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愛に生きる男の過去日記
2006年7月5日『沖』〜2006年9月7日『確』



 こんばんは、後輩たちから「…どっから聞いたんスか(汗)??」と言われるような事を結構知ってるらしい「愛に生きる男」であります。“らしい”なところがポイントです。
 先日は友人である後輩たちと、彼らの同級生の墓参に行ってきました。もう丸4年が経つのかと思うと、時の流れの速さを実感します。それと同時に、いつまでも変わらないものもある事も改めて感じました。


焼増し欲しい人は教えてね。




 その墓参の翌日、私は飛行機の中に居た。「ひげ台風・国内遠征シリーズ2006」の第二弾、私としても初となる沖縄へと向かう飛行機である。今回の沖縄遠征の目的は『結婚式』。言わずと知れたことだが、私が式を挙げるのではない。なので世のお嬢様方、どうぞご遠慮なくお声をおかけください。当方ただいま大変お買い得となっております
 式を挙げるのは大学時代の親友。今春めでたくゴールインを果たし、ついては式を挙げるので是非来てくれとのこと。そこで大学の同期生らとともにいっちょ冷やかしに賑やかしに行ってやろうという話なのだ。
 それに加え、私事で恐縮だが、最近私の中でこれまでとは違う研究傾向がうまれており、今回はその関連でのフィールドワークも兼ねることにした。一泊二日と駆け足での訪問となるため、「深く突っ込む」よりは「感触を確かめる」ことに重きを置いて臨んだ沖縄遠征であった。

 那覇空港に降り立った瞬間から感じる空気感の違い。それは南国特有の強烈な、しかし嫌味のない暑さに由来するものだけではない。私が現在抱いている問題意識を必要以上に一般化はしないが、私が今回の遠征に際して「オキナワ」をキーワードのひとつとして念頭に掲げてきたことが大きく関係していると感じられた。
 フィールドワークはその「オキナワ」に関する事物を、本島南部を中心に見て回った。私自身もまだ資料などの整理が済んでいないので詳述は避けるが、どれもこれもが鮮烈であり、あらゆるものとのコントラストを極めて強く印象付けるものであった。

 さて本題の結婚式は16時より那覇市内のホテル。私は友人らと事前に申し合わせ、会場近くの別のホテルを予約していた。ある者は関空から、ある者は羽田から、またある者は前日に沖縄入りして観光を満喫していたので、このホテルで新郎以外の全員が集合することになっていたのである。今回我々が利用したホテル、これがなかなか良かった。館内・設備とも高級感・清潔感に溢れ、那覇モノレールの駅からも徒歩5分。一泊朝食付きで6000円を切る設定だったため大した期待はしていなかったが、それは良い意味で裏切られることとなったのである。
 チェックイン時間の15時にホテルに着くと、そこには久しぶりの顔ぶれがそろっていた。再会の挨拶もほどほどに済ませ、式に向けての支度のため各自部屋へと上がっていく。皆と同じく私も部屋へと上がって荷物を解き、まずはシャワーを。フィールドワークで尋常じゃない量の汗をかいたため、これは必須。こういう展開も予想した上で、ちゃんと着替えの枚数も用意していたのである。
 シャワー後クールダウンし、いよいよスーツに身を包む。そこで私は友人の「りゅうじ」と「だいき」にメールをした。その内容とはこちら。





















「ベルト2本持ってない(汗)???」






 ええ、やっちまいました(汗)。革靴を忘れんかっただけでもヨシとしてください(泣)。
 このSOSに対し、「りゅうじ」は一本しか持っていなかったが、「だいき」は私服用とスーツ用との2本を用意していたので早速私服用の1本を拝借。しかし悪いことにそれはジーンズなどに用いる幅広のものだったため、スーツのズボンのベルト通しには大き過ぎて断念。結局「ベルトなし」で式に臨み、夏の沖縄でスーツのジャケットを脱がないというドMプレイを敢行することとなった。実際は終始空調が効いていて、ジャケットを脱ぐこともなく無事に済んだのだが。
 さてメインイベントたる結婚式だが、久しぶりだが見慣れたニヤけ面の新郎がガラにもなく神妙な面持ち、この日が初対面となった新婦も本当に幸せそうで、良き日を迎えた二人を参席した全員が心から祝福していた。

 この日はそれから二次会、三次会へと進んで行き、遠征2日目にも思い出深い出来事は沢山あったのだが、それはまた次回ということで。何でかって?書き疲れたからに決まっとるじゃない(笑)。



