愛に生きる男の過去日記
2007年4月06日『桜』〜2007年6月16日『鍛』












 こんばんは、数年ぶりにこの桜並木が見れて気分上々の「愛に生きる男」であります。見ての通り川沿いなんですが、この上・下流および対岸にも沢山の桜が咲いています。この道は年に数回通るのですが、うまいこと桜の時期にあたったのは本当に久しぶりでした。非常に感慨深く、しばしの間ながめていました。


 いつものように車を走らせていていると、季節柄やはり桜に多く出会う。広島市付近では満開から散り始めで、早いものは既に葉桜になっている。ゆえに桜並木に沿った道を走っていると、自然、桜の花びらが舞い落ちる中を抜けていくことになる。桜吹雪という風情ではなく、はらりはらりと舞うイメージで。そんな雰囲気にのまれてか、不意に色々な思いが巡る。
 その多くのものは、以前から同じ事でもあるが、自分がどう在るかということについて。仕事のこと、将来のこと、夢のこと、好きだった人のこと、これからの自分について。それら全ての事々に対し、自分がどう向き合ってどう関わり合ってどう切り拓いていくのか。徒に結論を急ぐ気は無いが、残された時間があまり多くないことも事実。慎重かつ大胆に、柔軟かつ断固とした決意をもって臨まなければならない。
 一歩、最初の一歩目が最大のハイライトだろう。その踏み出す決意と勇気を絞り出す過程が、一般に“成長”と呼ばれるものの内でも、かなり重要な位置を占めていると思われる。苦悩と葛藤に苛まれて導き出す結論、そこに鉄より固い信念が備わっていれば、長い道のりも必ず踏破できるものと信じる。歩む道が未踏の地であるならば、真新しい大地に刻まれる足跡は常に“最初の一歩”となる。ならばその一歩を生み出す苦悩も葛藤も、先駆者が味わうことを許された最高の快感とも言える。

 前むけ、前。  

2007年04月06日 23時41分10秒







Minolta SR-1 (w/MD 50mm F=1.4)



 こんばんは、愛用の一眼レフが修理から帰ってきて嬉しくてたまらない「愛に生きる男」であります。シャッター幕の断裂の重傷から見事に立ち直ってまいりました。手にすると、十分すぎる重量感が懐かしく感じます(苦笑)。さっき何回か空打ちをしましたが、カシャンッという小気味良いシャッター音を響かせてくれます。この日が本当に待ち遠しかったです。


 桜を見てきた。この日記でも触れたことがある『行楽(ぎょうらく)』である。『行楽』とはろざべす、つ○さ、うり姉様の3人と私の総勢4人で何か理由をつけてドライブがてらベタに楽しむ的な自作自演イベントである。今春からつ○さが広島を離れたためメンバー構成に変動があったため、ろざべすの発案で『興楽(きょうらく)』と名称を変えることとなった。しかし変わった点と言えば」が消えただけであり、つ○さの存在意義は所詮濁点程度だっt覚えやすくて良い。
 なお冒頭で紹介した一眼レフが、我が家に届いたのは今日の午後。絶妙のタイミングで外された訳である。

 この『ぎょうらく』の最大の眼目は「全力で楽しむ」という点に置かれている。これまでもその時々のノリで決まるテーマに沿って各地を飛び回ってきた。時には崖上を走ったりもしたものだ。何か面白そうな事があれば飛びつく、こういう表現も『ぎょうらく』の性格を一面から言い当てていると言えるだろう。
 そして今回のテーマは「桜」、中でもとりわけ『“一本もの”の桜を見るべし』である。論より証拠、携帯デジカメの画像で少々画像が粗くて恐縮だが、まずは見ていただこうと思う。










