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愛に生きる男の過去日記
2007年9月1日『越』〜2007年11月14日『粋』



 こんばんは、愛用の一眼レフ「SR-1」が帰ってきて嬉しくてたまらない「愛に生きる男」であります。早速フィルムを通して何枚か撮ったとこですが、もう少し撮り溜めてから現像に出そうと思っているところ。ファインダーを覗き込み、ピントを合わせていく感覚が懐かしいです。


 以前から折に触れて話してきたが、現在こっそりと引越し作業を進めている。既にベッドも搬入・組み上げ済みで、いよいよ作業が本格化してくるところである。
 現在の私の居所は書斎スペースと通称「ひげ基地」と呼ばれる居住スペースとで構成されているのだが、今回の引越しではその2つの部屋を1つにまとめる。そのため現在は2つの部屋に分散して格納されているモノたちも、当然1つの部屋の中に納めなければならない。かつて「だいき」をして「しっかし来る度に思うけど、この部屋はどんどん基地化してってるよね」と言わしめた事からも推し量られるように、現在の2つの部屋に隠された収納されている物の量は尋常ではない。そのため必然的に物量の面において相当程度の圧縮が不可避であり、これが現在私の頭を悩ませている問題である。
 私の場合も他の引越しの例に洩れず、衣類と書籍類がポイントとなる。
 衣類については、かつて「体重の増減幅22kg」を経験したことから、一度買った衣類をなかなか捨てられないでいる事が影響している。この22kgという数字も、身長が現在の数値に落ち着いてから経験したものであり、当然体重の増減に従って体格も変わり、服のサイズも乱高下した。これが比較的短い期間のうちに起こっており、そのため「今は無理でも、また着ることがあるかも」という考えがどうしても働いてしまうのである。結果、使用頻度が極めて低いにもかかわらず、なかなか捨てられない衣類が結構な量に膨れ上がってしまっているのである。しかしここ数年の傾向を見ると体重の増減も数キロの範囲で収まっており、服のサイズもそれほど劇的に変化はしていない。それを考えると、これは不良在庫余った衣類を整理・一掃する絶好機と言える。
 そして衣類よりも状況が深刻なのが書籍類である。理由は単純明快、研究関連の書籍や論文の類が多いのだ。また研究関連以外にも、小説の類やバックナンバーを大量にそろえている雑誌、漫画などもあるので、それらだけでも結構バカにならない量になっているのである。衣類と同様これらも使用頻度などで優先順位をつけて整理する必要があるが、研究関連のものの中には資料的価値のある物も含まれているので、実際に“モノを減らす”という作業を進めるにあたっては相当難航することが予想される。しかし避けては通れない道であり、ここは腹を括って取り掛かるしかない。気は重いけど…。
 この他にも最近、「ひげ基地」における存在感においてメキメキと頭角を現してきたのが「写真関連」のもの。カメラ本体に加えレリーズや三脚などの撮影用器具、これまで撮ってきた写真とそのネガフィルムなど、個々の大きさはそうでもないが、改めて整理してみると結構な量がある事に気付く。またこれら写真用品は、総じて湿度管理などの点で比較的取り扱いに気を使うものが多いのが特徴である。「釣り用品」も最近徐々に勢力を拡大しつつあるが、これは“量”というよりもその“大きさ”が少々厄介である。ロッドは収納しても1mを超えるし、小道具を入れておくツールボックスも現状で既に部屋の中を転々と移動し続けている事から推し量られるように地味に邪魔である。また「-R」を含めて500枚以上あるCD・DVD類は、“収納”というよりは如何に“整理”するかが大きな鍵となるように思われる。
 以上で見てきたように、私の引越しには立ちはだかる障害が多い。否、引越しとは概してそういうものであり、私の場合も同様であるというだけでもあるだろう。しかし皆さん身をもって御存知のように、必要に迫られないとなかなか動かないのは人間の悲しい性。ならばこの機を捉えて何とかしてやるのが十全の策の端緒となると言えるだろう。この期に及んでイマイチ乗り気がしないというのは、もはや公然の秘密である。  