 本当におめでとう。たまには広島遊びに来いよ。もちろん2人で。お前の事じゃけえ「だいじょーぶ絶対行くから!!」って無駄に力強く言うと思うけど、アテにならんしなあ(笑)。

2006年07月05日 22時30分02秒



 こんばんは、ようやく今春書き上げた博士論文の全文チェックを終わらせた「愛に生きる男」であります。しかし済んだのはあくまで「チェック」であり、これから「下半期は丸まる!思いっきり修正選手権大会」が控えております。頑張らないと(汗)。
 さて今回の更新は沖縄遠征の2日目の様子。「雑記帳」を見ながらだと話が分かりやすいかも?まーこれから書くんでどうなるか分かりませんが(笑)。


 さて沖縄遠征の2日目。この2日目に広島へと帰るのだが、那覇発広島行きの飛行機は18時15分離陸。空港には早めに着いておく必要があるとはいえ、17時頃まで丸々一日ほど空き時間があった。
 関空へと帰る「りゅうじ」のみ午後イチの便だったため半日となったが、広島は上記の通り、羽田も17時前の便であったため、事情は全員ほぼ同じ。しかし前日ないし前々日にそれぞれ観光した場所が全くもってバラバラだったため全員そろっての観光はできず、何組かに分かれることとなった。チェックアウト後ホテルのロビーで話し合った結果、私は「だいき」と共に「首里城→国際通りでお土産など買い物」というコースを取ることとした。

 ホテルから5分ほどの距離にあるモノレールの駅まで歩き、「一日乗車券」を購入。那覇のモノレールは始点・終点が「首里」と「那覇空港」であるため、両終点を行き交い、かつ途中で国際通り付近にも下車予定であったため、個別に買うよりは一日乗車券の方が安く済むのだ。改札を通ってロッカーに大きな荷物を預けて、いざ首里城方面への列車へと乗り込む。
 車窓から見る那覇の街は、確かに“日本”であるには違いないのだが、やはりどこかにこれまで見てきた街々とは違う空気感が漂っていた。街路の通り方などの都市計画的観点のみならず海・山などの地勢的観点からも、それは強く感じられた。

 首里城は数年前、大河ドラマの関係で修復が施されており、建築物は赤を基調とした鮮やかな塗装が施されていた。これが“実物”にどれほど忠実であるのかは分からないが、いわゆる「琉球瓦」と呼ばれる赤茶けた瓦との調和は見事。なかなか壮観な光景であった。現在公開されている他にも、首里城周辺では現在も種々の修復・復元工事が進められているようで、いつか全体が完成する日が来るのかと思うと心が躍る。
 首里城と資料館を一通り見終わった後、公園内のレストハウスでかき氷を食べつつ休憩をした。館内では椅子とテーブルが無料開放、また冷房も効いており、首里城周辺を強烈な日差しのなか歩き回った我々にとってはまさにパラダイスであった。が、ここで問題発生。それはズバリ、窓際に巨大なハチ発見(汗)。そりゃ空いてるワケだ(苦笑)。しばらく様子を窺ったが、少々飛び回るもののヤツは窓際付近から離れる様子はなく、我々は館内中央付近の窓から少し離れたあたりの席に着き、残された時間の計画などを話し合った。
 その結果「まず昼メシ、沖縄っぽい感じのやつ」が項目として挙げられた。私も「だいき」も前日沖縄入りしていたが、「だいき」は空港からホテルに直行、私はフィールドワークに出ていたため昼食はコンビニ程度。その後2人とも着替えて式に向かっていたため、三次会に行った居酒屋ぐらいでしか“らしい”ものは食べていない。しかも式・二次会を通じて結っ構飲んでいたため“回り”気味であり、更に数年ぶりで会う仲間たちのと他愛も無い話に花が咲き、注文などもかなりテキトー。そのため、こうした結論に至るのは半ば必然的なものだったのかもしれない。“らしい”ものを求めて首里城付近を適当に歩き回っていると、道端の小さな定食屋に郵便配達員が入っていくのが目に留まった。我々は迷うことなく、その店へと入っていった。

 昼食に「ソーキそば」を食べた後、一足先に国際通りへと向かう「だいき」と別れ、私は依然として首里城付近にいた。当然私も国際通り付近でお土産を買う予定にしていたのだが、その前にこの付近で済まさねばならない用件があったのである。それは出発前、父親から言われたある言葉によるものだった。それは






