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愛に生きる男の過去日記
2009年1月4日『誕』〜2009年3月21日『悩』








ハッピーバースデー、俺。





 大物or変人揃いの1月4日、negi、しの、ten、イチ、がみちゃん、ぼんちゃんのパパ、その他みんなおめでとう。  

2009年01月04日 00時00分01秒



 こんばんは、公約のはずの「週一更新」なんか最早どこ吹く風といった風情の漂う「愛に生きる男」であります。まーアレですよ、いろいろ忙しくしてるんですよ。貧乏暇なしですから。ですが「更新放棄」ではないので、これからも末長く、気長に見守ってやってくださいませ。


 久々の更新となった訳だが、年末の総括や年始の挨拶もしていないのだから、実際の日数以上に間隔が開いたように感じられるのも無理からぬところである。年末は友人の来訪を受けたりガラにもなく部屋の片付けをしたりで、どうもタイミングを逃していたようである。「無理にならないように」がこのHPのモットーであるので、あまりせっつかれる様な感覚は感じずに済んだところはある。しかし一方で全世界で17人(日本野鳥の会調べ)という膨大な数のこのHP愛好者の方々のためにも、一日も早く日記を更新せねばという思いもあった。実態が伴っていない今となっては空虚な言に過ぎないが、ただ思ってただけそういう思いもあったことは分かっていただきたい。

 いつものように「健康のためなら死んでもいい」という明快なキャッチフレーズとともに臨んだ2008年だが、その甲斐あってか特に大きな病気をすることもなく、またうっかり靭帯を断裂することもなく、体調面ではおおむね良好な一年だったと思う。年初に、かつて入院する羽目になってしまった喉の病気を再発しかけたりもしたものの、それも何とか乗り切って大事に至ることはなかった。初夏の頃には腰痛が悪化したものの、それを機に整体へと通い詰め、かえって状態はこの数年にないくらい好転している。ただひとつ、頭痛ばかりは相変わらずどうしようもなく、ひとたび発症すると冗談ではなく本当に丸一日を棒に振ることになってしまう。不幸中の幸いは出講日にブチ当たることが無かったことで、おかげで授業に穴を開けずには済んだ。2009年に入ってからも既に1回発症しているのだが、特に前兆があるわけでもなく、まさに厄介者である。

 全般的に見てみると、何かと「翻弄されていた」という感じが強い一年だったように思う。周辺に対する自己の絶対化と相対化を遂行する中で、言うなればその中でリズムを乱し、全体的に状態が乱高下したという印象である。その過程で改めて自己の地歩の危うさと、その後の可能性を垣間見た一年だった。苦しい時期が続いたが、それゆえに自分の伸び白を感じることができた。結果論ではあるが、それなりに実りある一年だったと思う。月並みな表現で好みではないのだが(苦笑)。


 そんな2008年を受けて、この2009年にどう臨むか。


 年末から年始にかけて最も印象的に思ったのは「落ち着く」ということ。“デキあがる”という意味ではなく、2008年には何か浮足立った雰囲気を感じており、その点を少し修正してみようという試みである。上述のようにこの「浮足立った」感でも手応えは感じており、決してそれそのものが悪であるという訳ではない。言うなれば、2008年とは異なる言説の中で新たな果実を手にしようという試みである。その中では一転「保守」に傾倒する恐れもあるが、それに対しても着実性と同時に貪欲さも忘れないこと、これが2009年の鍵を握ると思われる。そう決めて、日々を送ろうと思う。

 まあまだ1月、この先どうなるかは分からんけども(笑)。
 今年もよろしくお願いします。  

2009年01月13日 20時53分22秒



 こんばんは、最近パソコンで使ってるメールアドレスを変更した「愛に生きる男」であります。もう10年以上使ってるアドレスなんですが、これまでに買い物とか様々なサイトに登録もしてきました。そのため最近は迷惑メールの数があまりにも多くなってきてしまい、とうとうたまりかねて変更したという次第です。せっかく変えたんだし、サイトに登録するのはフリーメール等に切り替えて、少しでもその手のメールが来ないようケアしてこうと思います。