2007年09月01日 21時52分40秒



 こんばんは、週末に行った「cornel」のライブの余韻から未だ醒めやらぬ「愛に生きる男」であります。ライブの会場で買ったCDを聴きつつ、昨日は午後から本川町方面まで自転車で。風も涼しげになってきたし、いい感じでした。


 その「cornel」のライブ、非常に良かった。極めて月並みな表現だが、こうとしか表現し難い。演奏技術がどうだったとかそういう難しいことはひとまず置いといて、とにかく“イイ”のだ。彼の前作を聴いた時にも「うわぁ、」と思ったのを覚えているが、今回のライブでも同じような感覚を抱いた。歌声に込められるのは等身大の彼であり、恐らくはその彼自身がまだまだ大きくなろうとしているのだろう。ゆえに、聴くたびに驚かされる。そんな男である。

 思えばこの数年来、ささやかな私の人生の僅かばかりの節目の多くに、彼の歌が一緒にあることに気付く。全てが耳に優しい言葉が並ぶ応援歌という訳ではなく、痛いところも突かれてきたしもちろん力ももらったりと、まさにその時々“一緒にあった”という印象である。今回のライブでもその感覚は変わることはなく、“響くもの”を感じた夜だった。

 不意に見上げた青空、その青さを忘れたくない。そんな感覚を覚えた夜だった。  

2007年09月10日 23時52分10秒





 更新間隔が空いてしまいました。こんばんは、やっぱりドライブが好きな「愛に生きる男」であります。先日ちょっと時間があったので、フラッと足を伸ばしてみました。画像はその時に通った道なんですが、当日も気温は30度超え。しかしこのくらいの山あい・木陰になると、空気もひんやりして暑く感じないんです。途中で滝も見たし、いい気分転換になったかな、と思いました。
 ところでHPの表紙にも載せてありますが、映画『不都合な真実』の上映会を行います。地球温暖化についてのドキュメンタリー映画で、できるだけ多くの人に観てもらいたいと思っています。お時間ある方はぜひ足をお運び下さいませ。


 以前にも書いたが、現在「ひげ基地」の移転作業を進めている。既にベッドのみ先行して搬入済みだったのだが、今週机やワードローブ類も設置し、だいぶ“部屋らしく”なってきた。これから物の移動を進めて行って、徐々に“部屋”から“基地”へと進化させていこうというところである。最大の懸案事項であるはずの書籍の収納先が全く白紙の状態という点には、もうしばらく目をつぶっておこう。そうしよう。
 今回の移転に際しては「モノを減らす」という点も重視している。新居では収納場所が前以上に少ないという点を考慮するとモノ減らしは不可避の作業ではあるが、そういう事情のほかに個人的にも物を減らしたいと考えていた。理由は極めて単純で、その部屋の住人が見ても無駄なものが多すぎるのだ。今ここで思い出すだけでも六法の本が3冊はあるし、何年も袖を通していない服、使っていないカバン類、ココではとても書けない“何か”など、そういったモノの枚挙に暇が無いのが実情である。なのでここはひとつ、過去を清算要るモノ要らないモノの整理をしてやろうと思っていたのだ。
 こう高らかに宣言してはみたものの、案の定、ってか予想通り作業は難航している。最も大きな障害はあまりの量の多さなのだが、これは当初から予想されていたこと。多いゆえに色々整理せねばと考えたのだから。今までにも何回か基地内の無駄なものの粛清を行ってきたが、その時にスローガンとして掲げているのが「“使うかも”は使わない」である。色々と考えた結果「また使うかも」という考えで保管している物が非常に多い事に気付き、その状況を打開するために辿り着いた結論である。しかし今の惨状が数次にわたる粛清の末に現出している状態である事を考えると、ぶっちゃけ効果の程は未知数。いや、要は私自身の問題だってのは分かっているのだが…(苦笑)。  