「沖縄行くんなら、顔見せて顔見てこいや」



 である。補足すると、父親の大学時代の友人が那覇に住んでいることは以前聞いたことがあった。父親だけでなく母親もその人をよく知っており、その人の奥さんも旧知の仲、つまり簡単に言うとやはり大学時代の友人同士、ということになるのだ。父親からは「首里城の近くに○○○ってのがあって、その真正面、ほんまに真ん前に家があるけえ絶対に迷わん」、さらに「行って名乗ったら絶対に歓迎されるけえ、沖縄行くんなら行ってこい」と言われていたのである。出発前は、フィールドワークの関係もあり日程が決まりきらないため「行けたらね」と話していたが、うまく首里城付近に行くことになってしまったなったため、父親から与えられた情報、本当に上に書いたのが全てなのだが、それだけを頼りにたずねて行くことにしたのである。
 父親から指示された目印は幸いにもガイドブックにも載っており、地図を見ながら歩を進める。ほどなくして現地に到着し、周囲にある家々の表札を確認する。


 あっさりと発見。


 父親の「絶対に迷わん」との言葉は誇張ではなく、これは迷わない、いや迷いようがない。そんな場所にあった。
 さて目的地に着いたはいいが、ふと考える。いかに両親が知り合いとはいえ、いきなり「息子です」と名乗って果たして本当に受け入れてもらえるのか。ましてや当然の如くアポ無し、不安は募る。恐る恐るドアホンを押す、が、返事が無い。繰り返しボタンを押し、玄関先で「ごめんくださーい」と呼び掛けること数回、やはり反応は無い。不在と判断しその旨を親にメールしようとしたその時、家の脇の方から物音が聞こえた。もしやと思い音の聞こえた方へ回ると、ベランダで男性が何やら作業をしていた。


私:「すみませーん、○○さんでしょうか?」

男性:(手を止めてこちらに向き直り)「…はい、そうですが」

私:「広島から来た××(名字)と申しますが…」

男性:「××…??息子さん??」

私:「はい、そうなんです」


 見ず知らずの男が尋ねてきて友人の名字を名乗る、しかも100%アポ無しで。いま考えると相当ムチャクチャな話だが、その辺の事情は家に通された時に「2人によく似ている」と爆笑されたあたりから十分に推し量ることができた。居間に通されてカルピス風の飲み物を飲みながら、広島のこと、沖縄のことなど色々と、気が付けば小一時間ほど話し込んでいた。その後の予定が決まっていたので残念ながらあまり長居はできなかったが、再会を期した後モノレールの駅まで送っていただいた。こうした出会いがあったことも、今回の沖縄遠征が印象深く残った理由のひとつだろう。

 その後は国際通りで再び「だいき」と合流してお土産を物色、その路上にて一足先に帰る「だいき」を見送った。その後しばらく街を探索してから私もお土産を購入、モノレールで空港へと向かった。途中の駅で朝預けた荷物をロッカーから出し、荷物を詰め直す。私が持参した鞄は既にいっぱいだったが、ここで式の時に引き出物用にと持たされた大きめの紙袋が大活躍。無事に梱包を済ませ、帰途に就いたのであった。

 振り返ってみると、一泊二日と駆け足での沖縄遠征だったが、「朝到着、夕方出発」という飛行機のスケジュールもあり、思ったよりは内容の濃いものとなったと思う。「もう一泊延ばせれば」と思うこともあったが、今回はその他の予定のため見送った。しかし沖縄へは、また必ず行くと心に決めた。今回は初日の数時間に限られたフィールドワークももっと深く掘り下げて行いたいと思うし、それは自分にとって行うに十分な意味を持ったことであるとの思いを強くした。あ、それとやっぱり、観光地としても魅力的だしね。問題は誰と行くか、なんだけども…(寂)。

2006年07月12日 21時27分44秒



ひとは教えるうちに学ぶ。
―――――セネカ
2006年07月19日 22時17分39秒



 こんばんは、先日「ひげ基地」の改装を行った際、勢い余って手が着けられない状態の寸前にまで陥ってしまった「愛に生きる男」であります。その後無事に復旧しておりますので、どうぞご安心を。
 先日後輩に「雑記帳って全然レス入ってないですけど、書いていいもんなんです?」と聞かれました。このHPでは「雑記帳」という扱いですが、もともとはブログとして提供されているもの、当然コメント欄もあります。ご自由にどんどん書いちゃってくださいお願いします






