愛に生きる男の過去日記
2006年5月7日『煩』〜2006年6月28日『想』



 こんばんは、身体表現サークルHP内の「夜景レストラン」が再開され、更新が楽しみな「愛に生きる男」であります。
 日記の体裁についてですが、いくつかプランがあるのですがどれも決め手に欠けます。なのでまずはこのスタイルで試してみようと思います。前回の日記には「見にくいかも」との声をいただいています。なのでひとまずそれを反映させたカタチです。あ、すこし行間を広げてみました。
 変更に関するポイントは「文字サイズ」「文字色」「行間の幅」の三点かと思います。ちなみに現在のサイズは「」、前回の日記が「」、日記を書き始めた当初は「」でした。
 ご意見やご感想、寄せてはいただけませんでしょうか(寂)。


 ご存知の方も多いと思うが現在引越しのための荷物の整理を進めているが、それに伴って「懐かしいもの」の類も数多く出土みつかっている。訂正したところで所詮「みつかった」扱いな点からも、普段の私の部屋の散らかり様が推し量られるところである(汗)。
 数量的に一番多い、あるいは数は多くないのかもしれないが気分的にそう感じてしまうのが論文関連の書類、その中でも不要になったノートやメモの類。コイツがもー散らかり放題で、いちいち手に取っては内容を確認、他の箇所で残してあるノート・メモ類と照合させて要・不要を判断する。中には学部生時代の講義のレジメなどもあり、「ようこんなんで発表するよなぁ」と苦笑することも。だいぶ片付けたハズなのだが、これが一向になくなる気配が見えない(汗)。まー根気強くやらんとね。色々思い切って捨てんといけんし。
 これに対し、数は同様に多いが整理が行き届いているのが「写真」。昨年の4月から一眼レフを使うようになりこの一年間だけで1000枚以上の写真を撮り、一眼レフを使い始める前にもコンパクトカメラで気ままに撮り続けてきていたので、枚数としては相当なモノがある。しかし現像に出すとカメラ店で「フィルム1本につき1冊」でアルバムがもらえ、基本的に全てそのアルバムに入れているため“ネガを超えて”写真がバラけて混乱する事はない。さらにアルバムの表紙の隅に「2005年4月 花見」など内容を表すタイトルを付け、同様の記名をネガを入れる袋にも行う。このタイトル同士を照合させると、写真とネガとも迷うことなく対応させることができる。


 
こんな感じです


 そしてもう一つ、けっこう厄介なのがCD。枚数も多いし、“聴き終わったものを元に戻す”という習慣が無いためかコンポの周囲などに溢れ返っている(汗)。
 整理を進めていくうちに「初めて買った洋楽CD」とか「友達に貰った一枚」など、それなりに思い入れのあるものにも出くわす。Bobby Caldwellの“Back To You”なんかもう15年近く聴き続けてるし、現在の定番中の定番はつじあやの。フライングキッズもよく聴いたなぁ。あ、STINGのアルバムがまだ貸しっぱなしだ。この数年はPCでオリジナルCDが作れるようになっているが、そうやって自分で作った多くのCDの中にも「これは、」という1枚があったり。そういうのに出くわす度に「ちょっと聴いてみよう」とコンポにセット。その時コンポから取り出したCDはその辺にポイと放置。また次のCDをみつけてはコンポに、取り出したCDは…色々考え直さんといけんね(笑)。

 そんなこんなで停滞しつつも、どうにかこうにか片付けを進めなければ。ギリギリになったら絶対にヤバイ(汗)。


 ちなみに、ただいまのBGMはTom Waits "Closing Time"。何年か前に水木@mejiriに教えてもらった一枚だが、久しぶりに聴くとやっぱりすごくイイ。このくらい、あるいはこれからの時間帯にゆっくり酒でも飲みながら聴くとハマるね。久しぶりにバーボンかな?