 お分かりいただけると思うが、満開である。これはまさに日頃の行いの賜物だろう。この他にももう二本見に行ったのだが、こちらはまだつぼみの状態。見頃になるのは下旬に入ってからというのが私の予想である。
 ちなみに木の下でポーズをしてくれているのがろざべす、彼女との対比で、桜の大きさが推し量られるだろう。大きな木に出会うといつも思うのだが、長い年月を経てもなお精力を漲らせるその姿には、圧倒されると同時にその力を分け与えてもらったような気分になる。私が大きな木が好きな理由もここにある。


 余談だが帰途にnegi宅に寄ってみた。昨夏に忘れていって以来ずっと預けっぱなしだった帽子を、満を持して回収に向かったのだ。が、諸事情により本日の回収は断念することとなった。また遊びに行く口実ができたと考えれば万事OKだろう。手ぶらで急襲したにもかかわらず、初対面のろざべすとうり姉様をも暖かく迎え入れてくれたnegi夫妻に感謝。今度は何か持ってくね(笑)。  

2007年04月15日 00時47分02秒



 こんばんは、先週生徒からもらった風邪に苦しむ「愛に生きる男」であります。
 最近、特に顕著なのは2006年初にtenからもらった時からですが、風邪をひくと腹にクルようになってるみたいです。熱は普段から38℃でも「あーさむっ」だけで済ます程度で割と平気、また風邪と関係なく頭痛持ちなのでコチラも諦めている状態。以前から咳がひどくなって気管支炎に陥ることはけっこうあったんですが、これは冬季限定。お腹、ツライです。


 このところ、自問自答を繰り返す日々が続いている。
 自分について、基本的には楽観論者ではあるとは思うのだが、それと同じくらい物事を考え、考え込み過ぎて慎重になりすぎる事も多々ある。同時にこれは自分に限った話ではなく、人間誰しも持っている側面であると思う。この一般論を個々の特殊的事情に無条件に敷衍することはできないが、議論の“とっかかり”を作るための下地くらいにはできるだろう。
 できる限り客観的に見て、自分自身の今の状況は決して良いものではない。常日頃から全力で衝に当たる事を心掛けているが、それがあらゆるところで空回りをしているという感触である。しかし速度を緩めることもできず、ひたすら進むのみ。
 これがどういう事かというと、たとえば“燃料切れ”の恐れ、と言えよう。主体的意思として前進に全力を費やしている時、その過程に対して、あるいは行き着く決着について疑念が生じたとき、それはいつしか意思を原動する力に対する不信へと増幅される可能性がある。結論的に言うなら、自己に対する絶対的な自信、揺るがない精神を持つことがこの状況を克服する鍵となるだろう。しかしそこが揺らぐのが人間であり、その振幅の過程で自らの“守備範囲”が広がっていくものだと思う。すなわちこの空回りも、一定の必然性のもとで生まれたものなのだろう。ならば、受けて立たねば。
 結局こう考えると効果的な打開策は無いのだが、まぁ仕方あるまい。やるしかないんだってば。  

2007年04月22日 19時00分22秒



 こんばんは、昨日の市民球場で笑うしかないほど日焼けした「愛に生きる男」であります。日焼けの具合は「雑記帳」に載っけてます。リストバンドしてたんですが、いやー見事に(笑)。
 「勝ったら私のおかげ、負けたらmasuのせい」との鉄の掟で臨んだ肝心の試合は私のおかげで見事に勝利、何とか4月中に「三連勝」「対戦カード勝ち越し」ができてそっと胸を撫で下ろしているところです。そして今日も勝ったので、こちらも今季初の「3タテ」。いよいよ上昇気流に乗ってきた感じです、私のおかげで


 まずはこちらの画像をご覧頂きたい。









 ご存知の方もいるかも知れないが、これは我が家の台所付近。下からあおって撮っているせいもあるが、やや散らかっていて恐縮である。


 この画像、もう一度よくご覧頂きたい。




































あっ!!
 