 皆さんご存知のように、私は普段から一眼レフを持ち歩いている。
 昨年の春に自宅の押入れから発見したもので、年齢は生産年次から推測しておよそ40歳ちょい。電池を全く使わない完全機械式動作、露出計すら付いていないマニュアルフォーカスのフィルム一眼レフである。当時のミノルタのラインナップから見て決して「高級機」ではないが、レンズも28mm(F3.5)、50mm(F1.4)、55mm(F1.8)、135mm(F3.5)とフルレンジ揃っており、フィルム固有の“アナログ”感あふれる描画とあいまって、コンパクト機(フィルム、デジタル問わず)とはひと味もふた味も違う絵(画)が楽しめる。はっきり言ってたまたま見付けたにすぎなかったのだが、この春までの一年間で1000枚以上撮影し、今ではすっかり「趣味は?」との問いに「写真と筋トレですね」と答えるようになってしまっている今日この頃である。

 使い始めて一年経って、このカメラに関する物もいろいろ増えてきた。カメラ本体とともにフラッシュも見付かったのだが、コレがまたイカツイ。一眼レフのフラッシュと言えばボディトップ部に“シャコンッ”とはめ込むものが一般的だが、露出計も付いていないこのカメラにその“シャコン”のレールが付いているワケがない。ボディ底面の、三脚への固定に使うホールからアームを伸ばし、その先にストロボを装着。ストロボ本体とボディをコードで繋ぎ、最後にストロボ本体のスイッチを入れるという、まあやたら手間がかかるってことだ。このカメラを使っていて「荷物が増える」と「手間がかかる」に関しては問題にしない事にしたが(苦笑)。


こんなかんじです。

 ストロボのスイッチを入れた瞬間「ピィーンッ」と音が鳴り始め、少し経つと「ピッ、ピッ、ピッ、ピッ…」という具合に変わる。これで本体への充電が完了し、晴れてフラッシュを使っての撮影が可能となるのだ。またこのフラッシュを使うときも、ガイドナンバーがどーのこーのあって露出を計算するのがいちいち面倒くさいのだが、とりあえずシャッターを切った瞬間に目も眩むほどの閃光炸裂する。
 また上に挙げた4本のレンズのうち、もともと我が家にあったのは3本。50mm(F1.4)のレンズは、一眼レフの使い方について一から手ほどきを受けたカメラ屋の専務がからいただいたもの。彼とは私が小学校に上がるかどうかという頃から知り合いで、いわば“馴染み”である。一般的にカメラと言えばフルオート、デジカメが本格普及したこのご時勢に、彼としてみれば「懐かしい」という様なカメラを私のような若い世代の者が持ち込み「使い方を教えてくれ」という事が、本当に嬉しかったのだという。彼自身もかつて、これと同マウント(レンズとボディとの接合形状)のカメラを持っていたのだが、ボディは既に失われているのでに使ってくれと記念の意味も込めて譲ってくれたのだ。経過年数の割に程度はかなりの良品、非常に使い勝手の良いレンズで本当に重宝している。
 そのほかにもレリーズ(写真館の人が使ったりする、シャッターを切る時に本体から延びてる妙なヒモ)やブロア、ルーペなども持っており、先日「雑記帳」にも載せたように念願のカメラバッグも買った。「あくまで趣味」との割り切りがあるため、気軽にできていてすごく楽しいカメラ生活である。
 ちなみに結構な枚数を撮ってきて感じたのだが、被写体としてはやっぱり人物がイイ。“主役”がはっきりするためピントや構図が考えやすいだけでなく、現像した後も見ていて楽しい、そう感じる。デジカメのように「事実上、撮影枚数制限なし」ではないため時々カメラを構えると「フィルムなのに、いいんですか?」と聞かれる事があるのだが、撮る方としては撮りたくて撮っているので、むしろこちらからお願いしたいくらいなのが本音である。どうぞ皆さん、これからも気軽に撮らせてくださいませ。

 さてそのカメラで撮ってきた写真たちの中の2枚が、このたび写真展に展示される。トップページにチラッと載せているこの2枚、この春までに撮った約1000枚の中でパッと思い浮かんだ、非常に思い出深い写真である。南区の県立産業会館(2号線沿い)にて、この土日に開催される。詳しくは写真展のHPを見ていただきたいが、私は土曜日に行く予定にしている。お時間ある方は一緒にどうですかな?

