を掲げてしまうと、行動がその枠組みによって制約されてしまう。」私が自分についてあまり具体的な事柄を表明しないのは、この点に因るところが大きい。しかし具体的目的の伴わない行動はただの惰性であり、積極的な生を送る上では、無駄とは言わないが“もったいない”という認識も持っている。故に自分なりに取捨選択を行いつつ、機をみて逸せざるように日々留意し続けてもいる。それなのに自己にまつわる様々な局面に於いて納得が行かない、腑に落ちない事があまりにも多いのは何故か。
 それは恐らく、「決意」の欠如であろう。「選択と集中」というフレーズはよく耳にするキーワードであるが、眼前に示された選択肢の中から1つを選択し、そこに全力を傾注する。自己を取り囲む「状況」を、自己と一体化した「行動」化していく過程とも言えよう。状況に対し能動的な作用を間断なく継続し、新たな局面を切り拓く過程である。
 一般的に、こうした「選択と集中」は、その標的となった部分から外れたものを少なからず犠牲にすると見做されているように思う。私自身もそういった印象を持っているためであろう、選択のタイミングでの躊躇、すなわち決意の欠如が感じられる、ということである。決意が不確かなものであれば当然切っ先も鈍り、犠牲を払ってまで集中したはずの果実も十分に得られないという瑣末な結果に終わることになる。この悪循環こそが、最も陥りやすく、また警戒しなければならない罠と言えるだろう。
 ここで「展望」というテーマに立ち戻ると、この「決意」という部分に対する姿勢をより先鋭化させるというものが必然的に議論の俎上に上がってくる。もとよりこうした形式ばった議論を展開するまでもなく、内在する意識の中に意識し続けてきた課題でもある。それを敢えてこの場に乗せる点で自らの止揚を促すのが、新年度への抱負となり得るだろう。

 そして今年は、いくつかテロを仕掛ける。こちらも乞うご期待、そして警戒もお忘れなく(笑)。  

2009年03月30日 20時34分45秒



恋に狂うとは、言葉が重複している。
恋とは既に狂気なのだ。
―――――ハイネ
2009年04月06日 20時15分27秒







 こんばんは、いよいよ本格的に今期の講義がスタートした「愛に生きる男」であります。今期から新しい科目を1つ担当することになったんですが、使用するテキストが「版が変わりました」との理由で直前になって約4倍の厚みになるというハプニングにも見舞われ、目下のところ講義の準備に大わらわです。ふう…(苦笑)。


 先日、ブログを1つ閉鎖した。ブログと言っても大きく公開していた訳ではなく、ごく秘密裏に書き進めていたもの。色々と環境が変わってきたため、関係者間で検討を重ねた結果、今回の決定となった。何もトラブルや“後ろ向き”の閉鎖ではなく、純粋に“閉じた”だけである。

 今回閉じたブログは、言うなれば「往復書簡」の様なもの。ブログを用いた交換日記と言う事もできるだろう。ただ日記を交換していくだけではなく、そこには二つのルールがあった。一つは「相手に質問をする」、いま一つは「相手からの質問に答える」。更新の前半でまず質問に答え、後半を相手への質問でしめくくる、という形式だった。
 ここで提示される「質問」は、基本的に分野は問わないもので、余りに公序良俗に反するものを避けるのは、言わずもがなの“良識”と言えよう。政治経済や歴史、時事・社会問題、ブーム、音楽、はては酒や恋愛など、まさしく議論は多種多方面にわたっていた。
 またこの質問には「真剣に答える」というのが原則となっており、「適当にかわす」は許されず、何らかの形で一定の結論を提示することが要求される。故に更新間隔は開きがちになるが、真剣な議論であるがゆえに、それは恰も楽しみにしている小説の続きを待つかのような心境でもあった。

 先にも述べたが、今回の閉鎖は、決して後ろ向きのものではない。お互いが「一区切りついた」と判断した上で下した結論であり、極論すれば閉鎖には大きな意味はない。そもそもスタート時も単なるノリで始めたものである。ならば終わりも、特に感傷的になる必要もないだろう。硬派の議論はもちろん、くだらないテーマでも真剣に議論するというのは非常に興味深く、大変でもあったが、それゆえに病み付きになってしまう魅力的なものだった。
 これまでの感謝を表して閉鎖の作業を進めるとともに、またこうした場が持てればなあと思う今日この頃である。 

2009年04月16日 21時50分44秒



哲学は元来批判の学であり、
疑いをその発端に持つ。
―――――唐木順三
2009年04月25日 23時50分51秒







 こんばんは、グラつく机にストレスがたまっている「愛に生きる男」であります。ノートに書き込みをしたり、PCを出してキーを叩いたり。自室の机の用途と言えば主なものはこのくらいだと思いますが、それをするだけでグラグラに揺れてくる机。ブラインドタッチも乱れる程だし、もはや机としての性能を欠損しているとしか言い様が無いだろ…。


