愛に生きる男の過去日記
2008年4月17日『粉』〜2008年7月2日『曰』



 こんばんは、このところ「ほぼ週1更新」という公約がなし崩しルーズになってきている「愛に生きる男」であります。いや、可能な限りペースを守ろうっていう気でいるんですが、どうも忙しかったり時間が取れなかったりで機会を逃してしまっておりまして。個人が細々と続けているHPとはいえ、この日記が一応メインコンテンツ。しっかりやらなきゃと思っていますが、更新が義務化して重荷になったら本末転倒。そうならないようにのんびり続けていこうと思います。どうぞよろしく。


 どうやら、今年から花粉症が本格的に発症し始めたっぽい。目はショボショボして、鼻の抜け具合もいま一つスッキリしない。そのせいで眠りが浅くなっているせいか、午後には強烈な眠気に襲われるのだ。実は2年ほど前から兆候はあったのだが、その頃は「なんか目がかゆいかな」とか「鼻の通りが悪い気がする」といった程度のものだった。それが今年この有様で、どうやらキタかと覚悟を決めつつあるところである。

 しかし、昨今では花粉症は決して珍しいものではない。むしろ私の周囲でも年々その症状を訴える人は増えており、すっかり一般化していると考えられる。その点からすると私が花粉症にかかることも十分に考え得ることであり、今回その可能性が見られるのもさほど驚くようなことではないと言える。

 ではポイントはどこか。やっぱ恐いというのが一番に来る。別の表現を使えば「不安」とも言える感覚である。
 先述のように、私の周りにも花粉症の患者はゴマンといる。繰り返しになるが、その点では決して珍しいものではない。問題なのは、その苦しみ方なのだ。「目がかゆい」「鼻水が止まらない」などは、それそのものが辛い症状であるのは認めた上で、まだ想像がつく。私の父親はよく「とにかく眠れんのじゃ」とこぼしているし、ある友人は「目ん玉を取り出してジャバジャバッて水洗いしたい」と表現する。このクラスになるともうワケわからん状態であり、得体の知れない恐怖が襲ってくる。もし自分もそうなったら…と思うと、否が応でも憂鬱にならざるを得ないのだ。

 幸い今のところ、症状らしい症状は「目のかゆみ」「のどの渇き」「鼻の通り」の3点で、いずれも程度は軽いものと見られる。この程度の状態で推移してくれればなんとか凌げるのだが、これよりキツくなるようだと事態は深刻である。「医者に行ったら結構楽になるよ」と言ってくれる友人もいるのだが、その割に「今年は楽になった」って話を誰からも聞かないってのはどーゆーコトだ(悩)。やれやれ…。  

2008年04月17日 21時16分55秒



 こんばんは、歯医者通いが終わらない「愛に生きる男」であります。最初は左下の歯が痛むということで行ったんですが、その歯を即座に問答無用で神経抜かれたのを皮切りに右下(2本)、右上、左上(2本)と続いて治療と相成りました。そして更にもう2本治療待ちという酷い状況にやや憂鬱にもなってきます。ちゃんと歯ブラシ+歯間ブラシで完璧にケアしてたはずなんだけどなぁ…





Rollei 35T


 新たにカメラを買った。ずっと欲しかったカメラが掘り出し物で出ていたのを見つけ、思わず買ってしまったのだ。御存知のようにメインでは一眼レフ「SR-1」を愛用しており、サブ機として時々「35-ME」を使っている。後は状況に合わせてコンデジ(コンパクト系デジカメ)とかも使っており、実働しているものでは4台目となる。もちろん4台を同時に持って出るシチュエーションは少なく、これらの中から1〜数台を選んでいくのだが。

 このカメラ、私より年上なのとフィルムなのはもはや前提だが、すげー小さいのが特徴である。画像では分かりにくいのが残念。厚みも高さもフィルムカートリッジぎりぎりの大きさで、しかしそれとは不釣り合いな十分すぎる重量感が頼もしく感じられる。
 サイズは極めて小さいが、カメラとしての機能はそこらのチープなカメラなど相手ではない。左右のダイヤルで絞り、シャッター速度、フィルム感度、ピント合わせを全て手動で行う本格的なカメラである。換言すると「カメラとしての機能をコンパクトな筐体に凝縮した」と表現でき、前述の重量感は由無しとはしないところである。ゆえに私は常々このカメラを「究極のコンパクト」と表現している。