2006年07月25日 23時41分06秒



 こんばんは、今日の午後から突然謎の背筋痛に悩まされている「愛に生きる男」であります。
 先日「雑記帳」でもチョコッと触れたフィルムの件ですが、どうやらフジフイルムのものに落ち着きそうです。コダックのフィルムも思いのほか好感触だったんですが、如何せん手に入りにくいんです。同じ感度のフィルムでも「普及品」と「高品質」とがあるのが一般的ですが、先日試用したのはコダックのISO400のフィルムの中の「普及品」。露出感度や色彩描写に大きな問題はないのですが、以前使っていたコニカミノルタの「高品質」品と比べると、やや粒子が目立つ感じがしました。なのでコダックの「高品質」を使ってみたいと思ったのですが、普段の行動範囲内には常備している店が無いのです。試用が好感触だっただけに、残念です。
 ずっと使ってきたコニカミノルタの自然でやわらかい階調性が好きだったんですが、ご存知のように同社はカメラ事業から撤退。フジのフィルムは「ハイコントラスト」という印象があるのですが、使っていくうちに見慣れてくると思います。コダックのように手に入らないなんてことはまずないだろうし(苦笑)。


 昨日は1日。そう、フタバ図書の「レンタル半額デー」である。なので帰宅後近所のフタバに行ってアルバムを3枚ほど借りてきて、ひとまずPCにデータとして取り込んでおいた。Podで聴くために、この作業はどうしても欠かせないものなのだ。その結果、私のPC内(Tunes)に入っている楽曲がついに3000曲を超えた。たいしたモンだ、それにPCには取り込んでいない“CDのみ”の曲もまだ山ほどあるんだから(苦笑)。
 最近取り込んだ楽曲をアーティストごとに並べてみると、マーヴィン・ゲイ、ジャミロクワイ、Moby、つじあやの、東京スカパラダイスオーケストラ、U2、ケミストリー、Tahiti80、SPEECH、Thee Michelle Gun Elephant、スピッツ…見事にメチャクチャである。他にもジャズ物やメタル系、クラシックも入っていたりするんだから、雑多にも程があるってもんだろう(笑)。
 そんな楽曲たちをPod経由で聴いたりCDに焼いてコンポで聴いたりしているのだが、単純に聴く以外の楽しみ方もある。その最たるものがプレイリスト作りである。最近の音楽ソフトには同様の機能が完備されていると思うが、Tunesには「プレイリスト作成」という機能があり、アーティストやジャンルの枠をこえてユーザーの好みで曲目リスト(プレイリスト)を作れるのだ。これまでかなりの数のリストを作ったが、メインのシステムが「自作PC→ノートPC→ノートPCの再セットアップ」という変遷を辿っているのでその都度プレイリストは作り直している。しかしその中でも、システム変更を経ても残り続ける珠玉のプレイリストが存在する。
 そのひとつが、2004年4月に作成された『人恋しいCD』というヤツ。タイトルから既にキているのがお分かりいただけると思うが、当然こんなリスト作る時ってのは病んでる時が多い。自分でも「コイツ頭おかしいんじゃないんか?」と思ったり思わなかったりだが、聴いてみてかなりグッと来てしまうので延々と受け継がれている。また最近流行りの『バトン』をそのままリスト化したものや、友人たちとカラオケに行きそのとき歌った曲をリスト化したりと、まあ気ままに楽しんでいる。「ドライブ向け」みたいなベタなリストも作るしね。どれも結構イイ選曲になっており、時々思い出したように昔のリストに遡って聴いてみたりしている今日この頃。

 “結構イイ選曲”?

 そりゃそうだ、自分で選曲して自分で聴いてんだから。当たり前じゃろ(笑)。

 オチがついたので今回はこの辺で(笑)。

2006年08月02日 22時21分31秒



 こんばんは、今週は怒涛の週末になりそうな予感満点の「愛に生きる男」であります。「週末」っていうより、向こう一週間ぐらい結構予定がタイトな感じです。しかしそれでも、基本的にはこのところ充実した日々を送っている感触は得ているので、そのままこの勢いが維持できればと思います。