2007年04月30日 23時45分21秒



血気の怒りは有るべからず、
理義の怒りは無かるべからず。
――――― 朱熹
2007年05月07日 23時27分12秒



 こんばんは、最近どうも電話のタイミングが悪い「愛に生きる男」であります。悪いのは主にかかってくる場合のタイミング。このところ後輩や友人などからの電話にことごとく出られていません。運転中だったり、昨日は後輩の結婚式の二次会中で気付かなかったり。そこで今朝方コールバックしようと思ったら、ブログに風邪との記載が。彼にはひとまずメールにしとこうかなと思います。


 「守りに入る」という言葉がある。意味は、基本的には字面通りと考えていいだろう。この言葉が用いられる場合、得てして否定的な意味合いが込められることが多いように感じられる。守りに入るために表面上の動態を低下させることから、全体の活性が下がり物事が停滞するイメージが連想され、いわば“受け身”との印象が生まれるからであろう。「守りに入るな、攻めろ」という表現が、それを端的に表していると言える。
 また一方で、「守るものができると人は強くなる」という表現もある。自らが依って立つもの、愛するものを守るために人は変わるという事を表したものである。自己と他者との関係性のなかで様々な経験をし、それを糧として成長する。結婚や出産を機に印象が変わるのはその最たる例だろう。
 「守る」という一つの言葉から、上記のようにまったく異なった印象の表現が作られていく。一見矛盾のようであるが、それぞれなりの真理を得たものであろう。つまりは「守る」に際して受け身となるのも強くなるのも、結局は自己でしかないのだ。積極的に守りの手を打つこともあれば、守るもの(=好況)を得て気を緩めることもある。その時にあって自分が如何に在るかが物事の本質であろう。
 自分に恥ずかしくない自分であるか、だ。  

2007年05月13日 19時39分14秒



愛というものは執着だ。
―――――井上靖
2007年05月22日 00時19分06秒



 こんばんは、ぼちぼちユニクロの「ドライメッシュ」シリーズの使用頻度が上がってきた「愛に生きる男」であります。これ、ほんっとに涼しいんですよ。肌着として使ってますが、汗も良く吸うしすぐ乾く、そして体感温度もかなり涼しく感じられます。バドの時やスーツの時なんか、もー手放せません。


 このHP、先日公開から満4年を経過し5年目に突入した。最初にこのHPを作った時は、よもや4年ももつとは思っていなかった。もとい、そもそも“方向性”らしきものが見あたらなかった。この点については現在も基本的には変わっていないが、改めてそれらを思うにつけ、やはり4年経過・5年目突入は私自身にとっても驚きであり、ご愛顧いただいている皆さんに感謝、感謝である。

 このHPのメインは何と言ってもこの日記だが、現在のこの体裁と比べると、開設当初のものからだいぶ変わっていることが分かる。「ただ作ってみた」という状態だったものから、少しずつ見易さなどに気を付けながらの小変更を繰り返してきた結果が現在である。思い出せるものでは「行間を設ける」「フォントを1サイズ下げる」「本文枠内に余白を設ける」などである。途中から「★」で区切るかたちで冒頭に導入文も加わってきているが、これを多用した「短信をいくつか」というカタチで展開したこともある。現在ではmixiでこのスタイルを継承しているので、こちらの日記で「短信」を使うことはないだろう。
 現在書いているこの日記で278本目だが、これまでに書いてきた日記は全て「カコニッキ」に集録されている。「10本書いたら、カコニッキを1シリーズ整理」というルールで進めており、現在は「その27」まで完成している形である。書いていることと言えばその時々に思っている事であったり、はたまたネタ的なものだったり様々。また感情の動きがかなり赤裸々に語られている日記もあり、その意味では自分を振り返るにも良い材料でもある。そういう思いからも、決して気張るつもりではないが、自分にとって重く辛いこともできるかぎり書き留めるようにしている。
 私にとって良い材料である事と対照的に、このHPを見てくれた人からの反響が大きかった日記も多くある。2003年10月4日更新の「遭」はその衝撃的展開に関係者間に激震が走った。また「葱」(2004年4月18日)や、タイトルが“漢字一文字”になる前の2003年5月18日、このHPが始まって3本目の日記である「なんとなく災難」なども非常に好評だった。「短信」のシリーズでは「椅」(2005年2月15日)は、最後に登場する画像が見る人の度肝を抜いたものである。
 これらの日記はすべて「カコニッキ」から見ることができるが、見ていただければ分かるが、正直ネタ帳と化している面があるのは否めない(汗)。しかし先述のように感情の動き、日々思い考えている事を書いている部分も多くあり、書き手の意向としても分量としてもこちらの方がメインとなっている(はず…)。

