愛に生きる男の過去日記
2007年1月26日『椎』〜2007年4月2日『剃』



 こんばんは、相変わらず本を読むのが苦手という研究者として致命的な欠陥を持っている「愛に生きる男」です。寝不足の影響が多少はあるとは思うんですが、さっきから同じ行を何回も読んでいます。


 日記にもしばしば登場する私のカメラ。昨年12月からこの1月上旬にかけてまで、2本連続でポジのフィルムを使っていた。一般的な白黒反転している「ネガ」と比較すると「極めて高精彩」と「露出誤差の許容範囲が極めて狭い=撮影に技術を要する」のが特徴となる。このうち後者は私のような完全手動のカメラの場合であって、今日ではやや特殊な状況と言える。
 現像から返ってきたフィルムを確認したところ、やはり凄い!私が使ったのはプロ仕様のポジフィルムの中でも「スタンダード」なものなのだが、それでも色彩の鮮やかさや髪の毛一本に至るまで描き出す描画力など、ネガばかり見てきた目には極めて鮮烈に映った。これは、病みつきになる、そう感じた。
 しかしまた、ネガに回帰。ポジの単価が高いという事もあるが、やはりネガの“気軽さ”は偉大。楽しみに写真を撮るには気軽に撮れるネガが良い。それに最近のネガフィルムの描画は相当レベルが高いので、普段使いで不満を感じることはまず無いだろう。ポジは“ここ一番”で。

 ちょっと考えてみて、“撮ってみたい”と思う被写体は結構ある。人物に限らず静態・動態いろいろと。
 以前あいちゃんが「人物の肌色の描画に特化」というポジフィルムをプレゼントしてくれたように、私の撮る写真のメインは人物。“目でピントをとる”“顔をファインダー中央に”などターゲットが捉えやすく撮りやすいというのもあるが、自分とその人物との関係や思い出などを込めてシャッターを切る。出来上がった写真を見つつ、そうした“背景”に想いを致す。こうしていると、やはり人物が一番楽しいと思うのだ。今のカメラを使い始めて間もない頃に撮ったあいあいのポートレートや去年の春にPYONを不意打ちで狙った一枚など、思い出深い写真は多い。
 人物以外で挙げるとすると、『木』が思い浮かぶ。撮るというより、木そのものが好きというのが大きいかもしれない。木の中でも色々あって、春の桜は勿論だが、銀杏は夏の青葉も秋の黄金色も良いし、杉やクスノキ、シイなどは大木が多い。そうした大木たちは、近寄って見上げるだけでも力を与えられる感覚になる。この秋には、私が“この辺りでは一番”と思っている大銀杏を見に行き、写真も撮った。直接見て、触れて感じるのが一番なのは当然だが、広角のレンズを使ってもなかなか1フレームに収まりきらない大木を、四苦八苦しながら撮るのも良いもの。銀杏も桜も、現像してなお楽しめるしね。花見に行って、一日でフィルム4本撮るなんて事もあったし(笑)。
 私がドライブ好きなのはよく知れた事だが、その道々に、存在は確認済みだが近寄ってじっくり見ることができていない大木が何本もある。その時は立ち寄る時間的余裕が無かったりなので、当然写真も撮れていない。何か機会を見つけて行きたいと思っているところでなのだが、そこで思いついたのが前回の日記で少しだけ触れた「おみくじ」。まだ今年になってひいていないのだが、中国山地のある神社に、相当デカいシイの木があるのを思い出したのだ。「おみくじ」ネタが使える時期のうちに、いっちょ行ってみようかなと思案中の今日この頃。  

2007年01月26日 21時59分20秒



 こんばんは、通常では考えられない進度で日本史を教えている「愛に生きる男」であります。担当しているクラスのひとつが9月末に「原始・古代」からスタート、本日14回目の講義を終えた時点で無事に治安維持法が成立いたしました(1925年)。来週の最終回は激動の昭和史をサクッと一気に駆け抜ける予定です。