2006年05月07日 22時15分11秒



 こんばんは、一部で今春から生まれて初めて「愛ちゃん」と呼ばれ始めた「愛に生きる男」であります。周囲に本名での「愛ちゃん」が何人かいらっしゃるので、彼女たちの“愛らしさ”などを思うにつけ どちらが真の「愛ちゃん」なのかを思い知らせてやる 恐縮するばかりです。
 ただいま、例の如くすげーどーでもいい事コッソリと進めております。この忙しい時期に手間ひまかけて仕込んでおりますこの無駄計画、完成の暁にはどうぞお見逃し下さい(和田さんへのオマージュ)。


 先日、後輩から真顔で聞かれた。







「ホントのところ、インテリと体育会系、どっちなの?」







 えーと(悩)。どう答えりゃいいんだ(笑)。

 ご存知のようについ先日まで長々と学生生活をして、無事に博士号(国際学)も取得した。現在もその方向(研究職)での進路を模索中なので、この点からすると「インテリ」との括りに妥当性は高いと言える。
 一方で「体育会系」というのは如何。
 確かに運動は好きだし、「愛バド」も主催開催している。2000年夏にはなつし自転車で松江まで行ってみたり、1993年と1996年の2度にわたり「エキサイティング・サマー・九州シリーズ」を敢行してみたり、「趣味」の欄に「筋トレ」と書いてみたり、大学院時代には友人に「あんたぁ鍛えるとこ間違うとるよ、カラダじゃなしに頭を鍛えんさいや」と言われてみたり、「自分の好きなところは」との問いに「大胸筋と前腕屈筋群のハリ」と答えてみたり、と、コチラも思い当たる節が無いわけではない。
 学生時代にお世話になったある先生は、ある院生に向かって「オマエなぁ、院生に何がある思うとんねん。“時間”と“体力”やろ?血ヘド吐いてでも書くもん書けぇ!」との名言を残された(怯)。またこの方は別の院生に「先生って“体育会系インテリ”ですよね」と言われて「な?オレもそう思うねん(笑)」とおっしゃっていた(汗)。この「体育会系インテリ」との表現、まさに言いえて妙と思えるが、先生と同じ肩書きを名乗るのも恐縮してしまうのでパス(笑)。

 さーて、私はいったいドコに向かってるんだ(笑)?

2006年05月14日 22時33分29秒



 実は本日、




サイト開設三周年





 だったりします。「公開」は20日なんですけど、最初期版を作った(=一本目の日記を書いた)日が2003年5月16日なのです。お祝いのメッセージ、御祝儀、付け届け、愛の告白など随時受付中であります。どうぞご遠慮なく。

2006年05月16日 21時47分51秒



 先日「サイト開設三周年」とのお知らせをしましたが、本日、




サイト公開三周年






 であります。それを機会にというワケでは全くありませんが、HPを移転させました。この日記を見ている時点で移転については告知完了ってことになりますね。
 改めて新URLを御紹介いたしますと

http://ainiikiruotoko.yokinihakarae.com = 「愛に生きる男、良きに計らえ.com

 です。「www」が入らないのが注意点でしょうか。ある意味「ならでは」な人を食ったような新URL、リンクやお気に入り登録変更など良きに計らってください

 移転に際しまして、HPの内容についてリニューアルは一切ありません。一部微調整を行った箇所はありますが、「内容変更」というほどのものではないので。唯一「雑記帳」のみレンタル元を変えましたが、基本的位置付け(日記雑記帳の関係性)はそのままです。
 体裁上の大きな違いは、広告の表示形式でしょうか。以前は画面上部にバナーがでかでかと掲載されていましたが、今後は画面最下部に小さくテキスト表示されます。大きさ、位置ともに目立たず、ジャマにならないかなと思っとります。

 とりあえずそんな感じでございます。移転お祝いメッセージや愛の告白などお待ちしております。
 今後とも「愛に生きる男」のホームページをよろしくお願いします。

2006年05月20日 00時02分31秒



 こんばんは。関東遠征を明日に控え、今から準備に入ろうかという「愛に生きる男」であります。遠征中に日記を更新することはありませんが、その間は「雑記帳」を更新したりすると思います。
 そんな訳で遠征の準備しないといけないので、今日は短かめになります。そろそろちゃんと書かんといけんねぇ。書きたい事は結構あるんですが、今回みたいに時間がなかったり、PC開いた瞬間に全てを忘れてしまったりなんです。