 不意に、他人に自分の心の内を伝えるのには、なんとも言い難い苦労が伴うものだと思った。

 普段から「告白とかは、自分からしたい」と公言しているが、一方では色々と物事を考え込み逡巡するあまり決断が遅きに失することもしばしば。当然実態としては後者の方が多いので、議論の中心も自然とこちら側に寄ってくるものである。それが積もり積もって、色々と面倒くさい葛藤を自己の中で演じる羽目になるのだ。

 基本的に臆病で小心者な事もあるが、何らかの決断を下す際にはできる限り慎重に検討を重ねることにしている。それが「遅きに失する」の一因でもあるのだが、無鉄砲に突き進んで足元が覚束無くなるのとどちらが優れているか。慎重さも一長一短ではあるが、それを選択するのも由無しとはしないだろう。
 その検討を巡らせる場合、冒頭に「心の内を伝える」と記しているが、「現状に対するテーゼ」という観点が一定の地位を占めていると言える。「現状」が極めて良好である場合、その状態を一定程度変更しようという試みが為されるなら、結果に対しては好悪両方の予測が立つ。好転する場合は大きな問題は無いものの、現状から悪化へと作用する場合はやや複雑である。その最たるものが「成功を得るチャンスに賭けるより、幸福な現状を失うリスクを回避することを選び、結局そのままの状態に甘んじる」というパターン。まさに「遅きに失する」の典型と言えるだろう。

 分かり切った事ではあるのだが、このパターンの場合「決意」なるものの有無、あるいは強さが大きな意味を持つ。春曉の布団から離れられないのと同じように、幸福な現状からは動き難いものである。その状況で敢えて、リスクを冒してまで変化を求め動き出すには、並々ならぬ決意と覚悟が必要である。この「決意と覚悟」を生み出す源泉は、他ならぬ自らの心の内の想いの強さであろう。慎重さは必ずしも欠点ではなく、むしろ長所の一つと数えられるものだが、それを如何に“前に”と積み重ねる礎とすることができるか。それが肝要なのだろう。  

2009年05月04日 23時27分26秒







 こんばんは、最早更新の間隔が空いても少々気にしなくなった「愛に生きる男」であります。いやー、成長のあとがうかがえますね。


 さっきまで少し長めの日記を書いていたのだが、思うところがあって書くのを中止した。何かこう、言い訳がましい文面になって面白くないのだ。言い訳がましいのは自分に対する歯がゆさの表れなのだろうが、だったらタラタラと愚痴るよりは新たな止揚を果たすべく進むべきだろう。

 やれ、成長せんなあ。  

2009年05月18日 19時19分41秒



常識の有無は教育の有無にはよらない。
―――――V・ユゴー
2009年05月29日 08時45分08秒







 こんばんは、久しぶりに「週一更新」の公約を果たそうとしている「愛に生きる男」であります。まあそもそも「更新のために書く」よりは「書くことがあれば更新」が基本で、その中で「週一更新につとめる」という方針なのが健全な在り方。追い立てられる様に無理に何かを書くっていうのは本末転倒だしね。


  えー、すっかり忘れておりましたが…










サイト開設6周年





 を迎えてました(笑)。厳密には2003年5月16日が「開設」、20日が「公開」なんだけども、5月下旬は忙しかったしなあ…。

 そんな訳で、これからもよろしくお願いします。  

2009年06月05日 19時26分26秒







 こんばんは、どうも最近いろんな事がどうでもよくなり始めた「愛に生きる男」で」あります。だがしかし、どうでもよくなってきたからと言っても時の流れが止まる訳でもなく、自らに与えられた生を如何に全うするかが肝要と思います。問題は今の自分が、そこに向けて動きだす情熱の火が十分な熱量を持っているか。


 自分なりに現状の把握に努めてみるのだが、ざっくり言うと全体的に下手を打ち続けている事が最近の不快感の源泉となっているように思われる。別に何も、全部が全部、常に順風満帆に進むものとは思ってはいない。しかし何と表現すべきか、自らを取り巻く周辺部・状況を十分に掌握しきれておらず、自己を含む諸要素の位相に関して疑念が生じている状態である。

 今ここで「絶対真理」なるものの存在如何について云々する気は無いが、核ないし芯となるべき“何か”は、無事に自らの中に内包が維持できていると思っている。基本的・原則的にはそこが確固として屹立していればいいのだ。しかし一方で、人間は個として存在するものの個のみでは生存することはできず、常に他者との関わり合いを必要とするものである。すなわち「存在する」という点では絶対的ではあるが、その存在状態そのものは常に相対的であると言える。この絶対と相対の狭間、不合一が問題なのだろう。新たな止揚の糧とできるかは、己次第である。  

2009年06月12日 01時06分47秒



良心なき知識は、人間の魂を滅ぼす。
―――――ラブレー
2009年06月19日 23時41分13秒






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