 さて、いよいよ今週末である。何がかというと、そう…














サマージャンボの抽選日である。




 先日雑記帳でもお知らせしたように、既にサマージャンボは購入済み。よって必然的に三億円の使い道を考えておかなければならないのだ。自分でも色々と考えてはみたものの、どうしても二億に届かないあたりで思考が止まってしまうあたりにつくづく貧乏が板についてきたと感じる今日この頃である。
 前々からの引継ぎ事項として挙げられているのがうり姉様にデジ一眼「ソニー α100」、つかさに「中型バイク」、ろざべすに「まんじゅう」。他にもちさとはリーガの一番上(=屋上)で高級ディナー、なげさには「モヒカン型ヘルメット」などがあり、忘れてならないのが大吟醸の“愛”への「うまい棒10万本」。三食ごとに1本ずつ食べても90年以上かかるという豪快さ、彼女には心行くまで満喫してもらいたいと思う。同じく大吟醸の“海樹”には、 何か日本酒やっとけば彼女も幸せだろう(笑)。
 上に挙げたのはあくまで「本人の希望」に沿ったカタチで決定したものだが、私からプレゼントとして何かを贈呈したいとも思ったりもする。真っ先に考えたのがトシ&亜希@那覇なのだが、“うっかり”に付ける薬は無いのでトシではなく亜希さんへ何か考えよう。JPへは「xxxなxxxxxx(自主規制)」が最適だろうな。negiには、“実用的”なトコが不本意だが「バリカン」で決まり。picoは自分でもサマージャンボ買ってるので今回はパスで(笑)。
 他には…少し前にmixiの日記にも書いたがmasuには「フェルナンド・トーレス」とカタカナで刺繍したサンフレのユニフォーム、愛(やま)ちゃんにはブローニーのフィルムか中古のMF一眼か…あ、いかん、これではマトモな物になってしまう(笑)。そのセンでいくとサのリックに「リカンベント」っていうのもアツイかも。彼としても多分“すげぇ興味はあるけど、自腹では絶対買わない”って感じだろうし(笑)。missyとgoshiにはエチルかメチル何かアルコールをあげよう。あみーごにはモノよりも、“幸せ”が必要だという事でいのこと見解が一致したところ。

 さぁ、他に何かあるかい?決戦は金曜日、何か希望があったらBBSとかにどうぞ。ぜひ笑わしてください(笑)。

2006年08月09日 22時59分26秒



 こんばんは、2、3日前から謎の腹痛に悩まされ続けている「愛に生きる男」であります。
 昨日は昼からnegi邸でバーベキューだったんですが、ぶっちゃけずっとシンドイ状態でした(汗)。ですがソコはソレ、とりあえず肉食っとけの勢いで夜まで突っ走りました。いやあ、ホント楽しい一日でした。今日さっそく写真の現像ができたんですが、うん、ナカナカ良いです。ゆっこまるのスゲェいい写真があったので、何とかして本人の手元に届けたいと思う今日この頃です。


 今日は短めに。



 今日無事にサインを済ませ、雇用契約を結びました。
 初出勤は10月。いろいろ経験値積もうと思います。




 よぅし、頑張ろう。
 ご報告でした。

2006年08月17日 22時29分11秒



 こんばんは、いまだにサマージャンボの当選確認をしていない「愛に生きる男」であります。
 そうこうしている間に「“買っちゃる”リスト」になみこ嬢「ラケットバッグ+うまい棒1万本」が加わりました。何故でしょう、うまい棒大人気です(笑)。顧問さんから提案のあった「クルーザー」は“ヤンマーかヤマハか”で議論が分かれそうです。ってかその前に船舶免許が要るだろ(笑)。


 前回の日記の冒頭で少しだけ触れたが、先日あくまで市内某所にあるnegi邸にてバーベキューをした。このnegiという男、大学の同級生なのだが、リンク先を見ていただければ分かるように先日めでたくゴールイン(拍手)。また同じく同期生のが南アフリカから一時帰国するとの事だったので、これまた同期のpicoが音頭をとり、色々ひっくるめてのバーベキュー開催となったのである。

 当日の私の予定はまず自宅を車で出発、正午に広島駅でを拾ったあと横川でゆっこまるともう一人(計2人)をピックアップ、その後pico邸で彼を拾ってnegi邸に向かう段取りになっていた。
 まず午前9時、私の携帯にから着信。