 今日は朝から喉が痛い。しばから伝染された可能性が濃厚だが、とにかく痛い。
 喉に関しては5年前に病を患っており、その時は結局人生初の入院まで経験する羽目になってしまった。治療方針には手術薬物投与が提示されたが、私は後者を選択。つまり病巣を切除した訳ではなく抗生物質の大量投与により抑え込んでいるだけなので、「根本治療(患部の切除)」にはなっていない。そのため医者には「寝不足に注意、徹夜は厳禁」と言われて来た。要は疲労の蓄積などにより体力が低下して、身体の持つ免疫力・抵抗力が低下するのを防止するという事である。私としても二度とあんな目に遭うのはゴメンなので、一応気を付けてはいた。
 で、今回の喉の痛みである。特有の症状である「39度台後半の発熱」などが無いので、これでただちに「再発」という話ではない。しかしアデノイド群にハリも見られ、その点からするとイヤな感じであるのも確か。そもそも「疲労の蓄積を…」とか、言われても無理だし(汗)。その点からすると昨年後半からの追い込み期を(体力面で)乗り切れたのは自信にはなっている。が、今日においてもそんなにペースを緩めた訳ではないので、貯まりに貯まった疲労がここにきて…という考えが頭をよぎらないでもない。しかし5年前と同じ目に遭うのはマジでカンベンなので、体調・経過を十分にケアしつつ、今回の喉の痛みはやっぱりしばのせいって事にしとこう。よーし御仕置きだ(笑)。

2006年05月26日 22時36分21秒



 こんばんは、関東遠征を無事に乗り切り、次のたくらみへの期待が広がる「愛に生きる男」であります。
 関東方面には一昨年11月以来の一年半ぶりでしたが、それでもワタクシ的には方面として行ってる方なんじゃないかと思います。そして7月、ひげ台風、沖縄初上陸です。


 さて、その関東遠征。大活躍だった「雑記帳」をご覧いただければ、そのおおよその流れはお分かりいただけると思う。更新も「写メ→メールに添付→本文書いて送信=投稿完了」という非常に簡便な方法で、本当に気ままに更新できたのである。
 この「雑記帳」、本来「ブログ」として提供されているもので、私はそれを“雑記帳”として使っている。先ほどの簡単な更新方法(当然、PCからの書き込みや携帯ウェブからでも可能)に加えテンプレートも豊富に用意されており、その他の機能や詳細設定項目も充実している。「コメント」が「有難いご意見」だったり「トラックバック」が「虎カムバック」と表記されてたりと、この辺も私好み(笑)。これからブログを持とう(乗換えよう)と思っている方にはオススメである。

 少々話が脱線したが、関東遠征。概要は「雑記帳」に譲るとして、残りの部分に関しては「詩を詠む会」に於ける私の得意技「割愛」と特殊能力「忘却」を最大限に活用して叙述しようと思う。

 最初に言っておかなければならないのは、いいかテメエら、遊びに行ったんじゃねぇぞ。ある知り合いからシンポジウム&研究会のお誘いをいただき、それに参加するため今回の遠征となったのである。

 往路。広島空港を8時55分発のフライトだったため、当日の朝は少し早めに自宅を出ることにした。自宅から広島駅は電車でも一駅、バスでも10分ほどで着く距離にありそこから空港行きのリムジンバスに乗る手もあったが、ここはいつものようにデミ男に乗り込み出発。リムジンバスと比較して、車で行くとコスト面で不利なのは承知の上だが、時間に融通が利く点と復路での疲労度を考慮した結果である。前日から用意しておいたカレーパン(4個)をほおばりつつ、保温マグに入れたコーヒーを飲みながらのドライブとなった。
 土曜日の上に時間も早めだったため道路はおおむね空いており、何事もなく空港に到着。むしろすんなり行きすぎてしまい、若干時間を持て余す感もあった。
 そしてここで最初の関門、「ちゃんとチェックインできるか」という問題にブチ当たる。事前に旅行会社で航空券は入手していたのだが、これまで飛行機に乗る時はチェックイン等は同行者に全てまかせっきり。とにかく「勝手が分からない」という事なのだが、これは今回の遠征中事ある毎に私につきまとう問題であった。
 しかしそんな事は全くの杞憂で、JALカウンターのキレイなお姉さん(照)の手によりチェックインはあっさりと完了。売店を少し見て回ってからゲートをくぐり待合室、搭乗と、全てが順調に進んでいった。