2007年09月22日 00時15分11秒



 本日より三日間の日程で関東遠征であります。今回は「だいき」の結婚式、ワヤしてやりたい気もしてますが、その辺は「jp」たちがヤッてくれると思います。
 遠征には底面ビス落下でおなじみのPCは帯同しないので、その間はいつも通り「雑記帳」にて遠征記をリアルタイムに更新の予定。また遠征記は過去の東京編(2006年5月、2007年2月)、沖縄編(2006年7月)が一部コアなマニアの間で高い支持を頂いております。ヒマなお時間ある方はそちらもどうぞ。

 いってきまーす。  

2007年09月28日 9時46分06秒



たどり着く先にあなたがいなければ
私にとっては何の意味も無い
―――――S51
2007年10月5日 10時07分01秒



 またちょっと間隔が空きました。こんばんは、かすかに色付き始めた銀杏の葉に来るべき彩りの秋を思う「愛に生きる男」であります。ただでさえ余裕が無いここ最近ですが、10月後半から11月は色々と忙しくなりそうな予感。自分を見失わないように気を付けねばと思う今日この頃です。


 このところ、といっても数ヶ月という単位なので結構長い間ではあるが、全体的に低調である。特別“何が”という訳ではなく、全体的に波に乗り切れない。特別な何かが原因として横たわっているのであれば、そこを集中的に叩くことで状況の打開を図ることは可能である。が、漠然と“全体的に”というあたりが現在の状態の深刻さを物語っていると言える。その中にあっては、先月の「だいき」の結婚式や日々の友人たちとの語らいなどはまさに至福のひとときである。

 こういう場合は経験上、外因的にもたらされるのではなく、私自身に内在するものが原因となっている事が多いように思われる。別の言い方をすると、自分の在り方に対する葛藤とすることもできるだろう。mixiでは「内的自己と外的自己」という言葉を使っているが、これも妥当する表現である。その葛藤・相克も単一の事象に原因するものではく、内外あらゆる角度から自己に関係する様々な事柄が複合的要因となって、一種の圧迫感・閉塞感を生んでいると考えられる。

 こうした圧迫感や閉塞感に対し劣勢に立たされているが故に感じる「低調」なのだろう。そう感じるのならば、打開を図るのもやはり自分でなければならない。苦境にあってこそ真価は問われる。必然と捉え、突破を図らなければなるまい。



 ならば、ロックだ。



 ロックは本来、抵抗と希望を歌う音楽である。陰鬱とした現状に抗い、展望を開く思想が必要なのだ。どこか気の利いた風な、現状に対する悲観的な観測のみからでは、何物も生まれ得ない。しかしそこに一分の真実があるならば、地歩を固めて前進することができるだろう。その行進曲であり凱歌であるのがロックなのだ。行き着く先が見えている訳ではないが、状況を変革する力を。動態を失ってはならない。  

2007年10月13日 15時56分21秒



 こんばんは、今年もドラフト会議にもれた「愛に生きる男」であります。しかし指名されたところで、けっこう故障があります。パッと思いつくだけでも膝、腰、左足首、顎関節、性根意地…と、枚挙に暇がありません。この故障の多さ、プロスポーツ選手なら開幕前のキャンプの時点でカットされること請け合いです。


 コーヒーが美味い季節になってきた。

 もっとも、コーヒーにはホットだけでなくアイスもあり、缶などを考えると年中楽しめるのも事実。しかし私個人としては「コーヒーは、夏でもホットをブラックで」というこだわりがあり、訪問先などで出されたもの以外ではアイスコーヒーやミルク等が入ったものも飲まない。こだわりと言っても、アイスは好きじゃないし牛乳は飲めないという極めて単純な理由なのだが。ともあれその点からすると“まさに”美味しく飲める季節が到来したと言えるだろう。

 「cornel」のブログに素敵なカップが載っていた。私は詳しくは知らないのだが、どうやらデザイナーもののようである。あいにくメンテ中のトラブルで過去のエントリーが消えてしまったらしく現在はその画像を見ることはできないが、白と黒とが対になったシンプルなカップだった。

