愛に生きる男の過去日記
7月23日『後』〜9月2日『飛』


 
 前に日記でも書いたゴシと琉球娘のもとへ嫁いだミントとバジル。二人から画像が届いたので掲載しようと思う。日付はどれも7月21日。

 まずはゴシ


ミント


バジル



 そして琉球娘のもの。


ミント


バジル



 画像を見れば、両家のもので違いがあることに容易に気付いていただけると思う。これをどう表現すべきか。ゴシのものが 貧相 小さい、ややはかなげというか、琉球娘のものが明らかにデカイと言うか。まぁ、両者を比べると、概してこういった具合になっている。

 私の経験上、ミントとバジルを育てるのには何も難しいことはない。ちゃんと水をやり、陽の光をあててやりさえすれば 軽くウザいくらい スクスクと育ってくれる。ホント、これだけ。逆に言えばこれを欠かしてはいけないのだが。
 で、それに肥料をやるとか、水やりを増やすとか、適当にアレンジを加えてみる。私の場合は月に一度追肥をやっている。また朝に水をやるのが日課だが、夜帰宅した際に土が乾いているようであれば少なめに水をやることにしている。この“水の2度やり”を始めたら、発育具合が何と言うか、たくましくなったような気がする。もっとも成長が未熟な段階では、根が十分に水分を吸収しきらないために根腐れの原因となることもあるようだ。逆にある程度発育が進むと、天気の良い日には、朝にちゃんと水をやったのにも係わらず夕方には土が乾いていることも。土より上の部分(つまり茎・葉の部分)が大きくなり、根からしっかりと水分を吸い上げるようになるためたっぷりの水が必要となるのだろう。

 とは言うものの、どちらも株分け・種蒔きから半月ほどしか経っていないし、まだまだこれから大きくなっていくだろう。
 ゴシは割と凝り性で、オムレツ専用のフライパンを持っているほど。バジルのオムレツなぞ、なかなか気の利いたもんじゃないだろうか。また琉球娘も友人が別のハーブを育てているのでお互い融通しあっていこうかと話しているそうだ。いいね。
2003年07月23日 08時51分39秒

 
 とりあえず、日記更新の間隔があいた事に関しては特に触れないで下さい。別に特別なことがあった訳でもなく、ちょっと更新のタイミングを逃してしまっていたもんで。


 現在論文を執筆中なのだが、いよいよ佳境に入って参りました(汗)。提出は秋なので、今年の夏 大学に入り浸りです(確定)。
 状況はと言いますと、そうだなぁ、速度は、順調です。ですが、これは目標到達度とは別の話です。例えて言うなら、「マラソンで、スタートしてから1時間半経った時点で20q地点を猛スピードで走っている」って感じでしょうか。ええ、遅れに遅れまくってます。一昨年には体調を崩して入院などをしていたためにその分の時間的ロスがあるとは言え、結局は自分の体調管理の問題だし、それを逃げ口上にしていくなんてあり得ない。時間とのマッチレースの様相を呈してきておりますが、とにかく、頑張るしかないのであります。このところ体力的にも、「のめり込み」具合にも結構いい感じになってきているので、この調子を維持して一気に押し切ってやろうと思っております。

 で、その論文執筆の相棒がこのペン。



万年筆であります。


 この万年筆、買ったのは確か99年の年末だったと思う。市内の某ショップで何本も試し書きをした上で「これだ、」と意を決して購入したもの。万年筆の相場からするとそうでもないのだろうが、私にとっては結構勇気のいる買い物だった。大学院に入った時、恩師である毛利敏彦先生から 「我々の様な者の場合、生涯のうちで良い筆記具と良い椅子を見つけることが一つのテーマになるんだよ」 と言われたことがあった。その後先生の著書を購入したのでサインを頂こうとペン持参で伺ったところ「これが君の“1本”になるんだね。うん、良いと思えるものに出会えてよかったね。」とのお言葉を頂いた。これは本当に嬉しかったし、だからこそ特に愛着が湧くのだ。それからというもの、研究ノートの作成や修士論文執筆などコイツ無しでは乗り切れなかったと思う。