 そしていよいよ離陸という段になるのだが、飛行機に関しては一つ懸念があった。ご存知の方もいるとは思うが、私は耳が悪い。生後間も無くから慢性の中耳炎を発症し、中学に上がる頃まで耳鼻科通いが続いていた。医者に「次にまた発症するようだったら、手術も視野に入れましょう」と言われてからはピタリと症状が出なくなったあたりがどうにもステキなのだが(笑)。こうした境遇が【耳=目=鼻】とを結ぶ器官群の発達に影響を及ぼしたらしく、鼻や耳については少々気を遣わなければならないのである。
 その最たるものが飛行機・新幹線に乗った際の耳鳴り。新幹線でトンネルを通過する時などに気圧の関係で聞こえが悪くなる、などのアレである。こういう場合、大部分の方は「耳抜き」をして状態を回復すると思うが、私は「耳抜き」ができない。やり方がわからないのではない、やっても「通らない」のだ。そのため新幹線に乗った後は、「片方の耳がよく聞こえない」という状況に頻繁に陥っている。この状態が数日〜一週間ほど続くのだから、困ったものである。
 更に状況が深刻なのが航空機の場合。速度・高低差は新幹線とは比べ物にならず、必然的に機内の気圧の変動幅も大きくなる。すると、その気圧変動が原因となり激しい頭痛に襲われるのだ。その程度はかつて日記で触れた(カコニッキその8「痛」)もののうち文句なしで「極甚」に相当する。そうなると観光はおろか姿勢を一定に保つのも困難な状況となるため、必然的に長距離の移動は航空機ではなく新幹線を利用する事が多くなっていた。
 それでも最近は気圧調整機能付き耳栓なるものも登場しており、数回使用したことがあるのだが、なるほど、頭痛がかなり軽減されるのだ。しかし1セットあたりの単価が(耳栓としては)高いうえに気密性が要求されるため“1フライトのみの使いきり”のため、あまり気軽に手は出せず、やはり新幹線の方が利用頻度は高くなっていた。

 そして今回、私は何故かその耳栓を買っていなかった(汗)

 …なんでだろう(悩)。とにかく直前までその事が頭からスッポリ抜け落ちていたらしく、気付いたのは前日の荷造り中であった。これまでに航空機で激しい頭痛に見舞われたのは、一番ひどかったのがニューヨークからの帰途であった。しかし今回は東京で移動距離も短く、必然的に高度も太平洋横断便と比べて低くなるはず。よって気圧変動も比較的小さいことが予想された。そのため今回のフライトでは、イチかバチか耳栓無しで臨むこととしたのである。この極めて身勝手な楽観的観測100%後付けであることに疑いの余地はない。まあいいじゃない、結果オーライ、無事に頭痛も出ずに済んだんだし(笑)。

 そんなこんなで無事に羽田空港に到着。ここから都内へは電車を使うが、京急で品川まで行き、そこでJRに乗り換えて新宿へと向かった。
 品川で無事に乗り換えを済ませ、山手線に揺られながら「雑記帳」への投稿メールを書いているとき、不意に携帯に着信があった。電話の主はJP。東京在住の彼は、今回の遠征中どこかで会えないかと思っていた人たちの中の一人であった。電車の中だったのでその旨を伝えていったん電話を切り、新宿駅に着いてからJPに電話をした。



私:「もしもし、おーすまんすまん。いま電車降りたよ。どした?」

JP:「おおすまんね。ところでちょい聞いてみるんじゃけど、今どこ?」

私:「えーとね、羽田から品川経由で、いま新宿に着いたとこよ。」

JP:「うわー、やっぱそうじゃったかー。」

私:「…んん?なになに、それはどういうコト??」

JP:「あのねぇ、わし今飛行機で広島着いたとこなんよ。」

私:「…えええええ????