「ごめん、乗り遅れた(汗)」


 「…それは“寝過ごした”のマチガイじゃないのか?」との言葉が喉まで出かかったがグッとこらえ、彼の到着予想時間とnegi邸最寄り駅までの電車の時刻表とを突き合わせ、うまく合流への見通しを立てることができた。からの連絡が「午前9時」と比較的早い時間だったからこそ、こちらも柔軟に対応ができたというものである。
 その後も私ではない、誰か見知らぬ人の携帯に電話をかけた後のゆっこまるから電話があり、調整の結果彼女のピックアップ地点も横川から広島駅に変更、その旨をpicoに伝えると今度は残った2人の合流地点も変更となり、結局前日までの打ち合わせは事実上全て白紙というなかなかナイスなスタートとなった。ともあれ結果オーライ、皆が状況変化に機敏に対応した、という事である。
 途中さらに「まあちゃん」と合流、飲料や野菜類を購入してnegi邸へと向かう。

 picoの案内でnegi邸に着くと、久しぶりだが見慣れた顔が出迎えてくれた。が、再会の余韻も程々にそそくさと買い込んだ野菜等を降ろし、私は再びデミ男に乗り込んだ。予想より早く広島に着くことができたを、最寄の駅まで迎えに行くためである。いささか慌しくなってしまったが、まさに論語に言う「有朋自遠方来不亦楽乎(友、遠方より来る、また楽しからずや)」である。その間は準備とかしなくていいしその労を惜しむほど野暮ではない。聞けば今回の遅刻も、地元の長崎で友人と旧交を温めていたところつい時間が経つのを忘れていたとのこと。まさに、まさに。

 こうして無事に全員が集い、網の上には肉や野菜が次々とのせられ、あーでもないこーでもないと積もる話に花が咲く。今回のバーベキュー、肉は事前にnegiが用意していたのだが、コレがとにかく旨い(悦)。塩なりタレなり、みな好みの味付けで食べては口々に舌鼓を打っていた。そんな情景の中、網の上の様子を見ながらnegiが言う。




negi:「…これ、牛肉あるじゃんか」

一同:「うん」

negi:「これねぇ、上カルビ。うまいじゃろ」

一同:「おぉー」「上カルビ!!さすが!!」








negi:「……まだ中に『特上カルビ』があるけん」





一同:「ええーー!!!!」


 そんな楽しいバーベキューでした(悦)。

 皆がシエスタに没頭している間に、negiに連れられゆっこまるとで訪れた彼の農園を見て、ただでさえデカイ彼が更に一回り大きく見えた。負けてらんねぇなぁ(苦笑)。

2006年08月24日 00時05分07秒



 こんばんは、間近に迫ったNFL開幕が待ち遠しい「愛に生きる男」であります。先日masuにアメフト観戦のイロハを叩き込むための宴を催したのですが、早々に潰れてしまった彼がどこまでルールを覚えているか、はたまた既に開幕している欧州サッカーを差し置いてまで彼がNFLを観るのか、いずれにしても怪しいとこです。あみーご、スーパーボウルの日の予定はお互い極力クリアにしときましょう。


 先日mixiにも少し書いたのだが、このところ無性にドライブに行きたい衝動に駆られている。実際はなかなか思うに任せて時間なぞ取れないのだが。ご存知のように私はドライブが好きで、それこそ少しでも自由な時間ができたらヒョイと気軽に走りに出ていく方である。

 私が自分の車を手にしたのは96年の夏、JPから中古のシビックを譲ってもらった事に始まる。それから現在のデミ男に至るまで、シビックを含めて5台の車を乗り継いでいる。それぞれの車で相当の距離を走っており、各車それなりに思い出深い出来事をたくさん経験している。
 2001年1月から2004年5月まで乗っていた“ひげ車”ことプリメーラの時代は、本当にいろんな事を経験した。乗り換えた当初からそのパワーと足回りのバランス(=走り)の良さや、車全体の“まとまり”に感激したものだが、だからこそ運転がいっそう楽しかったというものだろう。運転していて、県境付近で野生の熊に遭ったのも、市内某所の山で巨大な鹿に遭ったのもこのプリメーラに乗っている時だった。また、同じく市内某所の山に登ったところ山頂でパンクという荒業をキメたのもプリメーラなら、冬に灯油を買いに行き、その灯油缶がトランク内で倒れておーごとになったのもプリメーラだった。
 またコイツ、真冬にパワーウィンドウが閉まらなくなったり、エンジンマウントが壊れたためエンジン始動と同時に車全体が物凄い振動に包まれたりもした。当時車の販売会社に勤めていた兄のところに車検に入れたところ、見積書を手に店内から現れた彼に開口一番『しっかしお前、悪い車に乗っとるねぇ(笑)』と言われた事もあった。まぁ彼の言った「悪い」とは車自体のことではなく「手を入れなければならない箇所が多い」という意味なので、車検でそれらを(ほぼ)全て直した後は見違えるほど、前にも増して素晴らしい状態になり、引き取り後そのまま勢い余ってその足で日本海へGOしたこともあった。そうそう、『ぎょうらく』がスタートしたのもこのプリメーラの時だったなぁ。うん、本当に色々経験した車だったなぁ。