 最近また、自転車をこぐようになっている。もともと私にとって自転車は市内に出る時の足だったりうっかり日本海まで行くなど結構な距離を出す方だったのだが、ちょっと怠けて車やバスを使っている時期があったのだ。それを、つとめて自転車を使うようにしているという訳である。例えば市内で飲み会がある時は、市内へ向かうバス代の節約と軽い運動を兼ねて自転車で出る。バスで出た場合、公共交通機関があるうちに駅に到着できればいいのだが、そうでなかったらタクシーを使わざるを得ない。このタクシー代がかなり痛いのだ。飲んだ後に自転車で帰ると酒がとってもよく回るという副産物もあるのだが、それでもやはり背に腹は代えられない。少々疲れていようが小雨が来そうな空模様だろうが、意を決して自転車にまたがり駆け出すのである。

 その自転車だが、冒頭で触れたメールアドレス同様、もう10年以上乗っている。たしか1996年の1月頃、横から車に当たられてフレームが曲がったため先代の自転車を退役させたのに伴って導入したもの。今が2009年の初春にあたるので、ざっと14年目に突入した計算になる。「クロスバイク」というタイプの自転車で、街乗りからちょっとした遠乗りまでこなせる軽快でスポーティな自転車である。もちろん段差の乗り越えはタイヤの大きいマウンテンバイクに、最高速や長距離を出す能力はロードタイプの自転車には及ばない。あくまで双方の特徴を「クロスオーバーさせた」自転車がクロスバイクであり、悪く言えば中途半端と言えなくもないが、別の表現を使うとその辺を全て体力で何とかするマッチョなバイクトガり過ぎず、気軽に乗れるとも言える。この気軽さが、日常の足として求められる重要な特質であろう。カゴを付けていないので大きな買い物には気を使うこともあるが、いざとなればバッグやキャリアで何とでもなる。逆に不要な装備は省いているので、まさに軽快・颯爽。休日の市内往復やサイクリングなどはまさに快適そのもの。

 先日その自転車に、久々に手を加えた。清掃や消耗品の交換など細かい簡単なところは自分で時々みていたのだが、さすがに14年目を迎えるにあたって各所に私の手には負えないガタが出てきていた。ここで一瞬「買い替え」という選択肢も頭をよぎったが、やはり愛着があるのと“買い替えより修理の方が安い”という実利的な理由から各所メンテナンスを選択したのである。
 その結果、修理だけでも結構な出費となってしまいはしたが、気になっていた節々の不具合はきれいに解消された。また“せっかくだから”ということで決死の覚悟で大掃除を敢行したが、それも相まって新車のような…とはいかずとも、見違えるほどスムーズに走るようになった。一方で、今回は手をつけていないものの早晩メンテナンスに着手しなければならない個所も見つかっており、そこを対応させるとなるとさらに数千円単位での出費が見込まれる。どうせ修理するのは目に見えているので、結論としては「早いか遅いか」の問題でしかない。あとはタイミング次第なのだが、春、サイクリングのシーズンを迎える前に交換したいのが希望と言えば希望。あとは財布と相談だな…。  

2009年01月21日 12時57分25秒



どうしても会いたい時だってあるんだ。
―――――愛に生きる男
2009年01月28日 23時47分01秒






 こんばんは、どうもこの冬は浪費の傾向が強い「愛に生きる男」であります。スノボ関連用品やデミ男で使っているPod用のトランスミッター等、気付けば結構な出費が。いかんなー、節約せねば(汗)。


 昨日の朝、久々に嗚咽以外になにも出てこないレベルの頭痛に出くわした。



 何て言うかなー。頭痛の最中は何も考えられず、ただ時が過ぎて痛みが消えるのを待つことしかできないのだが、例えば夕方あたり。頭痛が治まってようやく意識がハッキリしてきた時の感じ、あれが非常によろしくない。何かこう、いろいろ失ってしまったような感じがして非常に後味が悪い。

