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先週の土曜日(13日)から3日間、東京に行ってきた。更新にちょっと間隔が開いたのはご愛嬌。 今回の東京行きの目的は本学の同窓会に参加するためである。「広島の大学の同窓会が、なぜ東京で?」というのは誰もが疑問に思うところだろうが、 まず13日、寝たのが午前2時。これは普段通り、むしろ平生と比べると早い方とも言える。そして5時起床。着替えなどを済ませてから6時前に自宅を出発。東の空がほのかに明るみ始めているが、上空にははっきりとオリオン座が見える。冷たく済んだ空気が、まだ眠気が残るまぶたをしっかりと開かせてくれる。そうして駅へと向かい、芸備線の始発に乗って広島駅へ。広島を6時23分出発の新幹線に乗っていざ、東京へ。 如何に学割とは言え指定席を取る余裕などある筈も無く、「のぞみ」に3両だけある自由席に座ることに。時間が早いうえに広島始発の列車なので特に問題なく座れたのだが、思わぬところに盲点は潜んでいた。まぁその時気付かず後で分かるから「盲点」なのだが。とりあえず「足元が広いから」という理由で2号車の一番先頭の席に陣取った。それだけなら特に問題でもないのだが、新幹線が東へと向かうにつれ人は多くなる。この6時23分広島発ののぞみ、東京への到着時間が10時半となっており、私にとっては朝一番でも世間的には東京に遊びに行くのに絶好の便なのだ。広島を出て福山、岡山と人が増え、JRの東西が入れ替わる新大阪ではすっかりデッキにも人があふれていた。デッキに人があふれるということは、当然キャビンとデッキを隔てる自動ドア付近にも人が立つことになる。するとドアが閉まっては開き、しばらくすると閉まり、また開くという状態になるのである。これだけならまだ別段気にするほどでもないのだが、私の乗った2号車に連続する3号車は喫煙車両だったのである。初めに断っておくが、他人の喫煙習慣について云々 する気はないし、特に気にもしない。だが閉ざされた空間の中で受動的に取り込むタバコの煙の不快感は、喫煙者でも理解できる人は多いだろう。悪いことに今回、デッキで喫煙する人が居り、ドアが開閉する度に煙に巻かれることになった。「デッキでの喫煙もご遠慮ください」と車内放送も為されているのに、ちょっと閉口してしまう。 ともあれ予定通り10時半に東京駅着。一昨年の友人の結婚式、昨年の従妹の結婚式で上京した時にも思ったのだが、人の多さに辟易としてしまう。とともに、自分が骨の髄まで田舎者であることを痛感する。“おのぼりさん”丸出しで結構、我が道を行くのだ。 いざ東京駅に降り立ったものの、土地勘があるはずもなく、さてどうするか。そこで神奈川在住の後輩T2と、彼の家に止宿していたbooooooooommmと連絡を取り、とりあえず昼を一緒に食べることにした。T2の指示でハチ公付近で集合。3人で渋谷の街へと入って行き、マクドナルドで昼食に。私以外の二人は「おみやげを買う」や「服を見たい」などの目的があったため、そのまま3人でグルグルと歩き回る。私も適当に服などを物色していたのだが、ディスプレイを見て「お、いいじゃん」と思ったアイテムが商品棚に無いとかいう不可解な状況に疑問を抱きつつ、そんな事より自分の荷物が邪魔で仕方無かった。今回は「努めて軽量化」というテーマで荷物作りに臨み、まぁまぁコンパクトに収まったと思えていたのだが、さすがに長い時間持ち歩いているとそれなりに拾うも蓄積してくるわけで、たまらず途中でコインロッカーに預けることにした。 そうこうしている内に幹事の一人である可部国皇太子JPから「3時半に店に来い」との勅命が下ったため、指示通りに三人で「しれとこ」に向かう。店に入るとJP殿下や南澤・ジョニー・克彦、他にも後輩たちや在学中には絶対見たことあるけど絡んだ事はない人々など懐かしい面々が勢揃いで思わずグッとこらえるものがあった。 宴が始まるまでの仕事で最も大きなものが、渋谷駅からの参加者の誘導である。幹事によると参加予定が150名ということで、またその全てが必ずしも渋谷に土地勘がある訳でもない場合があるので、ココをしっかり押さえておかないと今回の同窓会自体が大混乱に陥り、渋谷駅周辺で広島弁の怒号や罵声が飛び交うといった非常事態が発生する恐れもある。