 他にも思い出深い、あるいは反響の大きかった日記はたくさんある。まさにいちいちい挙げていってはキリがないのだが、そういう日々の積み重ねの先にある現在が、この278本目の日記である。あっという間に過ぎた4年間だったが、しかし決して短くはなく、顧みるにこのHPのみに限定しても実り多き4年間だったと思う。ゆえに「カコニッキ」を読み込んでいったヒマな友人からは「読み応え」についての感想があり、自分でもそれなりの思いがある。その手応えが、自分の足跡であり経験値なんだろう。というわけで、278本目。  

2007年05月29日 22時58分32秒



忍耐の草は苦い。
だが最後には甘いやわらかい実を結ぶ。
―――――ジムロック
2007年06月07日 22時52分30秒



 少し更新間隔が空いてしまいました。こんばんは、愛車のデミ男のリコール対応について日程調整に四苦八苦している「愛に生きる男」であります。23日にはやや距離を出す予定があるので、何とかそれまでに済ませたいところです。


 このところ、体調がなかなか良い。膝のリハビリがきっかけで時間を見つけては走るようにしているのだが、それがいい具合に働いているのだろう。走ると当然相当量の汗をかき、それが身体全体の新陳代謝を促し、全体の調子も上向いていると考えられる。距離としては、多い時で週に20kmほど。運動部でアスリートを目指している訳ではないので、その点からするとなかなかの運動量と言える。走っている感覚としても一ヶ月前より確実に力強く、早く走れている手応えがあり、レベルアップを実感できている。少々気が早いが、冬の西風新都駅伝大会が待ち遠しい今日この頃である。
 このように最近は「走る」というのが習慣づいているが、これは私のこれまでの傾向からするとやや異例な事態である。もともと運動は好きでジョギングもよくしていたのだが、どちらかと言えばパワー系のトレーニングを好んで行う傾向があった。それにはこれまでの私の体格(体重)の変遷が大きく影響しており、詳述は避けるがとにかく「強くて大きい身体」を指向してカラダ作りをしてきたためである。おかげで大学院生時代の友人にはよく「院生じゃいうのに、あんたぁ鍛えるトコ間違うとるよ。もっとアタマ鍛えんさいや」と呆れられたものだ。
 最も肉体的に充実していたのは2000年の夏。この頃は自分でも呆れるぐらい身体を鍛え、勢い余って珍獣「なつし」を従えて松江までチャリで行ったものだ。しかし翌年には急性、しかも同時に慢性化した扁桃腺炎を患って半年あまりの療養を余儀なくされるなど、それまでに作ったカラダの貯金は全て使い切ってしまっていた。そこからは“隙間”の時間をみつけては「コンディション維持」を基本に筋トレ等を行ってきたが、それもこの2月の靭帯断裂により安静を余儀なくされた次第である。そこでいっちょカラダを造り変えてみようと思い立って、今に至るわけである。
 また現在の集中トレは、往々にしてある事だが、精神面での不安を打ち消すためでもある。精神の不調に肉体が引きずられる、あるいは逆に肉体の不調に精神が引きずられていくこともある。そうならないため、あるいは既に不調の気配が見え隠れしている精神を肉体で引っ張り上げるために現在のトレーニングを続けている面は確かにある。キッカケは何だっていいのだ。自分に甘さがあればそこは弱みとなるし、そこを武器に変える強さをもっと身に付けねばと思う今日この頃である。

 ああ、とりとめもない(苦笑)。  

2007年06月16日 00時42分42秒






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