JP:「さっき電話した時電車の中っての聞いて“ん?ヤツが電車移動って珍しい…ってありゃ!!そういや確か!!!!”って思い出したとこなんよ。」



 JPとしては長期の海外出張を目前にして、ふと思い立って地元の友人に会っておこうと急遽帰省したとの事。とりあえず広島に着いてから方々に連絡を入れていこうとしていたところ、今回のような事態となったのである。時間的に見て完全に行き違い。更にお互いの復路便の時間を確認したところ、これまた上空ですれ違う可能性大の便である事が発覚。もーグゥの音も出ません、笑うしかないです兄さん。

 その後は昼食を摂り、中央線に乗って吉祥寺。小雨降るなか成蹊大学へと向かい、今回の遠征目的である研究会に参加した。
 研究会は13時から。その夜ホテルに着いたのは22時を回ってからだったが、その間は非常に密度の濃い、充実した時間を過ごせたと思う。まずは一日目、上々である。

2006年06月02日 23時21分39秒



 こんばんは、今季初の球場観戦を目前に控え、現在降り続く雨が気になる「愛に生きる男」であります。
 球場はいつ以来かなぁ、去年5月に巨人戦、西武戦に行ったのは行ったんですが、それ以降は…行ってないだろうなぁ。9月とか、どう考えても行っとる場合じゃなかったし(汗)。当日の調子次第ですが、広島市民球場ライトスタンドの名物怒号と罵声スクワット応援、全力投球で行こうと思います。


 前回の流れからすると今回は「東京遠征・2日目」を書くのがスジだが、今回はカメラについて。実際数日前までは「2日目」について書くつもりでいたのだが、ちょっと他に書こうかなという話があったので。

 その話というのが、ソニーがデジタル一眼レフ市場に参入するというニュース。先日プレスリリースが行われ、そのブランドネーム「α(アルファ)」と正式に発表された。

 ご存知の方も多いと思うが、この「α」は以前コニカミノルタが展開させていたフィルム/デジタル一眼レフカメラのブランドであり、その根源は1985年に旧ミノルタが発表した世界初のオートフォーカス(AF)一眼レフに由来する。この「α」ブランドの下に数多くのカメラが作られ、その対応レンズは中古も含めて世界中で1600万本が流通していると言われている。言うなれば「由緒正しい」ブランドなのだ。2005年7月にコニカミノルタとソニーの間で「デジタル一眼レフの共同開発」について提携合意が為されたが、2006年1月にコニカミノルタはカメラ・フィルム事業の(ほぼ)全てからの撤退を発表、それと同時に「α」マウントシステムを含めたデジタル一眼レフ部門のソニーへの譲渡もアナウンスされた。


「マウントシステム」について。
「マウント」とは交換レンズとボディとの接合部分の形状を指します。
各カメラメーカーはそれぞれ独自のマウントを有しており、
カメラのメーカーが違えば必然的にマウントが異なるため、
原則的にレンズは流用できないことになります。
ミノルタが開発したAF一眼レフのマウントシステムが「α」という名称であり、
それがそのままAF一眼レフのブランド名となっていました。
それを今回、ソニーがブランド名、マウントシステムとも引き継いだ、という事です。