 ボディは細身で、ペン先も細いタイプ。使い始めた当初は何だか「ひっかく」ように書いていたが、例えばペン先が紙に当る心地良い接触感覚、例えば書き始めた時のペン先が流れる感じ、今ではどれもよく馴染んでいる。勿論不満が無いわけではないが、この“所有者に馴染む”という感覚、これこそが万年筆の醍醐味だろう。
 言い遅れたが、私は論文を書く際、まず手書きで始める。それを順次打ち込んでゆき、その過程で推敲・校正も行っていく。すると論文やショートエッセイの類のものに取り掛かっている時は膨大な量を手書きで綴っていくことになるので、だいたい腱鞘炎気味になっている。だからこそ、である。頼むぜ、相棒。
2003年07月31日 00時44分53秒

 
 
愛を求める心は、
悲しい孤独の長い長いつかれの後にきたる。
それはなつかしい、おおきな海のような感情である。

―――――萩原朔太郎
2003年07月31日 23時24分29秒

 
こればっかりは私一人ではどーしよーもないんで…



みなさん質問してください(泣)。



よろしくお願いします。
2003年08月06日 23時01分28秒

 
 間で 手抜きの シンプルな更新はあったものの、ちゃんと日記を更新するのは久し振りであります。今日もゴシに「更新滞ったらサイトの価値下がりますよ!」なんてことも言われまして。いやはや、まったくその通り。勉めて適度に更新を入れていこうと思いますので、愛想尽かしたりせずに今後ともよろしくお願いします。


 土曜に、車絡みでちょっとしたトラブルに見舞われた。トラブルと言っても事故とかではなく、まぁ言ってしまえば故障なのだが。

 その日も起床後、「ひげ農園に水やり→朝食→筋トレ」といつもと変わらない日常のスタートだった。この土曜日は朝から快晴で気温もグングン上昇し、筋トレなどをしていると汗も“額にうっすら”なんて程度では済まないほど。拍子抜けに終わった台風10号一過の、遅ればせながらの夏空到来といった感じだった。
 筋トレを済ませて汗を拭いたり何だかんだしていたら、家を出るのが11時ごろになってしまっていた。この日は横須賀から従姉妹が来きて、彼女が空港からリムジンバスで広島駅まで来てそれを私が拾って帰るという予定だったため、夜は比較的遅めまで大学に残るつもりだった。だから特にスタートが遅くてもいっかぁ、と油断していたせいだろう。
 11時に家を出ると、大学到着がだいたい昼前後になる。そこで私は考えた。


『昼メシにお好み焼きを持ち帰りで買って行こう(悦)』


 この陽気だ。お好み焼きを買っていって大学近辺の公園などで食べるなんて絶対にイイ。行き付けのお好み焼き屋さんが大学の近くにあるので、移動時間を考えたら事前に電話で頼んでおけば行ってすぐに買って帰ることができる。私の心に一点の迷いも無かった。
 そしてふと思った。本学 新井 荒井ゼミ室には、私と同様土日もほぼ毎週大学で勉強しているという院生(修士課程)がいる。仮に彼をY領さんとしよう。他県出身の彼は某JRの駅付近に住んでおり、しばしば大学の帰りに乗せて帰ったりしている。そのY領さんが大学に居るようなら、彼の分も買って行ってはどうかと考えたのだ。早速Y領さんにその旨メールを送り、私は荷物を作って駐車場にある愛車(ひげ車)のもとへと行った。荷物も載せさぁエンジンを掛けようかという時に返信が届いた。何でもまだ自宅に居るそうで、できれば買って欲しいとのこと。だがまだ自宅ということなら、普段とは逆ルートで彼を拾ってから一緒にお好み焼き屋行きその足で大学に向かえばいいじゃないかということで、彼を迎えに行くことにした。
 特に何事も無く合流し、店に電話をして持ち帰りでの注文を入れておく。ちなみに私はいつも通り「そば肉玉・野菜W・モチ・イカ天」、Y領さんは「そば肉玉・イカ天・ねぎ」を頼んでおいた。
 予想通り時間はドンピシャで、お好み焼きを買ってから改めて大学に向かうことに。その途中でお茶などを買いにコンビニに寄ることにした。