 私がコーヒー用に使っているカップは、主に2つ。一つはケンタッキー・フライドチキなんとかという店でノベルティにもらったもので、いわゆるマグカップ。コーヒーだけでなくカップスープなどにも広く使用している使い勝手のいいカップである。そしてもう一つは、もう10年以上前に友人がくれたもの。やや小ぶりで、コーヒーを飲むのにちょうどいい大きさが気に入っている。

 いま、バックではChris Reaの「Driving Home For Christmas」が流れている。時季からは2ヶ月ほどフライングしているが、大好きなクリスマスソングの一つである。印象的な出来事はあるし、後悔する事なんぞ数え上げたらキリがないほど。それら全てが現在の自分を形作っている、まあそれは確かだし大切な事なのだが、「んー、まぁそうカタイことはちょっと抜きにして、ね。」と思いたくなるような曲。冬の曲なのだが、とてもあたたかい。まるでホッと一息つくコーヒー、この時ばかりは多少はミルク&砂糖入りでもいいかもしれない。

 孤独感に苛まれる瞬間もあるが、こういう曲、それとともに頭をよぎるあたたかな思い出が私を支える。それは過去に対し過度に耽美になるのではなく、ひとときの安息をもたらしてくれるもの。疲弊した自己に対する、せめてもの思いやりであろうか。  

2007年10月21日 23時10分30秒



 こんばんは、不覚にも日付が変わる前に寝てしまった「愛に生きる男」であります。普段は2〜3時に寝ては6時半〜7時半に起きる生活リズムが身についていて、むしろ下手に23時台とかに寝ると落ち着かない。ですが昨日は疲れがたまってたのか、夕飯後にすうっと意識が遠のいたのでした。だからって最近更新間隔が空き気味だって事の言い訳にはならないんですが。


 気が付けば10月も終わろうとしている。10月が終わるということは11月に入るということであり、すなわち2007年も残り2ヶ月しかないということ。やり残していることは無いか?

 そう自問自答したところで、当初描いていた青写真通りに物事が万事うまく進んでいるわけもなく、やや地味にヘコむ。そうではなく、“できなかったこと”よりもまずは“できたこと”に目を向けようと思う。「臭いものには蓋」ではなく、まずは積極的材料を揃えよう。徒に自己を締め付けるだけでは推進力すらも削がれてしまい、単なる自縄自縛に終わってしまいかねない。そうならないよう気をつけながら、また手にした積極的材料に溺れてしまわないよう、自らを律することが肝要と言える。

 その時に気を付けようと心掛けているのは「負け惜しみにならないように」ということ。“言い訳”という奴はしばしば(あるいは多くの場合)、あたかもそれが必然の流れであったかのような錯覚を抱かせる言葉とともに現れる。そうした不要なものを慎重に解いてゆき、核心に迫る。それが反省という作業の本質的な姿ではないだろうか。もっとも、それが全てを表すのではなくあくまで全体を構成する一部分でしかないのだが。

 そしてこの作業は、「自分自身と正面から向き合う」ということと重なる部分が多いように思われる。無防備な自己と本気で向き合うとき、そこにはゴマカシは効かず、場合によっては過酷な闘争が待ち受けることもあるだろう。しかし、そういう場合でも対峙せざるを得ない局面はある。その時にたじろぐ事なく前に一歩を出せるか。

 まあ、行くしかない時はどうあっても行くんだけども(笑)。  

2007年10月31日 23時09分20秒



 こんばんは、カープの新井のFA宣言に脱力感漂う「愛に生きる男」であります。黒田もメジャー移籍が濃厚だし、カープはどうなってしまうんだろうと考えてしまいます。でもまあ、プラスに考えこれも一種の「劇薬」と思えば、来季に向けてまた楽しみも増えてくるでしょう。