 この「α」ブランドをソニーが引き継いだ訳だが、これがどういう事か。「雑記帳」に書いたように、何故私がこの動向に注目していたのか。

 これまでもこの日記で触れてきたように、私は、今デジカメを買うなら「手ブレ補正」が必須であると考える。詳しくはカコニッキその20「亀」を参照したいただきたいのだが、要点のみを言うと写真を撮る際の“失敗”がもはや“手ブレ”以外に存在しにくくなっている、という考えである。
 実用化に至っている手ブレ防止技術として「高感度設定による高速シャッター撮影」と「光学式補正」がある。前者は文字通りISO感度を高く設定してシャッター速度を高速化し、ブレを防ぐというもの。後者はレンズユニットや撮影素子(CCDなど)を物理的に、瞬間的に動かしてブレを相殺するという技術である。前者はコンパクト、一眼レフともに浸透しているが、後者の光学式補正は少々事情が異なる。コンパクト系デジカメはボディとレンズが一体化した構造のため、高感度化にやや遅れながらも光学式補正も普及が進み始めている。しかしデジタル一眼レフの場合はレンズ交換式、つまり厳密に言えばボディとレンズは別物のため、各社の保有技術に従い補正の方法が異なっているのである。
 例えばキヤノンやニコンの場合、一眼レフの光学式補正はレンズ内部での補正を行っており、キヤノンは「IS」、ニコンは「VRU」という技術がそれに当たる。レンズは「○群×枚」というように何層(枚)ものレンズが組み合わさって一本の「レンズ」を構成しているが、その一枚一枚を動かすことによりブレを補正するのだ。つまり“ふつうのレンズ”と“補正レンズ”とでは構造が若干異なり、必然的に手ブレ補正レンズは高価(普通のものの2〜3倍)なものとなる。よって広角域から望遠まで補正レンズを揃えるとなるとおーごと、手ブレ補正効果の有用性を考えると価格問題は最大のネックと言える。
 これに対しコニカミノルタは、カメラのボディ内部で撮影素子を駆動させて補正を行う技術をデジタル一眼レフで初めて実用化、その技術「アンチシェイク」は2004年発売の「α−7デジタル」に搭載された。
 この「アンチシェイク」のスゴイ点とは、繰り返しになるが「ボディ内部で光学式補正を行う」点にある。つまり「αマウントのレンズであれば、新品・中古を問わず補正効果が得られる」のである。冒頭部分で「αレンズは1600万本」と述べたが、その(ほぼ)全てで補正効果が得られるのである。上記のレンズ内補正と比較すると、大きなアドバンテージとなると考えられ、個人的に「デジイチ買うならこれだ!」と決めていた。その考えはコニカミノルタのカメラ事業撤退により頓挫したのだが。

 ソニーの「α」継承はコニカミノルタの撤退により事業譲渡を受けたものだが、今回発表されたソニー「α100」にも「アンチシェイク」が搭載されている。つまり今回のソニーの「α」ブランド継承は1600万本のαレンズを埋没・骨董品化していく事態から救ったのみならず、その全てで手ブレ補正の恩恵に預かれる環境を再びもたらしたものと言えるのである。この点に於いて今回の「α」発表は画期的なものと言える。

 ただ、ここまで持ち上げておいて、不安も当然ある。
 ひとつは「ソニー」であること、フィルム時代から技術・ノウハウを積み重ねてきたいわゆる「カメラメーカー」ではない点である。ムービーカメラやコンパクト系デジカメでは定評があるソニーだが、一眼レフはそれらとは「全くの別物」と言われている。緻密な光学設計などの積み重ねがモノを言う分野であり、百花繚乱のコンパクト市場と比べて一眼レフ市場に新規参入が無いことがそれを物語っていると言える。
 また個人的には、あくまでコンパクト系での話だが、ソニー製デジカメの写りはどうも好きになれなかったりする。なんというか、「写真」ではなく「画像」という感じがするのだ。この「写真ではなく画像」との感想に関してはソニーに限った話ではなく、コンパクト系デジカメ一般に関して思う事なのだが。いや、決して「悪い」という話ではなくあくまで「好み」の問題なので気を悪くなさらないでいただきたい。
 この「画像」との点について、私自身フィルムの一眼レフを使っていて感じるのだが、やはりレンズの違いは大きい。使用するレンズによって、写り方がガラッと変わるのだ。つまりここが、「カメラ・光学機器メーカーとしての蓄積」という事になるのだろう。この点を考えると、搭載されるレンズが大きく限定されるコンパクト系の画質に関して不満を感じるのも仕方が無いとも言える。コンパクトにはコンパクトの良さがあり、そこは大いに認めるところである。
 ふたたび「光学機器メーカーとしての蓄積」という点に戻ると、この点があるからこそ、ソニーはコニカミノルタとの提携(ないし事業譲渡)により光学機器メーカーとしての技術・ノウハウを手にしたのであり、上記の「ソニーであること」との不安に対する処方箋ともなり得る。「α」のHPで事ある毎にコニカミノルタからの「継承」が強調されている点からも、ソニー自体のその点(技術ノウハウの問題、ユーザーの不安の問題)に関する意識の高さが窺える。ソニーとしても単なる「ソニー製デジ一眼」という以上の意気込みがあると言えるだろう。