 肝心の撮影の方だが、さっそくフィルム1本分撮ってみたところ、このカメラへの慣れがゼロであることを考えると満足いく結果が得られた。年式は古いがドイツのカメラらしくしっかりと動作し、時として味のある、綺麗な画づくりをしてくれる。レンズ交換式ではないので画角は固定されるが、使い勝手の良い40mmだしカールツァイスの流れを汲むレンズも頼もしい。メイン機の座が「SR-1」から動くことはないが、日差しが明るくなり夏へと向かうこの時季に、日々がまた楽しくなる一台が加わった。  

2008年04月27日 21時17分33秒



 こんばんは、相変わらず悩みの尽きない「愛に生きる男」であります。悩みと同時にいろいろと気苦労も抱え込んではいるんですが、そこからの止揚を目指して頑張るのみ。まだまだ努力が足らんようです。





 コンポのスピーカーが好きだ。

 買ったのは1995年の夏、貯金をはたいて手に入れたコンポに合わせて購入したものである。ボディは樹脂ではなく木製で、一般的に「ブックシェルフ型」と呼ばれている比較的コンパクトなサイズ。しかしそのサイズとは不釣り合いなほどの重量があり、我が家に配送されてきたとき、スピーカー2本が入ってるだけの段ボールに「15kg」と記されていたあたりからもその程度が推し量られる。その重量があるからこそ、奏でる音域にも余裕が出てくるのだ。

 あまり知られていないが、スピーカーは使っていくうちに音質が微妙に変化していく。「エージング(aging)」という現象なのだが、一言で言うと「味が出てくる」ということ。実際に振動して音を紡ぎだしていくコーンの部分が、出荷時点での新品・まっさらの状態から、使い込んでいくうちに“こなれて”きて、最初は硬く鋭かった振動が滑らかに柔らかく変わっていくのである。先述のように私のスピーカーは1995年に購入したものなので、ざっと数えて14年モノ。経年劣化によって多少のガタが出始めているのも事実だが、それも気にならないほどいい感じに“こなれて”きているのだ。

 スピーカー絡みでは先日インシュレーターを自作したのだが、これがすこぶる良い。音を出すときにスピーカー自身が振動することで音が“ボヤケて”しまうのを解消するためのものなのだが、使用する前と後とでは明確な改善が感じられた。一音一音が明快に、しっかりと鳴っているのがはっきりと分かる。わずか210円という製作コストもビックリだが、それで得られた効果にもさらに驚かされた。

 私のコンポは、先日MDデッキを新しいものに入れ替えたばかり。メカ部分の故障はどうすることもできないが、スピーカーやアンプのように使えば使うほど“味”が出てくるものは比較的長く使えるように思う。もとより10代のころに勇気を振り絞って買ったコンポ、昨夏からの「ひげ基地」移転に際しても真っ先に動かしたのがコイツであったことからも愛着の度合は窺えるところ。楽しみは尽きないね。  

2008年05月06日 21時06分12秒



人生はさとるのが目的ではないです。
生きるのです。
人間は動物ですから。
―――――岡本かの子
2008年05月13日 23時46分00秒





見つめ合うふたり

 こんばんは、今更ながらパワーポイントの勉強を始めた「愛に生きる男」であります。これまではハンドアウト+絶妙なトークでプレゼンは乗り切ってきたんですが、そろそろ時代の流れに迎合してみようかと思いまして。折しもスキャナを購入してフィルムからの画像起こしができるようにもなったし、うまく使いこなしたいと思います。


 少し、緩めてみようと思う。やや抽象的ではあるが、いろいろと。もちろん総体として、あるいは各個のケースに応じてはその限りではないのだが、別の表現を使うと「取捨選択」を今までより少し厳密に、慎重に行うというのが近いかもしれない。

 現状について、別にタスクフルで事物が回しきれていない訳ではない。しかし逆にいえば“回してはいる”とも言える。この状態が良いか悪いかは絶対評価では判断できないが、少なくとも私自身が不満やストレスを感じているのは事実。であるなら、その状況を打開すべく何らかの行動を起こさねば、というところだ。

 状況認識には様々な方法があるが、格好良く言えば「雌伏の時」と表現できるだろう。しかしそれは一つの方便として、私自身にとってははっきり言って屈辱である。捉え方や感じ方は多様であるとしても、第一義的にこの表現だ。自分をとりまく状況に“一通り”は関与できても“積極的”あるいは“効果的”、最もしっくりくる言い方は“満足いく”かかわり方ができていないと感じているのだ。全ては自分の力量が不足しているからであり、別に言い訳めいた言葉を並べる必要はあるまい。