 その今日、授業を始める前のお話。始業のチャイムが鳴り、生徒達が席につく。そこからいつも出席を取るのだが、今日は何人かの女生徒がザワついていた。そこで…







私「ん、そこどーしたー??」




きのたに「あ、いや、ほしのあき頑張ってるよねーって話してたんですよ」




私「ああ、ほしのあきねぇ。彼女たしかわしと同い年ぐらいよ」




き「30才とか…」




私「そうそう。わしもこないだ30になったよ。」




き「へー」




私「他では香取伸吾とか中田英寿、森山直太朗も同じじゃったかな。」




き「あーなるほど、そのぐらいなんですね。」




私「あと安室奈美恵も、同じか1コ下ぐらいじゃね。」




き「えっ、安室奈美恵ってそんな年な…」




私「誰が“そんな年”ならオイ。」




き「あっ、いやっ、なんでもないです(汗)」





 治安維持法成立の前史である。  

2007年02月01日 22時58分11秒



 おはようございます、マウスを買い換えたばかりの「愛に生きる男」であります。そのニューマウス、雑記帳にてご覧ください。
 前回の日記で「激動の昭和史を一気に駆け抜ける」と宣言しましたが、昨日の授業では勢い余って高度経済成長うっかり経験してしまいました。


 さて、




















バレンタインの予定とか、

まだ大丈夫ですよ。
 

2007年02月09日 10時23分02秒



苦悩を突き抜けて歓喜に至れ。
――――― ベートーベン
2007年02月16日 00時04分39秒



 こんばんは、すっかり松葉杖姿も板についてきた「愛に生きる男」であります。損傷した右膝内側靭帯ですが、やはり回復までは3週間ほどかかるもよう。既に経過した時間を考えても、あと10日ほどはおとなしくしていないとイカンようです。しかし何がどうって、集中講義で複数コマ立ちっぱなしで講義するのがなかなか辛かったりします(苦笑)。


 久しぶりに会ってみて思うのだが、やはり、危ない。いや、危ないという表現は恐らく妥当ではないのだろうが。平静を保とうと思っても色々と空回りをしてみたり、話したいことの半分も伝えられなかったり。話す言葉に耳を傾けながら、思いがけず意識が吸い込まれそうになるような感覚にとらわれる。
 しかし、時間が経ってもなおこういう感覚を抱くことができる自分を幸せに思う。断ち切ったはずの想いが動き出そうとするのも確かだが、それを理性において統率することが大事。一面においては極めて深刻な自己矛盾であるが、矛盾なくしては止揚も生まれない。更なる高みへと進むうえで必要な過程と言えるだろう。その必要性、必然性が、今日の私を形づくっており、それはこれからも続くのだろう。概して言って人の生とは、多かれ少なかれこうした側面を具有していると考えられる。するとその場合、自覚的自己の意識の下で抽象概念から具体化に近づける過程が核心に据わっていると言えるだろう。もっとも物事は常に多面的であり一面のみを指示して全体を漠論することはできないが、ある一面から物事を切り取り切り込むことは分析手法としては手堅いと言える。
 そしてこれらの論理も、恐らくは感情を押さえ込むための論理構築という側面を持つ。はっきり言って、時計をあの頃まで戻せたならと思うこともある。しかしその非可逆性こそが人に反省を要求し、成長へと促す力となる。戻るのではなく、進むのだ。過去に過度に耽美的になるのではなく、それを糧として前へ。そこに咲く花が見たことのない花か、あるいは以前にも出会った花か、それは分からなくていいだろう。確かなのは、大地を踏みしめるのは自分の足であるということ。

 今はちょっと靭帯傷めてるけども(笑)。  

2007年02月23日 20時59分43秒



 こんばんは、BBSに出会い系の書き込みが入り始めたので何らかの対策を考えなければと考え中の「愛に生きる男」であります。サイト開設からもうすぐ4年になりますが、これまで無かったのが珍しいぐらい。まずはイタチごっこの始まりですが、何かいい方法(乗り換えとか)ないかなぁと考え中です。