 そのプリメーラと別れを告げることとなったのだが、きっかけはten、た○やんと讃岐にラーメンねぎを食べに行った帰りである(カコニッキ その8「葱」参照)。簡単に言うと火ィ噴く寸前までいったのだ。その後いろいろと点検したところ、修理は可能だが作業箇所がエンジン本体になるためコストも相当かかるとの診断が出た。またぎょうらくで一緒に走り回ったろざべす、つかさ、うり姉様からは『ボンネットの中のどっかで亀が挟まってる』との指摘も受け、車検が半年ほど残っていたが現在のデミ男を投入することとなったのである。
 正直なところ『今まで乗り継いだ5台の中でベストは?』と聞かれると文句無くこのプリメーラになるのだが、現在のデミ男も相当良い車である。小回りも利くし使い勝手も◎、これはこれで満足している。この車になって二年少し経過し、それなりに走行距離も重ねてきて、ようやくこの車なりの、ワタクシ的に満足いく運転ができ始めたところ。うまく“乗りこなせてきた”という感じだろうか。ハニーイエローという車体色もPopで良いしね。

 ああ、ドライブ行きてぇ…(苦笑)。

2006年08月31日 20時48分02秒








 こんばんは、先日「ひげ農園」の剪定を行った「愛に生きる男」であります。
 この「ひげ農園」とは「ひげ基地」のベランダで育てられているミントと馬汁バジルのことなのですが、とある事情によりこの春からは「水・肥料を積極的に与えない」という斬新な 育成方針を採用していました。が、状況変化により手を加えてやることにしたので、まずは手始めに余分な枝葉を落としてやった次第です。
 この画像は数日前のものですが、一週間も経たない今では、既にグングンと新しい葉が広がっています。この調子だとまた花も咲いて、ちゃんと種まで収穫できそうです。現在のミントもバジルも、そうやって収穫した種から育てたものなんですよ。


 特に理由は無いが、今夜はスコッチの気分。なので、「基地」の酒蔵から「ラフロイグ 10年」を取り出して、お気に入りのタンブラーでロック。アイラモルト特有のピートの香りが好きなんだよなぁ。部屋の明かりを落として、ゆっくりと味わう。そしてBGMは…













何故かBEGIN








 …まぁヨシとしよう。ビギンも好きだし。「恋しくて」「声のおまもりください」なんて大好きだもんなぁ。ウィスキーとの相性は、ここは不問としよう。

 こういう時は、よく昔の事を思い出す。“昔”というほど前でもない事も多いが、とにかく物思いに耽るシチュエーションのようだ。

 今この瞬間、このスコッチを飲みながら思い出したのはある女性の事。
 出会ってからもそれなりの時間が経つし、その間にはいろんな事があった。その中のある短い期間は、本当に濃度の高い日々だったと思う。彼女が私に残してくれたものに比して、私は彼女に如何程の事をしてあげられたのだろうか。“あげられた”との表現はいかにも独り善がりに聞こえるかもしれないが、私自身が「残してくれた」と感じている以上、このような表現になるのは致し方ない面はある。それと同時に、当時の自分を省みて、何と愚かしいことかと思うことも多い。時につれ、人は変わるもの。そう考えると、現在の自分からみて過去の自分を愚かしく思うという事は、それなりに成長の糧とすることができたとも言える。非常に御都合主義的かもしれないが、たとえ限定的であっても一面に於いて正鵠を射たものと考えられる。またこのように考えられるからこそ、現在でも彼女と“とてもいい関係”でいられているのかなとも思ってみたり。しかし、同時にやはり、そこには相応の時間が必要だったと思う。あくまで私の物語だが、そうした時間の経過が、否、彼女が私に残してくれたものと時間の経過とが、少なからず現在の私という個を形成するのに大きな鍵を握っていたと思う。 そしてこの事は、彼女というかけがえのない個別的経験から、全ての大切な友人たちとの関係へと敷衍される。そうして形作られていくものは、いささか抽象的ではあるが、しかし確実に実体を有するものとなる確信がある。
 よし、今日も元気だ。

2006年09月07日 01時22分00秒






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