 そのほんの10分足らずの間に、それは起こった。


 “さーコンビニが見えたぞー”といったタイミングの時、何気なくひげ車のメーターパネルに目をやってみた。すると水温計の針が4分の3くらいの位置まで上がってきていた
 思わず「うわっ!」と声を上げたあと、とりあえずは目的としていたコンビニに入ることにした。お茶と夕方用のおやつを買った後、大学に向けて恐る恐るエンジン再始動。色々と確かめた結果、エアコンを入れると水温が異常に上昇する模様。そんな状況に激しくブルーになりながらも、とにかくお好み焼きを食べた。

 実はこのひげ車、同様の症状では前科がある。昨年のちょうど今ごろ、浜田で同じような症状に陥ったのだ。その時はエアコンをOFFにして回転数を上げないよう注意しながら走行することで何とか広島まで戻ることができた。だから今回の事態に対しても、そこそこ走れるのではないかという推測はできたのだが如何せん同じ箇所の同じトラブルなのかが分からない、さらに既往症の再発という現状に、ただただヘコむばかりであった。

 その後整備工場に行き診てもらったのだが、予想通り、ほぼ症状は同じだった。
 ひげ車のラジエーターには冷却用ファンが2基装備されている。1基はエンジン始動とともに常時回転し基本的な冷却をし、もう1基は猛暑の夏やエアコン使用時など1基では冷却が追いつかない時にパーシャルで回転する仕組みになっている。今回この2基のうち、基本となるべき1基めのファンが動作していなかった(汗)。昨年の時はファンモーターそのものの故障だったのだが、今回はちょっと様子が違っていた。整備にあたったディーラー曰く



「ハンマーでコンコンッってやったら動いたで。建て付けが悪かったんじゃろ。とりあえずコレで様子みてみんさい。」






 …そんなもんなのか(汗)?(・。・)

 私の車は大丈夫なのか???




 まぁ水温計とにらめっこしながら気を付けて乗っていれば、同じ症状であれば何とか対処できるとは思う。仕方ない、明日からはハンマー携行だ(汗)。古い車だし、こうやって付き合って行くしかないのだろう。それもまた、一興かな。

 ひげ車もさることながら、論文の方が火の車だし。よいよ、ほんまに…(泣)
2003年08月12日 00時04分14秒

 
 16日、広島市民球場に行った。
 この日は後輩たちが飲みを計画しており、私も声を掛けてもらっていたのだが、涙を飲んで辞退させていただいた(声かけてくれてありがとう。またよろしくお願いします)。

 一緒に市民球場に行ったのは、中学時代の同級生たち。もともと毎年盆と暮、年に2回だけ男4・女1の計5人が集まって延々と飲み続けるのだが、そのうち一人がこの3月にゴールイン、お盆ということで挙式後初めて「二人」で帰省して来たのだ。ちなみに前回の飲みは、私が年末年始にかけてSARSが猛威を奮う直前の北京に遠征していたため暮ではなく年初に行われたが、その時にも既に入籍を済ませていた新妻同伴だったため、その回からメンツは5人から6人になっていた。
 ダンナは大学から社会人となった現在まで東京(含・埼玉)で、新妻は生まれも育ちも東京。そこでこの夏の「会合」の話が持ち上がった時、メンバーの中のある男から


「今度の飲みの時、市民球場行くってのはどんなかね?広島の熱いところ見しちゃろうや!!ってゆうかその時試合あるんかね?わからんけど幹事よろしく。」


 というメールが来たのだ。
 最後の一行には目をつぶりつつ、その旨を皆に転送したところ早速返事が来た。


「その案は二人とも大賛成よ!幹事よろしくね!」

「いーねー。うちも行きたい思いよったんよ。後はよろしくお願いします。」


 あまり深くは考えないようにした(汗)。いや、いいんスよ、慣れっこですから。その代わり 文句言うヤツはブチ殺す 苦情とかは一切受け付けないってだけですから。まぁそれを承知でみんな言ってくるんだし(笑)、それにだいいち気心知れたやつらなのでこっちも気軽にやってることだし。