 さて、まずはゆっくり周りを眺めてみようかな。  

2008年05月23日 15時08分30秒



理性はしばしば罪の奴隷となって、
これを弁解する。
―――――トルストイ
2008年05月31日 22時37分47秒



 こんばんは、先日「さおりン☆」に「なんか…夏来る前に一人だけ“夏真っ盛り〜暑い夏を過ごした”みたいな顔の黒さですよね」って言われた「愛に生きる男」であります。おまけに先月上旬から坊主なので、一歩間違えればアブナイ筋の人と間違われそうな勢いです。


 自転車に乗りたい。最近よく思う。“自転車乗り”とまでは自称しないが、もともと自転車を漕ぐのは好きな方ではある。

 私が“自転車をこぐ”と言うとき、それは速度を競うものではなくのんびりと、悠々自適に距離を出すのを指す事が多い。ってかほとんどである。速度を競うスプリント系のバイクは姿勢の前傾がきつく、腰痛持ちの私にはなかなか辛いのだ。とは言うものの、距離を出すロード用のバイクも本格的なものになるとそれなりの運転姿勢を要求されるため、基本的に「素人仕様」の範疇でいろいろと楽しんでいるのである。

 距離を出す場合、個人的には最低でも片道20kmは確保したいところ。走り出しから身体が温まってきて、心地よい薄汗をかきながらペースを保って走ろうと思うと、やはりこれぐらいの距離は欲しいのだ。逆にこれを超える距離を出そうと思うと、素人にとっては若干の決意と気合が必要となる。往路があれば復路があるわけであり、またその後の予定に“疲労感”というファクターが与える影響を考えると、やはりこのぐらいの距離がちょうどいいのではと考えている。
 とはいえよく惰性に任せるままに延々と距離が延びる傾向にあり、例えば「広島発の錦帯橋往復」は“行き慣れた”感すら漂っている。また生来の性格からノリと勢いだけで九州の北半分を2回ほど回ってみたり、うっかり中国山地を越えて松江に行ってみたりと、なかなか思う通りにはいかないのが実情。楽しい時間ほど、過ぎるのは速いともいうものだ。

 いま使っている自転車は、もう10年以上乗っている。九州も松江もこの自転車で行っており、一方で市内に出る時などの日常の足としても使っている。“本格的”でないが故に汎用性も高く、このあたりは“素人上等”の面目躍如といったところだろう。そんな事だから、普段の街乗り感覚で家を出ても思いがけずロングライドになってしまうんだろうけども(苦笑)。夏に向けては暑さ対策は欠かせないが、今はまだ日によっては涼しいこともある。まずまずの季節と言えるだろう。

 次はどっちに向いて走ろうかねぇ。  

2008年06月09日 01時54分09秒



 こんばんは、CDデッキを更新して最近ゴキゲンな「愛に生きる男」であります。愛用しているオーディオのCDデッキが少し動作不安定になってきたので、丸13年使ってきたしそろそろ潮時かと観念しました。
 更新にあたっては同等クラスのものと単品オーディオとして使うハイクラスのものが候補に。同等クラスのものでも技術も新しくなってるし十分上等なんですが、ここは思い切ってハイクラスのものを選択。いやー、素晴らしい(悦)。また今度、改めて書くかもです。


 先週から、腰の治療に入っている。かねてよりいてーいてー言ってたので“今さら”感はたっぷりと漂っているが、ともかくちゃんと治療にとりかかったのが大きな進歩と言えるだろう。先週の月曜日から治療にとりかかったのだが、その前、先々週の週末がポイントだった。ポイントと言っても何か大きな事故に遭った訳ではなく、言ってみれば“いつもの”腰痛の延長線上にある。

 端的にいえば、状態が悪すぎたのだ。普段から腰の左側には鈍い痛みがあり、左脚全体に焼けるような痺れが走っている状態ではあった普段から。その他でもしばらく座っていると腰の中央付近が痛くなり、思わずトントンと腰を叩くのがクセのようになっていた。
 その「腰中央付近の痛み」が特にひどかったのが、先々週の週末だったのである。その時の様子を言い表すと「立っても座っても、横になってても痛い」である。決して誇張した表現ではなく、本当に歩くのも億劫になるような状態だったのである。そこで、事ここに至っては致し方なしということで、カイロプラクティック院に行くことにしたのである。

