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こんばんは、RCCラヂヲを消したばかりの「愛に生きる男」であります。この時期、この状況で毎回のように得点を入れられて、六回終わって3−13だもんな…聞く方もキツイって…。 PCで作業をする傍ら「愛Tunes」を全曲シャッフルでプレイしていたのだが、岡本真夜「TOMORROW」が流れてきた。何というか、実に久しぶりに聴いた。 この曲が発売されたのは私が大学に入ったのと同じ1995年。初めのうちはメディア露出が無かったため「誰が歌ってるんだろう?」という疑問がつきまとったが、大ヒットとなってからは本人もTVの歌番組などに出演し、自然に“いい曲だなあ”と聴けるようになったのを覚えている。その後もアルバムを買うほどの熱心さは無かったものの(笑)、時々レンタルで借りてMDに焼いたり、彼女の歌は普通に聴いてきたと思う。 大学のマンドリン・ギター部がよく弾いていたことも、この曲が印象的に記憶に残る一因となっていると考えられる。なぜこの曲なのかは分からないが、マンドリン・ギター部がこの曲を練習しているのは本当によく耳にしたものだ。なかでも2005年は私は学生会館の一室を使って論文執筆に取り掛かっていたため、学館2階のロビーで練習する彼らの音色は否が応でも耳にする状況になっていた。1フレーズごと繰り返したり、全曲通して演奏したり、それはもう「あの夏、マンドリン部の演奏を一番聴いたのはオレだ」と断言できるほど聴いた(笑)。 多少なりとも彼らの練習風景に慣れ親しんだのもあるだろうが、それは、練習段階のものでも、私の耳を喜ばすには十分すぎる素敵な演奏だった。プロの演奏やCD収録の音源ほど“完璧”にはいかないのも事実だが、唯一無二の音色だったこともまた事実。合奏に参加した沢山の人たちの積み重ねてきた時間があったのであり、そこには彼らの青春があった。それを感じることができた私は幸せだった。 ただ一つ惜しむらくは、私自身は“本番”での演奏を聴く機会に恵まれなかったということ。大学祭で演奏会があったのだが、その年は博士論文の提出を翌日に控えていたためセルフ自宅軟禁に入っており大学祭自体に行けずじまい。秋にも演奏会があったものの、こちらも諸般の都合がつかず断念せざるを得なかったのを覚えている。自分としても無念だが、声をかけてくれていた友人に対して非常に申し訳なく思った。 毎年この時季、夏から秋へと移っていく頃になると、ここに書いたようなことを思い出す。本番での演奏は聞けなかったが、その記憶の中では、イントロから歌い出しにかけての部分の演奏がはっきりと聞こえてくる。そして思い出すたびに温かく、また切なくなる感情の動きとともに、忘れ難い時間として印象的に息づいているのである。 |
2008年10月01日 23時30分40秒
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五十にして四十九年の非を知る。 ―――――荘子
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2008年10月08日 21時45分30秒
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また間隔が開いてしまいました。こんばんは、最近ちらほらと「彼女できたの?」と聞かれ始めた「愛に生きる男」であります。誤報です、残念ながら(寂)。 そもそも「のんびり、気ままに」がこの日記のモットーだったはずなのだが、それが最近、やや趣が変わってきているように感じる。エディタを使わずHTMLを手書きしているので色々と煩雑になるのは仕方がないのだが、それを差し引いても書くのに“体力を使う”というのが正直なところである。以前は週に1本、2本とコンスタントに更新していたものが、現在では公約としている「ほぼ週1」ですらままならなくなっている。さて、どうしたものか。 考察を加える角度はいくつかあるが、最大のものは“ネタ”と“気分”だろう。かねてよりここでも公言しているがmixiでも日記を書いており、このHP内でも「雑記帳」を更新中。その他にも2本ブログを動かしており、合計すると5本を同時並行で進めているのが現状である。すると日々思い・感じる話の種も必然的に分散し、“さて”という時に困ることがままある。その影響が顕著に表出しているのがこの日記であると考えられる。何となれば、それは、この日記こそが最も“核心”に近い領域を渉猟しているからである。 しかしこの点についても、この日記は「のんびり、気ままに」が大原則であることから、「書くことがなければ書かなくていい」「特にネタ的でなくても、好きなことを適当に、書きたいように書けばいい」とすることもできる。事実この両者とも基本路線として保持しており、今回更新期間が開いたことなどはその最たる例であり、この日記が「最も核心に近い」理由でもある。 こう考えると、とくに状況が悪いとか、そういう問題ではないような気がしてくる。ただ敢えて考えるならば、この日記を見てくれている僅かながらの友人への思いがある。「ちょい、はよう次の更新してや」と催促してくれる者もいれば、かつて「更新頻度が下がったら、日記の価値も下がりますよ」と彼らしいアドバイスをくれたゴシなど。他人を理由に使うのは好きではないが、理由ではなく自分を動かしていく際の景気づけ、きっかけの一つにするのぐらいは許されるだろう。これからも好きなことや思うことを、気ままにのんびり書いていけばいいんだろうなと思う。手書きはいちいち面倒ではあるが、反面、適当にササッと書いては消す簡単なものではない。そういう変なところが楽しい自分は、やはり変人なんだろうと思う(笑)。 |