 そのカープの新井のFA宣言。テレビで会見の様子を見たが、今どきあんな会見は珍しいんじゃないかと感じた。このところのプロ野球を巡る会見モノで見られるものと言えば「いや、別に」のようなどこか無表情で口をつぐむ選手や、背景で動いている金額の話ばかり。球団への愛着から涙を流しつつ、悲愴感すら漂う今回の会見の様子は、自分がカープファンであることを差し引いても、やはり近年においては非常に特異な例と言えるだろう。

 今回の会見の中で印象に残ったのは、彼の発した「野球人として前に進みたい」との言葉。ニュース等でも比較的取り上げられていたフレーズである。

 私と彼は同学年。もちろん個人的な面識は無いのだが。その彼が言った「前に」との言葉が重くのしかかる。程度や状況の違いこそあれ、自分が同じような境遇に立った時にそう言い切れるか。

 私も前に進まねばならんのだ。  

2007年11月08日 23時16分11秒



 こんばんは、トップ画像の赤シャツの処遇を検討中の「愛に生きる男」であります。有力なのは「衣類箱の奥底深くにしまう」「潔く捨てる」あたりですが、「来季市民球場に観戦に行って、負けた時にグラウンドに投げ込む」というプランもあります。が、マナー的にもよろしくないのでこの案は却下ですね。


 最近、あまり酒を飲んでいない。
 そう聞いて耳を疑う人もいるかもしれないが、事実である。特に理由がある訳でもなく、敢えて言うなら「なんとなく」だろうか。今年は猛暑だったこともあり、夏の間はビールをよく飲んだ。本当に。しかし秋口から徐々に量が減り始め、最近では自宅で晩酌などは珍しい例となっている。飲み会でもあれば飲むのだろうが、その飲み会もそんなに頻繁にあるわけでもなく。結果、酒を飲むことが少なくなっているのである。

 酒と言えば、私には一つのポリシーがある。
 私の部屋、通称「ひげ基地」はしばしば後輩が飲みに集まる場ともなってきたのだが、その際は決まって「ウチに軟弱な酒は無いけえね。要るんなら自分らで用意しんさいよ」と言っている。「ひげ基地」には常時酒が完備されているのだが、その様子を指しての言葉である。

 これの何がポリシーなのかというと、飲み方に鍵がある。私は酒を飲む時は、基本的にロック、もしくはストレート。これが40度を超えるウォッカでも、以前「masu」が潰れた“ウィスキーとしては最高度数”の57度のバーボンでも、やはりロック。要するに“何も混ぜない・薄めない”という事である。

 何故こうした飲み方をするのか。敢えて言うなら“気持ち”とでも言えようか。
 例えば先に触れた、「masu」が潰れたバーボンを例としてみよう。このバーボンの度数は57。かなり高い度数で、ワインや日本酒の約4倍。当然タンブラーなどでガブ飲みできるような度数ではなく、グラスで少しずつ飲むとしてもペースを考えなければならいんだよ、マス君。なのでアルコールに弱い人には少々厳しく、“飲む人を選ぶ”とも言えるかもしれない。
 しかし、実際飲んでいた私の感想なのだが、口当たりや味わいはその度数を感じさせないほどに柔らかく、自然に入ってくる。そして鼻に香りをくぐらせ、喉へと下っていく過程で、バーボン特有の焦げたような香りとともに度数ならではのパンチがガツンとやってくるのだ。非常に、旨い。少々値が張るのが難点だが、最も好きなバーボンの一つである。

 そして、ポリシーへと戻る。例えばこのバーボンが造られている過程へと思いを致す。このボトル、この量、この味・香り、この度数で世に出てきているということは、造り手の側としては“この味・香り、この度数がベスト”として送り出しているのである。ならば水で薄めたり何かを混ぜて飲むのではなく、ありのままの状態で味わうのが筋、いや“粋”というものだろう。自分で勝手に思っているだけだが、造り手の気概に応えようと思うのだ。そういう考えから私は、常にロックかストレートで飲むことにしている。

 さて、次はいつ旨い酒が飲めるかな。  

2007年11月14日 21時47分55秒






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