 症状を伝え、色々と状態を確認したところ、どうやら骨盤がポイントらしい。骨盤の右半分が後傾左半分が前傾しており、要するに“ねじれ”ている格好で歪んでいるようなのだ。その歪んだ状態の骨盤に背骨が乗っかっているわけで、そんな状態では当然安定しない。「腰中央付近の痛み」とは、この骨盤と背骨とが繋がっている関節のところで痛みが出てしまっているのだった。また不安定な骨盤に背骨・首・頭が乗っかっているため、当然これらも安定しない。背中から首にかけて歪みが出るのは当然と言えよう。
 その他にもグラつく腰の関節を止めるため関節周辺の腱や筋肉ががちがちに緊張した状態になっており、これらに引っ張られるカタチで周辺の筋肉の張りや神経の圧迫、脚部の痺れへと繋がっている状態だった。更には内臓の弱りの兆候も見受けられ、ここまでくれば最早ごめんなさい以外の言葉が見当たらない

 一連の施術を終えて帰途に就いたとき、「うわっ」との声とともに思わず笑みがこぼれた。とにかく身体が軽いのだ。それまでは痛みや痺れが常態化しており、常に違和感を抱えた状態で歩いていたのだが、そうした痛みや痺れが取れたため、見違えるように歩きやすくなっていたのである。これには感動すら覚えるほどの衝撃を受けた。それまでは「人間誰だって、20分も座ってりゃ腰が痛くなる」あるいは「買い物とかで30分も歩けば、みんな脚とか痛んで重たくなってくるもんだ」と本気で思っていた。なので映画館などで周囲の人々がじっと同じ姿勢で座っているのを「なんて我慢強いんだ」と驚嘆の眼差しでみていたものである。しかし今回の治療で、それは決して一般的な感想ではないことが分かった。まさに大収穫である。

 とはいえ十数年かけて歪んできたものがただ1回だけの施術で完治するはずもなく、また元の“悪い状態”に戻ってきてしまっている。しかし先々週の様な「何をしてても痛い」というような状態ではなくなっており、確実に改善の方向に向かっている。日ごろの生活習慣を見直しながら、じっくり治していかないと。せっかくの機会だし、もうあの辛さは味わいたくない(苦笑)。  

2008年06月17日 20時16分44秒



 こんばんは、つくりが雑な「愛に生きる男」であります。この“つくりが雑”、“屈強なのに、なにかと故障が多い”と評判の私の身体に与えられた称号です。実際いまも腰痛の治療中ですが、故障の原因の一端が骨盤の歪みと各関節の可動域の狭さ(硬さ)にありそうなのは分かってきました。肉体改造しないとね。メカに。


 このところ、よく釣りに行っている。以前からそうではあったのだが、先月あたりからよりコンスタントに行くようになっているのである。一緒に行く相棒は「ten」で、双方の休日の早朝に出発。満潮に合わせておおむね午前中いっぱい釣りをして、昼食→温泉(必須)と消化して夕方に向けて帰着するという、ある意味極楽コースである。

 以前ここでも書いたように、私の釣りは先輩であり友人の「Sさん」に教えてもらったのべ竿でのつり(通称“迫式”)に始まっているが、この数年はルアー釣りにハマり、そちらがメインになっていた。主にメバルやカサゴを狙っていたのだが、あまり釣果が伸びないちょっと気分転換をしてみようということで、現在は“サビキ釣り”を行っている。

 このサビキ釣り、ポイントは「簡単かつ、釣果がカタい」という点にある。そのため家族連れでのファミリーフィッシングの代名詞ともなっている。しかしファミリーに向いているだけでなく、ちゃんと“狙った”本格的な釣りもできる釣法である。初めのうちは釣り方を確かめながらのおっかなびっくりだったが、次第に慣れてきて、今では私も素人なりにもそれなりに“狙って”釣りができているように思う。前述のようにやり方も簡単でルアーでの苦難の日々とは違って釣果もしっかりついてくるので、本当に楽しく釣りができているのである。

 最近行っているこの釣りの場合、問題は体力の面。早朝、それこそ遅くとも6時には家を出て、釣れ具合にもよるが、だいたいの場合で午前中から数時間竿を振り続ける。釣り場のゴミを片付けて道具を拭いたりしてから現場を後にして、遅めの昼食の後に温泉につかる。そう、確実に眠気が襲ってくるのだ。温泉施設の休憩所などでつとめて休息を取るようにはしているものの、前夜は確実に寝不足気味であり、そこに襲いかかる疲労と満腹感、そして温泉のトリプルパンチから生み出される破壊力は推して知るべしであろう。幸いこれまでに危ない目に遭ったことはないが、事故は不意に襲われるからこそ事故。ここには細心の注意を払わねばなるまい。

 ちなみにこれまでの最高釣果は20匹。この時はまだまだイケそうな感じがしたので、次回が楽しみである。

 

2008年06月24日 21時05分55秒



健康を保つことは、
自己に対する義務であり、
また社会に対する義務でもある。
―――――フランクリン
2008年07月02日 19時15分07秒






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