 カメラが壊れた



 …なんというか、うまく言い表せないが、尋常じゃないぐらいのショックを受けている。普通に使っていて、突然である。
 症状を簡単に言うとシャッターを切れないということなのだが、これがまた「メカ的には切れているが、肝心の幕が動かない」という状態である。私のカメラのシャッターは2枚の「幕」で構成されており、シャッターを切った瞬間に1枚目が走り(開き)始め、その後を2枚目が追いかけ(閉じ)始める。この2枚の幕の時間差がシャッター速度となるという仕組みである。「メカ的に切れる」とは、フィルムも遅れてシャッターのボタンも押せるということ。しかしその時、肝心の「幕」が全く動かないのだ。すなわち“開かない”ということなのでフィルムに光が届かず、像が写らなくなってしまっているのである。ここまでは確認したのだが、撮影に関しては一通り身につけているものの機械そのものには手を着けておらず、ここから先は自力のみでは手の施し様がない。
 なので早速、修理の段取りを始めた。暖冬なので桜の開花時期も慎重に見極めなければならないが、それよりもまず卒業式。後輩たちの晴れの姿を、何としてもあのカメラで納めてやりたい。そのために修理を急がなければならないのだ。いざとなればサブ機の一眼レフもあるのだが、普段使っていない上にピント合わせの方法が異なったりで、満足いく撮影ができるか一抹の不安を抱かざるを得ない。代替のプランをいくつか立てつつ、何とかうまい具合に間に合ってくれまいかと願う。さて、困ったものだ…。  

2007年03月05日 01時40分12秒



人間よ。
汝、微笑と涙との間の振り子よ。
――――― バイロン
2007年03月11日 22時31分12秒



 こんばんは、靭帯断裂からリハビリ中の「愛に生きる男」であります。
 しかし寒い。もう三月も中旬、春分の日も来週に迫っているというのに、県北では20センチ近い新たな積雪があるとか。桜の開花もずれてきたし、何なんでしょうね…。


 愛用の一眼レフが故障したのは以前にも書いたが、現在は修理上がりを待っている状態。完了予定まで約一週間、そこから宅配便で送られてくるので、後輩たちの卒業式を撮ってあげられるかは極めて微妙な状況である。

 そんな中、私の手元に新たにカメラが一台加わった。




YASHICA 35-ME


 まずこの「YASHICA」というメーカー名、聞き馴染みがない方も多いだろう。これはかつて日本に存在していたメーカーで、1980年代に京セラに吸収され消滅した名前である。かつては国内販売・輸出ともに首位を走っていた時期もある、言うなれば由緒正しいメーカーである。
 そしてこの「35-ME」という機種。例によって古いあまり新しくない。調べてみるとどうやら1973年製、愛用のSR-1ほどではないがやはり私よりも年長であった。このカメラは「レンジファインダー」という方式のカメラである。詳しいことは分からないが、構造的にミラーやプリズムが必要無いため一眼レフと比べコンパクトに収まる





 並べてあるのは携帯の充電器である。一眼レフに見られるレンズ上の三角形の突起が無く、この画像からもサイズが小さいことがお分かりいただけるだろう。
 で、この「35-ME」。ピント合わせはSR-1のようにレンズのピントリングを動かしていくのではなく基本的に目測である。目視で被写体までの距離をなんとなくはかり、それに合わせてレンズの距離計を合わせる。たぶん、コレでいいはず(汗)。何せまだよく理解しきれていないので説明が足りない部分もあるかもしれないが、基本的にはこういうことのはず。実際に今日さっそく、実験使い方を確認するためフィルム1本ほど撮ってみたが、うん、おおむね自分が想像していた通りの画ができている。当然マニュアルなど無くまだ未解明の部分が少なからずあるが、まずは“写真を撮る”という基本動作は大丈夫。

 このカメラには自動露出の機能がついているので、ボディのコンパクトさとあいまって、気軽に撮っていけるのではないかと考えている。メイン機がこちらに移ることはまず無いが、コンビで使い分けていけたら面白いと思う。既に“ある方法”での活用を検討中でもあるし、模索しながら楽しんでやっていこうと思う。どうぞ御贔屓に。 

2007年03月15日 20時20分21秒



 こんばんは、やや寝不足気味の「愛に生きる男」であります。気付いたらカーペットの上で寝てたので、眠りが浅かったんでしょう。
 昨日は本学の卒業式でしたが、懸案だったカメラの修理は間に合わず、やむなく姉のデジカメをかっぱらって借りて行きました。当初の修理完了予定は21日とのことだったので、順調にいっていればぼちぼち届くはず。卒業式は駄目でしたが、せめて桜の季節には間に合って欲しいものです。