 やれやれだ。  

2009年02月05日 22時20分50秒



明日の予定とか、まだ大丈夫ですよ。
―――――愛に生きる男
2009年02月13日 23時03分30秒









 こんばんは、久々に風邪をひいた「愛に生きる男」であります。症状が本格化した水曜日は折しも怒涛の集中講義の第1日目。このタイミングでしっかり馬体重をを揃えてくるあたり、まだまだイケるとの感触を確かなものと認識した瞬間でもありました。


 旅に出たい。何年か前の写真をパラパラと見ていて、そう思った。

 普段から一日の航行距離が非常に長いドライブをしているので、どの程度の行程からを「旅行」というのかは定かではないのだが、基本的には主観的な感覚でいいんだろうと思う。例えば日常の光景でもある「ten」との釣りで、山陰あたりに一泊遠征を仕掛けたとしても、それはあくまで「釣りに行った」であり、旅行をしたとは思わないだろう。逆に特別な相手とであれば、あるいは日帰りでも「いい旅だった」と思うかもしれない。「日帰り旅行」という言葉があるように、距離や所要時間は、重要ではあっても必ずしも決定的な要因とはならないものと考えられる。

 生涯の目標、もとい希望として「シルクロードを旅する」というのがあるが、とりあえず実現可能性については目をつぶっておこうと思う(苦笑)。現実的な線で考えると、近場の国内でのんびり、あるいは休暇を利用して海外もいいかなと思う。カメラは絶対に持っていくけど、機種の選択に迷う。愛用の「SR-1」は電池が要らず、光とフィルムさえあれば撮影できるのがいいのだが、一眼レフなのでレンズの分どうしても荷物が大掛かりになってしまう。デジカメは簡便で荷物も比較的小さく済むのだが、バッテリーの問題がいちいち面倒くさいと思ってしまったり。意表をついてRollei35なんてアツイかもね。

 季節はー、冬じゃなかったらいつでもいいや(笑)。冬は寒いし、写真を撮るうえでも光線が弱いのは写真が硬調になったりで色々面倒くさいしね。過ごしやすい春・秋はもちろん、真夏の灼熱の太陽の下をガツガツと歩き回るのも悪くない。あ、夏は夕立ちに気を付けないといかんねえ。

 それともう一つ、これまで書いてきたことと多少矛盾するかもしれないが、写真を撮るための旅行にならないようにしたいなと思う。もちろん、思うまま気の向くままにシャッターを切るというのは大前提だが、それに取りつかれてしまって旅本来の楽しみを忘れないようにしたいなと。

 そう、本来の姿を忘れてはいかんのだ。  

2009年02月23日 20時51分51秒









 こんばんは、年が変わってもやっぱり更新が遅れ気味の「愛に生きる男」であります。まあ、ね。色々あるんですよ。ほとんどは些細な事ではありますが(笑)。何だかんだで忙殺されて、ちょっとだけ殺伐としてきている気もしますが、過度な負担にならないように気をつけようと思います。


 エスプレッソが飲みたい。

 私のコーヒー好きは周囲ではよく知られており、「夏でもホットのブラック」という嗜好とともにもまた広く浸透しているところである。街のコーヒーショップでもおおむねブラックを注文するが、時々「カフェモカ」を選ぶことがある。その際「ショット追加」というオプションが加わることで、私にとって理想的なカフェモカが完成する。モカはそれだけで十分だが、ブラックの時は甘めのクッキーの1、2枚でもあると手軽に豊かな気分になれる。

 エスプレッソを飲む機会は、そう多くはない。普通のコーヒーなら自宅ででもコーヒーメーカーやドリッパーで淹れることができるが、エスプレッソはそう簡単にもいかないらしい。また表面に薄くクレーム状の泡が膜を作る様も、素人の手ではなかなかうまくできそうにない。泡までできる全自動のエスプレッソメーカーが市販されているものの、なかなか気軽に買える値段でもない。さて、どうするか。