 試合はあいにくの雨で途中で1時間の中断。せっかくみんなで集まったんだしこのまま時間ばかり潰しても、ということで潔く球場を後にし飲みに切り替えた。
 毎回集まっては、特に「今回はこの話題について!」てなのも無くダラダラと飲み続けるのが恒例となっている。先述の結婚式には本人を除いた4人のうち私を含めて2人しか出席できなかったため、その時の様子が話題に上った。が、まぁおおむね他愛の無い話を延々として、みんなホロ酔い気分で帰途につくのだ。私以外のメンバーは全員既婚者とか、うち一人は長女がこの春小学校に上がったとか、そういう細かい情報はともかくとして、なんかカラミにくかった 今年もコイツらと飲めて、いい盆だったなぁと思った。毎年同じなんだけども、それが良い。コイツらとは死ぬまでこうなんだろうなぁ、と思う夏の夜でありました。


☆★☆★☆



 さて、例の『愛に生きる男になんでも聞いてみよう(仮)』のコーナー構想ですが、質問の集まり具合が依然として低調です(汗)。これまでに質問をして下さった方々、どうもありがとうございます。時間を見つけては鋭意「回答編」の作成に取り掛かろうと思っております。

 で、質問が集まらないからと言っていつまでもダラダラとしているのもどうかと思うので、

今月末をもって質問受付を締め切るぞー


 ということにしようかと思います。あんまり引っ張り過ぎてもダレてきますし、早々に質問をくださった方々に対しても失礼かなーって思うので。
 よろしくお願いします♪
2003年08月20日 00時33分13秒

 
最近、風呂に関してふたつ。


一つ目は、数日前のことだ。私はいつものように体を流してから湯船につかり、「や〜れやれ、」ってな感じでくつろいでいた。

体が温まったので湯船から洗い場へと出た時だった。端に置いていた浴槽のフタのあたりから、何か黒っぽい物体が洗い場の方へと飛んだのだ。しばらく考えたのち、さてはと思いその黒い物体をよく見てみた。

そう、ゴキブリだった

ご存知のように私は目が悪いので普段は眼鏡をかけて生活している。が、当然の如く洗顔、就寝などの時は眼鏡は外す。入浴もまた然り。そのための確認に多少時間がかかったのだ。

しかしを発見はしたがじっと排水口の方に留まっていて別段害もないし、私自身も、そりゃ好んでと接するわけでもないし嫌なものは嫌なのだが、お互い干渉せずに同じ空間に同居するくらいは問題ないことなのでそのままゴシゴシと体を洗い始めた。

ふと見てみた。さっきまで排水口の脇あたりに居たはずのがいない。その瞬間、スネのあたりに何かが触れる感触をおぼえた嫌な予感は的中した
咄嗟に持っていたタオルで払い除けたのだが、それと同時にある決断が為された。



水攻め()の刑に処す。




当初は暗黙のうちに不可侵協定を結び、友好的な関係のままその場をやり過ごすはずだった両者だったが致し方ない、彼方の一方的な、予告なしの領域侵犯という事態に際し、私はやむなくシャワーをその手に取った。


シャアァァー…


勢いよく噴出される水()から、は何とか逃れようとしていた。が、その時の私の辞書に、“容赦”の二文字は存在しなかったが力を失いその動きを止めるまで、然程時間を要すことはなかった。
そして私は割り箸でをつまみ上げ、ティッシュに包み丁重にゴミ箱へと葬ったのだった。



そして二つ目。これはかなり深刻だ。


みなさん、髪は洗いますよね?


この一文だけで既にピンと来た方も多いだろうが、ええ、その通りだ(汗)
何も特別なコトをしているわけではない。シャンプー、リンスとも市販のスー○ーマイルドという奴だし、洗い方にしてもそんなに奇妙な洗い方をするほど器用でもない。ざっと水洗いした後シャンプー→リンスと進み、最後にリンスを洗い流す。特にこれで間違ってはいないと思う。

シャンプーで髪を洗っている時だ。泡だらけになった手を、ふと眼前に持ってきてみる。


いち、にい、さん…


はっきり言おう、抜けてる(大汗)
他に抜けてる人の話をあんまり聞かないので、自分のいまの状態が別に気にするほどのことでもないのか、それとも今すぐにでもあの『かけてミホ♪』とかいうところにヘアチェックの申し込みをしなければならないのかは分からない。まぁ夏だしけっこう日光ガンガンに浴びている上に洗髪以外のヘアケアを全く行っていないので、自然の新陳代謝と思おう。