 「雑記帳」にも書いているように、コンポが修理から帰ってきた。大学に入った頃に貯金をはたいて買った、とても思い入れの強い宝物のコンポである。ぶっちゃけ結構な値段がし、その分あってモノも良い。ゆえに年数が経ってもバリバリの現役である。
 このコンポは全体がシステムとして機能しているが、アンプ、カセットデッキ、CDデッキ、MDデッキ、チューナー、スピーカーがそれぞれ単体のオーディオ機器としても動作する。ゆえに故障の際でも該当するユニットのみを取り外せば、残った部分は引き続きシステム構成を維持できるのである。そのため今回の修理の間も、ひげ基地内の音響環境に特に支障は出なかった。
 さて、今回の修理で対象となったのはMDデッキカセットデッキ。どちらもカセット・MDを飲み込んだまま排出しないというのが該当症例である。なおMDはその状態でも再生が可能で、要は“MDの交換ができない”という状態だったが、カセットにいたっては再生はおろか駆動音すら聞こえないという状態。事態は極めて深刻と言える。修理から帰ってきて状況を確認すると、MDはディスクローディング部の部品の故障、カセットの方は症状が出た時に聞いていたテープがヨレて巻きついたことによるものだった。どちらも部品を交換し、整備・点検のうえ帰ってきた。こうした今も、快調に良い音を鳴らしている。ン万円かかったとはいえ、満足である。

 ところで、カセットデッキが故障した時に聴いていたテープ。新たに録音することこそ滅多になくなってはいるが、以前に録音したものを聴くため、私のコンポでは日常的に使用されていた。カセットテープが着々と市場から追い出されつつある今日においても。
 そしてこの、私が聴く「以前に録音したもの」の中でも圧倒的に再生回数が多いのが『とんねるずのオールナイトニッポン』。中学生の頃にタイマーで120分テープに録っており、そうしたテープが数十本あるのだ。ケースからランダムに取り出すとはいえ同じテープを何度も聴くことになるので、当然聞き覚えのあるものも少なくない。しかし数十本あるので、同じテープを再度聴く頃には前の話題が記憶から薄れているため、何度も何度も繰り返し聴けるのだ。当時は「ノリダー」「モジモジ君」など「みなさんのおかげです」が全盛の時代で、音楽面でも「情けねえ」で歌謡大賞受賞や紅白出場、「ガラガラへび」でミリオン達成など、いわば“ノリにノッている”という頃。私のテープでもその勢いある様がありありと窺え、いつも面白く聴いていた。
 今回の故障の原因は“テープの巻き付き”であったため、今となってはレアなこのテープが一本失われてしまった。特に変な操作をした訳でもなく再生中に突然起きたトラブルなので、次に再生した時にまた…とか考えてしまうとなかなか恐かったりもする。でもまあ、その時はまた修理に出すか。このコンポとはずっと付き合っていこうと思ってるし、部品がある限り修理してやろうと思う。

 しかし、修理結構高かったなぁ…(苦笑)。  

2007年03月24日 14時43分36秒



 こんばんは、ろざべすの影響で、NEWSの新曲のサビの部分の「♪みんないるか〜い」との歌詞にいねぇじゃん(2、3人)と突っ込むクセがついた「愛に生きる男」であります。


 先ほど日付が変わり、今は4月2日。ということは昨日は4月1日。





 不覚にも嘘をつき忘れてしまった…。





 過ぎてしまった事は仕方がない、今年の失敗を教訓に来年へと視線を移そう。新年度のスタートにふさわしいうっかり加減である。
 エイプリルフールにつく嘘の定番と言えば「彼女できました」の類だろう。だが、確かに話題としてはインパクトがあるが、mixiなどで「バトン」のしばりにも使われるほどで即座にネタとばれてしまう。「彼女ができた=ネタ」との定式化については、ここでは敢えて突っ込みは入れずにおく。いや、強がりなどでは決してない、断じて(苦)。数年前に使っていた「オレは神様だから風邪とかその辺の病気にはならない」というネタは友人たちからの「あーはいはい、神様神様。」という流し温かい合いの手が定着しつつある。さて、何かいい手はないものか…


 やっぱ「ヒゲ剃りました」かなぁ…(笑)。  

2007年04月02日 01時03分55秒






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