2008年10月20日 23時22分10秒
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不快になるまで食うな。 酔うまで飲むな。 ―――――フランクリン
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2008年11月01日 22時57分25秒
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こんにちは、更新間隔が少々空いてもあまり気にしないようにした「愛に生きる男」であります。「のんびり、気ままに」ですから。 この夏から、泳ぎの練習をしている。以前もあったように、コーチは友人の「ten」。 御存知のように私は泳げない。よく友人からも「アンタほど筋力と体力があって、泳げんはずがないだろう」と言われ続けて久しいが、泳げそうな気配すら感じられない」とまで言われたことからも、現実が如何に深刻なものかは推し量られるだろう。 かつてはスイミングスクールにも通っていたし、泳げていたかは別として苦手意識は無かったはず。それがいつの頃からか完全なるカナヅチへと変貌を遂げていたのである。原因について考えてみたのだが、耳の疾患の可能性が最も高い。生後間もなくから中学に上がる頃まで慢性的に中耳炎を患っており、耳に水が入ると頻繁に発症していたのである。そのため「耳が水に浸かる」という状態に強烈な抵抗があり、極端にいえば風呂で頭を洗うのにも抵抗を感じるほど。ゆえに「耳が水に浸かる」という状態になった瞬間に緊張してしまい、身体にも不要な力が入って泳げない。よく「自然にしてれば浮かぶから、普通に泳ぐだけだよ」と言われるが、そのそも自然にしてたって浮かばないって話である。 それが今回の練習では、泳げるようになった(悦)。決め手になったのは「耳栓」。至極単純な解決策だったが、これにより上述の耳に起因する緊張状態は劇的に改善され、25mは泳げるようになった。数百円の投資で絶大な効果が得られ、大満足である。 しかし「泳げるようになった」とは言うものの、まだまだ課題は多い。一番の問題は「息継ぎができない」というもの。この数ヶ月トライし続けているものの、いっこうにできそうな気配が見られない(汗)。おかげで約2時間の間中、ひたすらひたすら息継ぎなしで25mを泳ぎ続けるという強制スプリントトレーニングをする羽目になっている。逆に言えば25mであれば普通に泳げるのだが、やはり息継ぎができた方が楽だと思う(汗)。でも全くイメージがわかないんだよなー…。 ともあれ、ひとまず泳げるようにはなった。ちゃんとプール仕様の水着も買ったし、度入りのゴーグルも調達した。時間と体力の問題もあるのでそんなに頻繁には行けないが、全身運動なので腰のリハビリにも良さそう。ぼちぼち、のんびりと練習していこうと思う。 |
2008年11月12日 11時22分51秒
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こんばんは、何故か人差し指の関節が痛い「愛に生きる男」であります。まあ常日頃から身体のどっかが痛いので、そんな特筆すべきことではないかもしれないんですが。ただ場所が場所だけに使用頻度が高く、地味に気になって面倒臭いです。 いま大学の図書館でこの日記を書いているのだが、目の前で後輩がテスト勉強をしているところ。テスト勉強と言っても「全米の州と州都を憶える」とか「アメリカ歴代大統領を憶える」といった単純なものなのだが、逆に単純であるがゆえの難しさもある模様。そして目下のところ彼らが直面している最大の問題は圧倒的に時間がないことらしい(笑)。一時間後にはテスト開始が迫っているのだが、例えば「メリーランド州=アナポリス」を覚えるのに「メリーが背負っていたランドセルはボロくて穴が空いてて、ポリスに捕まった」などと必死に語呂合わせを作っている有様。 まあ、微笑ましい光景なんだろう(笑)。 |
2008年11月19日 11時01分30秒
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こんばんは、どうも喉がイガラっぽい「愛に生きる男」であります。風邪をひきそうな事をした覚えはないんですが、どうも昨夜から身体がだるく、喉が少々おかしい感じがしています。まあ、ツバつけときゃ治るでしょう。 カメラを買った。ご覧の通り一眼レフだが、これはデジタル一眼レフ。ソニーの「α100」という機種で、少し前に発売されて現在は既にラインナップから消えているもの。しかし画素数も1000万を超えており、通常使用に関しては全く問題ない数値である。ボディ内での手ブレ補正もしてくれるため色々と使い勝手がいいのも魅力で、前々から欲しかった機種でもある。要は“型落ち”になってお手頃価格になったところを、オークションで落札したという話である。 御存知のように私は普段からフィルムの一眼レフを使っているが、今回のデジイチ購入でメインがこちらに移るかというとそうでもない。