念のために言っておく。

現時点で既に砂漠化が著しいとか、そういうコトではありませんので。

くれぐれもお間違えの無いよう(マジで)。
しかしもし「それ」が現実のものとなってしまったらどうしよう…






剃るか…?
2003年08月25日 01時20分39秒

 
 
そなたのために、
たとえ世界を失うことがあっても、
世界のためにそなたを失いたくない。

―――――バイロン
2003年08月28日 23時27分02秒

 
 
 先般告知したとおり、このあと今夜0時をもちまして「質問」の受付を終了いたします。フォームやメールで質問してくださった皆様、どうも有難うございました。これから論文執筆の合間を縫って、少しずつ回答編の作成に取り掛かろうと思っております。中には回答が長文になると予想されるものもありますので、こちらとしても気を引き締めていこうと思います。
 「回答編(仮称)」の公開日時ですが、上記から推知できるとおり、回答作成の進み具合によります。すなわち論文の状態に大きく左右されるということなので、どうぞ気長にお待ち下さいませ(汗)。

 さて皆さんに利用していただいた「質問フォーム」ですが、この日記のアップの後、閉鎖作業に取り掛かる予定です。一応「今月末で締め切り」ってことにしましたので。ですので遅くとも明朝には、「質問フォーム」からの投稿はできなくなっているハズです。ただし、いつの時点から回答作成に取り掛かれるかもはっきりしておりませんので、もしまだ質問したいのに…って方がいらっしゃいましたらメールで送っていただければ受け付けなくもないです。

 てな感じでございます。
 御礼と説明を兼ねて、本日の日記更新としたいと思います。
2003年08月31日 20時57分51秒



みなさんおはようございます。
先日お師匠様に『これまで書き上げた部分の全面的再構成』を命じられたなんてことはヒミツの「愛に生きる男」です。

めずらしく、午前の日記更新であります。


先日来、ちょっとした事情によりこれまで書き上げた部分の再構成を進めていたのだが、昨夜、それは起こった。

昨日は22時半ごろまでゴシと研究室でそれぞれの勉強をしていた。ゴシは経済学の勉強を、私は学部卒論の時から使っているノートPC「VAI男」を持ち込み論文の再構成を行っていた。

いい時間になってきてお互いキリのいい感じになったので、同じく別の研究室で論文執筆にかかっていたいつもお美しいえりこさんとともに大学を出、私は二人をそれぞれ送り届けてから帰宅した。これが23時半ごろだったと思う。

私は家族と同居なのだが、帰宅してからはまず夕飯を食べ、流しを片付けてから洗濯物を干し、それからシャワーを浴びた。これはまぁ、いつもの仕事だ。

問題はそれから。
なんだかんだで結構遅くなってしまい、「夜の部」に取り掛かったのが午前1時半ごろ。論文の内容を保存しているフロッピーを自室のデスクトップPC(自作)に挿入し、該当ファイルをクリック。


ガが、ガーガー、ガガ、ガーガー…


あれ、おかしいぞ?

私がパソコンに触れるようになったのはココまで普及するより随分前からで、パソコン歴自体は15年ほどになる。その15年の経験のなかで、「この音」がした時は絶対に良い事は無い、むしろ悲劇に見舞われることの方が確実なのだ。

それからあのテこのテを試してみるも、予想通り、状況は改善せず。ええ、ヤラレました。フロッピーの中身飛んじゃいました(泣)

それからはもー必死だった。学部卒論、修士論文の時も同様の事態に見舞われたことがあり、それ以来フロッピーとHDDの双方にデータを保存することを習慣づけている。昨夜は「フロッピーがあるし、ノートは置いとこう」ってことでVAI男は車の中に。急いでガレージへと走りVAI男を持ってあがり、起動(遅い…)。HDDに残しておいたファイルとフロッピーの中のものとを一つ一つ照合させ、何とか復旧に漕ぎ着けた時は午前3時になろうかという時間であった。

保存をFDとHDの2ヶ所に行っていたため最悪の事態は免れたが、やはり精神的ショックは大きい。FDはこれがあるから恐いんだよなぁ…。見事に功を奏した自らのリスクヘッジにカンパイ。
2003年09月02日 09時55分15秒




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