 これまで述べたように今回発表された「α100」は、個人的に、相当付加価値の高いデジタル一眼レフであると思う。フォルムもコニカミノルタの「αー7デジタル」「α−Sweetデジタル」によく似ている。その点からも個人的に好感は持て、発表前の不安とは打って変わって今はワクワクする気持ちの方が強い(笑)。私はフィルム派なので今のところ購入の予定はないが、以前からうり姉様に『ジャンボ当たったら買うたる』と話していた。コニカミノルタの撤退で一度は立ち消えになった話だが、今回の発表により再び発動。彼女が「α」のデジカメを持っていた時、それはすなわち「その時」が来たという事である(笑)。

2006年06月08日 22時46分59秒



 こんばんは、「カープ、交流戦勝ち越しが消滅」の報に落胆を隠せない「愛に生きる男」であります。
 うーん、当然選手は頑張ってるのは分かるんだけども、なんであんなに勝てんかなぁ…仙台の方には悪いけど、創設2年目の楽天に負け越しとかあり得んじゃろ…(汗)。しかし今日からの札幌遠征からは抑えのベイルが一軍に合流との明るいニュースも。こっからの驚異のV字ターンに期待しましょう。


 前回の更新をカメラの話に充てたため、5月末の『東京遠征』の2日目の様子をまだ書いていない。しかし日にちが経ってしまったし大まかな概要は「雑記帳」に載せてあるので、ここはひとつうっかりスルーしてやろうとの考えも頭をよぎった。しかし他に書くことが無いのでせっかく行ったんだし、「雑記帳」の内容を補足するカタチで書き綴ってみようと思う。ちなみにこの「雑記帳」、現在日本代表仕様にしてあります。W杯終わったら別のに変えるけどね。

 さて遠征2日目の5月28日、前日からの喉の痛みも悪化することなく無事に目が覚めた。
 この日の予定は14時半からのトークセッション、チェックアウトは10時なので結構な空き時間があった。が、外はあいにくの雨模様。さてどうするか、と頭を悩ませる。ここで散々考えた挙句、結局いつもの「まー何とかなるか」に落着するのだが。ホテルから新宿駅まで徒歩でおよそ15分、途中にある都庁の展望台に寄った後、まずは駅前の賑わいを目指すこととした。

 幸いにも駅前に着く頃には雨も止み、歩道は人ごみでごった返していた。幾つもの路線が入り組んでいる新宿駅を何とか無事にクリアし、目的地である「新宿二丁目」方面へと歩みを進める。その時ふと目にとまったのが「靖国通り」との道路名標示。東京都内の土地勘は全く無い私でも、この「靖国」が「靖国神社」を指すことぐらいは容易に想像がついた。ご存知のように大きな問題の中心にある神社であるが、それらの諸問題に対して批判するにしても肯定するにしても、まずは実物を見てみなければ話にならない。書店を探して都内のポケットマップを購入、次いでカメラ店でインスタントカメラを買って地下鉄に乗った。
 見知らぬ土地での乗り換えにてこずりながらも、無事に靖国神社に到着。そこで目にした光景には「特殊」ないし「異様なもの」との感覚を抱いた。ここ(HP)を政治的論争の場としたくないので詳述は差し控えるが、確かに「個人の心情」としては許容され得る。が、しかし、靖国神社は「心情」の問題だけではないものが少なからず介在している場である。少なくとも、私の目にはそう映った。