そこでJP殿下が私に向いて曰く 「オマエ目立つし顔よう知られとるけぇ駅前で目印ね」 …まぁある程度予想が付いていたのでヨシ。そんなわけでジョニーや堀川氏ら数人とともに駅へと向かう。すると其処には既に荒井先生の姿があった。渋谷の駅前で『広島市立大学同窓会こちら』と書かれた紙を手にした集団とは、やはり中々奇妙な光景なようで、道行く人々から好奇の目で見られたのは言うまでもない。数人が集まったところで店へと誘導する方法を採ったのだが、途中事故で山手線が止まるというアクシデントもあり駅前への集合は鈍く、「このまま集まりが悪いままいくと、相当の赤字がでるかも…」という不安が駅前班をつつんだ。 既定の集合時間を過ぎてから駅前集合を切り上げ、ハラハラしながら店に戻ったところ、そこには席に入り切らんばかりの大集団ができあがっていた。すごい。圧巻の一語に尽きる。同期も、先輩も、後輩も、学部学科も入り交じって予想を上回る160名超の大宴会となった。 とにかく今回は、発起人というか関東の幹事連というか、当然本学学生課の存在も忘れてはいけないが、そうした人々に心から感謝したい。JP殿下なども頻りにお礼を言ってくれたが、言わば私は単なる「お手伝い」である。「誰か」が言い出さないとこういった会は開かれるべくもないし、そこに手を挙げた人たちがいるのなら、自分で力になれることがあるなら労を厭う理由も必要もない。むしろそういう「場」を提供してくれた事が本当にありがたかった。そういう意味からすると、多少語弊はあるかもしれないが、やはり幹事連あってこそ開くことが出来た同窓会だった。いやほんま、ありがとう。 上でも少し述べたが、今回の同窓会では堀川氏や神酒氏などのように『知ってはいたが話をしたことは無い』という人々と接する機会に恵まれた。常々思うのだが、『人の輪』ってスバラシイ。十人十色とは良く言ったもので、「色」が違う人たちが集まっていろんな「色」が混ざり合って、新たな彩りが生まれる。「内輪」でなく「外輪」のつながり、大事にしたいと改めて思わせてくれた同窓会だった。 |
2004年11月20日 11時13分55秒
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さて関東遠征二日目。何がどうってアナタ、二日酔いであります。長く周囲から『不沈艦』と言われてきたが、本っ当に久々に経験した。最後はいつだったろう、恐らく昨年末だと思う。 13日の行動は先日の日記にも書いた通りだが、2時就寝の5時起床、早朝から長時間の新幹線移動を経て渋谷入りし、寒風吹く中一時間ほど渋谷の駅前でHCUを叫び、5時過ぎから深夜2時までロクに食べないまま飲みっ放し。そりゃ酔って当たり前ってもんだろう。 13日の深夜2時ごろJP殿下らと別れ、まず渋谷駅の交番へと向かう。というのも「まぁ泊まるトコなんて何とかならぁ、」という軽いノリで東京入りし、事前に宿などを予約していなかったためである。えー、ワタクシ、渋谷を甘く見ておりました(汗)。交番に尋ねたところ即座に渋谷駅周辺のホテルマップを渡されたあたりから、普段からこの手の相談が多いことが推し量られる。そのマップを手に電話をかけまくったところ、悉く『あいにく今夜はどの部屋も…』との連打を浴びた末ようやく駅から歩いて10分ほどの場所にあるカプセルホテルに空室が見付かり、フラフラと向かう。ホテルに着くと残った力を振り絞って着替えを済ませ、指定されたカプセルへと這い入り、あっという間に意識を失った。 問題の14日朝、察して下さい(泣)。そう、敢えて付言するなら、寒風吹く見知らぬ土地に一人ぼっちで二日酔いって、すげェ切ないです。東京の人って、歩くの早いんですね(泣)。行く当ても無く渋谷駅周辺を徘徊し、結局この日は昼過ぎまで、喫茶店でコーヒーを飲みながら項垂れる有様だった。 コーヒーを数杯飲み干したところでようやくシャキッとし始め、あんまり喫茶店に長居をしても意味が無いので渋谷周辺を散歩してみることに。 その喫茶店が渋谷マークシティ内にあるのだが、とにかくこのマークシティという建物がまずデカい。渋谷駅とホテルとショッピングセンターとが一体となっており、その中を何処とも無く歩き回り、道玄坂上の出口から建物外へ。 ここからが本当に、アテのない散歩の始まりだった。