 そんなことを考えていると、ますます飲みたくなるのがこの世の常。
 いやー、困ったもんだ(笑)。  

2009年03月04日 22時15分12秒







 こんばんは、自宅から徒歩3分の場所にある釣具店が今週末で閉店との知らせに肩を落としている「愛に生きる男」であります。開店は2005年の3月なので、満4年間お世話になりました。家に近すぎて逆に利用する機会は少なくなりがちだったんですが、それでも釣りを始めたばかりの頃に宇品方面に修行に行く時は、やっぱりとても助かりました。いやー、残念です。


 「ためる」という行為について。漢字表記は「貯める」だったり「溜める」だったりするが、何らかのモノを一所に留めおくことという意味で一応の合意は得られるだろう。とどめ置かれる“モノ”は物理的なものでも抽象的・概念的なものでも妥当し得る。使い勝手がいい言葉と言えるだろう。
 これが「たまる」となると、少しく印象が異なってくる。「ためる」が能動的な意味が強いのに対し、「たまる」ではどこか受動的、あるいは結果論的な響きが加わってくるのである。わずか1文字、マ行の1段目と4段目の違いでしかないのだが、込められた意味の上、あるいは出し手の意図の上では大きな違いとなる。

 この違いが、しかし、大きなものではあるのだが、事実の上で表裏一体となることがある。何もこの言葉に限った話ではないだろうが。主観的に見た場合、自ら意図・意思をもって積み上げた経験は、確かな手応えとして実感が残る。それは“強み”や“武器”となって、前途を切り拓く上での貴重な手段となり得る。
 一方こうした「狙い」のもとで手にしたものとは違い、自分でも気付かないうちに会得するもの・ことも多くあるのも事実である。往々にしてこうしたものは「他人からの指摘」あるいは不意に気付かされるもので、それゆえに時として驚きと戸惑いをもたらすこともある。しかしたとえ「狙い」の外側にあったとしても、それも紛れもなく自身の血肉となっており、力になるもののはず。この部分にどれだけ光を当て、真に我が物とすることができるかが一つのテーマとなり得る。

 結果は後からついてくるのだ。要はそれを、どう使いこなせるかが勝負。  

2009年03月14日 14時25分11秒







 こんばんは、怒涛の集中講義をノリと勢いのみで乗り切った「愛に生きる男」であります。おおむね予定通りに進行できましたが、同時に改善できる点もいくつか見えてきました。少しずつ修正を加えていって良い授業に、そして自分自身の修行になればと思います。


 最近の悩みについて。

 といっても「コレ!」という特別なものがある訳ではない。好きな人のこと、仕事のこと、将来のことなど、まあ極めて一般的なものと言えるだろう。とかく気が小さい人間なので物事を深刻に深刻にと考え込む癖があるのだが、それがもとでつまらない事につまづいてしまうことも少なくない。しかしそういう過程を経験として積み重ねてきた結果が現在の自分なのであり、そう考えると悩んで、自分と向き合う時間というのは、苦しくもどかしくあるが後の自分を形作るものとあるはず。辛くはあっても、そう悪いものではないかもしれない。「辛くはあっても」の部分が問題なんだけども(笑)。

 このところ、考え方を少しかえて「あまり深く考え込まない」というアプローチを採ろうと検討している。気持ちの負担を軽減させる意図が無い訳ではないが、これまで自分が採ってきたものとは違う方法論での経験を積もうと思ったのだ。単線で進むと岐路の選択には苦しまないが、直面する課題が大きいほど必然的に葛藤に悩まされることになる。「こうあらねば」という意識は大事だが、それを一旦傍らに置き、振り幅を大きく取ってみようという試みである。恐らくは劇的な変化に直接はつながらないが、これも長期的に見れば広義において全て自分の糧になるはず。まずは、やってみよう。  

2009年03月21日 23時09分30秒






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