 その後は新宿に戻りトークセッションに参加。帰りの飛行機の便の都合でトークセッションを中座して羽田へと向かい、そこで後輩の珍獣な○しと落ち合う。彼とはたかだか2ヶ月ぶりの再会だったが、何故だか本当に久しぶりな感じがした。
 6年前、大学に入学したての頃は「…コイツ大丈夫か(汗)?」と周囲の不安を一身に背負っていた彼も、今春大学院を修士修了する頃には部の後輩たちから慕われ、頼られる、本当に良い先輩になっていた。そんな思い出話を織り交ぜながらお互い近況報告をしつつ、旧交を温め、再会を期して別れを惜しんだのであった。

 こんな感じで、非常に密度の濃い二日間。用事があっての出張だったが、旅らしい旅は本当に久しぶりだった。実り多き時間と新たな出会いに感謝。

2006年06月16日 21時34分11秒



 黄色当然、赤勝負。こんばんは、安全運転が身上の「愛に生きる男」であります。いや、本当に安全運転ですってば(汗)。
 最近「Pod」が、時折おかしくなります。まだバッテリーはあるはずなのに「充電が不足しています」との表示が出る。で、しばらく放置すると電源が切れる、と。それさえ我慢すれば通常使用に支障は無いんでいいんですが。





愛車です。


 先日所用があり市内へ出たのだが、久しぶりに自転車を使った。以前は市内に出る時はいつも自転車で、バスなどを使うのは雨などごく限られた場合のみであった。それが昨冬あたりから、論文関連の心労に体調不良も続き、ここしばらくはバスを使う事が多くなっていた。心配されていた天気も何とか持ち堪えそうで、夕方にかけての風も心地よかったので、思い立って自転車で出たのである。
 自宅から八丁堀付近までは、自転車の場合およそ20分、「駅まで10分、駅から10分」の計算である。私の自転車は、やろうと思えばそれなりにスピードも出せるやつなのだが、ここはゆっくり目で「軽快・快適」に行こうと決めた。市内で人と会ったりするので往路で汗だくになってる場合じゃないのと、ギアやブレーキの具合を確かめながら感覚を取り戻そうという考えである。
 タイヤの空気をチェックしてからグローブ、裾留めを着けてペダルをこぎ出す。スタートは軽めのギアから始めるので、期待通りの軽やかさで前へと進む。一段ずつギアの「あたり」を確かめながら変速をするが、その間も「シャァーッ」と響くチェーンの音が心地良い。期待通り風も涼やかで、流れに乗って街を行く、という感覚である。結局この日は駅を通過した後、的場町界隈の中古カメラ店のショーケースで一眼レフ用のレンズを物色し、アリスガーデン地下の駐輪場へと向かった。

 ふと気付いたのだが、この自転車、もう結構な年数乗っている。記憶違いがなければ購入は1995年冬なので、もう10年ほど経っている計算になる。96年の夏にはこの自転車で「第2回エキサイティング・サマー・九州シリーズ」に行ったし、2000年夏には勢い余って松江まで行ってみたりと、この10年間で本当にいろんなトコに行ったなぁと感慨深くもなる。
 トラ部あたりが使っているような高性能のロードバイクと違い、この自転車はある程度の運動性能を確保した上で快適性を追求した「クロスバイク」という種類になる。最近ではその進化形と言える「フラットバー・ロード」というモデルも普及し始めており、色々と誘惑は尽きない。チネリ(Cinelli:イタリア)やルイガノ(Louis Ganeau:カナダ)、ラレー(Raleigh:イギリス)、ジャイアント(Giant:台湾)、マリン(Marin:アメリカ)といった有名メーカーからも各社の最新技術を注ぎ込んだ軽量・高性能なフラットバー・ロードが出ている。いま乗っているバイクに愛着はあるが、より快適な最新バイクにもかなりひかれる。これもジャンボが当たった時の項目に挙げとくか…

2006年06月24日 17時50分13秒



 最近あらためて感じること。
 自分には、「コイツはマジですげぇ」と同時に「コイツには絶対負けとれん」と思う仲間が大勢いる。まさに『得難い友人』たちだなと。

 よし、負けてらんねぇな(笑)。

2006年06月28日 23時24分31秒






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