今月上旬から修理に旅立っている愛用の「SR-1」ではあるが、このカメラがメインという位置付けを変える予定はない。何年も使ってきて腕を磨いてきたという思い入れもあるが、全てがオートで済むデジイチと違って「撮っている」という感覚が強いSR-1の方が、撮ってて楽しいと感じるのである。もちろんデジイチ導入に伴い使い方も多少変わってくるが、それでもやはり、フィルムがメインになる予定である。 デジイチ導入に伴うフィルムの使い方の変化だが、具体的には「使用フィルムの変更」を考えている。これまでは「ネガ」、いわゆる「ふつうのフィルム」を使ってきたのだが、それを「ポジ」にしてみようという試みである。ネガに比べてポジは露出の許容範囲が極めて狭く、少しのミスが致命傷になりかねないデリケートなフィルム。しかし一方で、画質の鮮やかさはネガの比ではない美しさの、いわばプロ向きのフィルムでもある。これを積極的に使っていくことで更に腕を磨き、もちろん「撮る楽しみ」を味わっていこうという魂胆である。 しかしただ単にフィルムを変えるだけで済む話ではなく、それなりに問題はある。技術的な課題もさることながら、コストの点がネガとは大きくことなるのである。ネガのフィルムの場合、多少の幅はあるもののおおむね1500〜2000円程度で現像・プリントできる。それがポジの場合は現像でまず800円ほどかかり、その後のプリントは「1枚100円」が基本。つまりネガの感覚で「全コマプリント」した場合、フィルム1本で4000円ほどかかってしまうのである。そのため原則として「現像後のフィルムを見ながら、コマを指定してプリント」となるのだが、とにかく金がかかって仕方ないフィルムであることは間違いない。しかしそれをしてもなお惜しくない仕上がりの美しさがあるわけで、うまくその美しさを引き出せるかは撮る者の腕に懸かってくる。 ちょうどカメラも修理後でリフレッシュして帰ってくることだし、ますます気合が入るところである。 |
2008年11月27日 20時54分41秒
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財布が軽ければ心は重い。 ―――――ゲーテ
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2008年12月06日 14時33分11秒
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こんばんは、一進一退でありながらもおおむね腰の状態は良好な感じがしている「愛に生きる男」であります。運転が長距離になって長時間同じ姿勢が続いたり、逆に激しい運動をした時でも、以前のような嫌な感じの痛みは出なくなりました。根詰めて整体に通ったのと日々の努力の積み重ねの賜物だろうと思います。 普段から、何かと悩み事は多い方である。まあ多いと言っても、多くの場合は他人が聞いたら「そんなに考え込むような事では…」という程度の些細なことに捉われているようである。さんざん悩んだ挙句、フタを開けてみれば拍子抜けする程あっさりと事が片付いてしまうのもしばしば。力が抜けてがっくりときたるもするが、そういう性分なのだから仕方あるまいと、半ば諦め気分だったりもする。まあ、そんなもんだろう。 しかし当然ながら、万事が万事こうした一見不毛なものというわけでもなく、いくら考えて悩んでも解にたどり着けないことも少なくない。自分自身のこと、自分を取りまく人々や環境にまつわること、好きな人のこと、悩みの種としてはごくごく一般的なものだが、要するに人並みにいっちょまえに思い悩んでいる、ということである。 またそうやって悩んでいる時には決まって様々な予定が立て込んできて、次第に心身ともに余裕を失い、忙殺されていく。この「忙殺される」という状況が更に焦りを招き、周囲が見えづらくなって所々で判断に迷いをもたらす。全体の中で見てもマズい立ち回りを演じる羽目になってしまうのだ。そうした事々も全て「経験」であり全て自分の血肉になるのは分かってはいるのだが、万事それで消化できるほど達観してもいないので、それはそれは大きなジレンマとして重くのしかかる。それがまた、新たな悩みの種となる。ある悩みが巡り巡って新たな悩みの種となり、それが更に新しい悩みへと再生産されていく。まさに循環型、エコの極みである。 この悩みの循環の中にあってなお、日々がそれなりに破綻せず回っているのは、その悩みが未だ致命的な度合まで進行していない、もしくはそんなに深刻なものではないということだろう。決定的な解決を見るには至っていないが、思索の過程で逓減されているのだろう。しかしやはり、そうは言っても心の平穏は乱され続けており、気苦労も絶えない。まあ、どう転んだところで命まで取られることはあるまい。のらりくらりとかわすのも一手段、かな。 |
2008年12月16日 20時59分22秒
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今夜の予定とか、まだ大丈夫ですよ。 ―――――愛に生きる男
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2008年12月25日 13時36分36秒
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