道玄坂を登りきると首都高らしき高架橋が見え、そこから(たぶん)西方面に針路を取り歩き始める。途中で焼き物の店や60年代のミドルアンティークの家具を扱っている店などがあり、気の向くままに足を止めていった。また気が付くと左手には東大が見えていたり、松涛の高級住宅街をため息を付きながら歩き回ったりした。 住宅街である松涛では道行く人影も無いのは当然とも思えるが、そこから数分歩いて渋谷の街に近付くにつれ、途端にその数が激増する。東京が東京たる由縁、中心性の本質について少々考えさせられる散歩だった。これも一興。 この夜は後輩のあ○みとた○みと夕食を食べる約束をしていた。この夜の宿泊地は横須賀の親戚の家の予定だったのだが、品川から京急に乗って1時間弱を要する。身内とは言えあまり遅い時間に押しかけても迷惑になるのでそれなりの時間に都心を離れなければならない。ということで、待ち合わせ後は取って付けたようにマークシティのレストラン街へ。メインは会って話をすることなのだ、場所がどうこういうのは問題ではない。 思えば昨年の11月、従妹の結婚式で横浜入りした時もこの3人で会ったものだ。あれから1年、同じ顔ぶれが今度は渋谷で会して話をする。何てことは無いのだが、しかし何か感慨深いものがあった。今回も忙しい中時間を合わせてくれた二人とも、ありがとう。 |
2004年11月22日 13時43分35秒
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いかん。落ち着け。浮かれ上がるんじゃない。 これまでをしっかり反芻するんだ。 気持ちの昂ぶりと、理性とをフル稼働させないと。 大切に思うのなら、尚更だ。 |
2004年11月26日 22時43分11秒
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過去は私に教えた、 私がいちばん愛したものは 何よりも愛するに値したものだったと。 ―――――バイロン |
2004年11月27日 22時36分21秒
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こんばんは。昨日年末ジャンボを買いまして、再び気合の3億3点勝負に出た「愛に生きる男」であります。 今日は少し思いが募ってきたので、思うがままに日記を綴っていこうと思う。 現在執筆中の学位論文だが、この2ヶ月ほど、文字数は伸び悩んでいた。端的に言うと、停滞していたのである。論旨を展開させる上での、言うなれば「壁」に突き当たっていたのだ。 しかしこの2ヶ月の間、当然だが、何もしていなかったわけではない。手前味噌だが、この2ヶ月の研究状況を言い表すならば「研ぎ澄ます」という作業を延々と繰り返していた。手応えは感じ続けてきた2ヶ月だった。 そして今日、その「壁」に突破口を開くことができた。 その骨子を書き終えた瞬間、思わず拳を握り締めた。 そんな訳で、今日はご褒美にひげ基地にてバーボン。 「Old Grand Dad 114」、バーボンとしては最高度数の57度を誇る逸品。口当たりは華やか、しかしその後はやはり力強いバーボン然とする。こんな時にはスコッチを心行くまで味わったり、飲み慣れたウォッカにミントを浮かべてもいい。まどろむならダークラムのメロウな感じも素敵だ。しかし敢えて、硬く、荒々しいバーボン。 キング牧師ではないが、私には夢がある。私は欲張りなのでやりたいことは本当に沢山あって、それは大小様々だが、その中でいま強く意識される夢はふたつ。叶える為にはどうしたらいいのか、それを毎日考えている。 ふたつのうちひとつは、何を措いても自らが力を尽くすのみ。自分の人生は自分で切り拓く、当たり前だが、決意を持って臨む。 もうひとつは、やっぱり自分が精一杯活きることが第一だろうと思う。それで道が開けるなら、今の想いを大切にしていこうと思う。そうしないと私自身も彼女と向き合うことが出来ないだろうし。たとえ彼女に好きな人がいようとも、私がその人よりも強く輝きたいと思う。大切な人への大切な想いを大事にしたいと思う。当然、彼女のことも。彼女が今、何を、誰を思っているのかも。 そんな事を考えてみた。 こんな夢を語るには、やはりバーボン、しかもとびっきりのやつがいい。 よぅし、やってやろうじゃない。 まだまだ大きく、もっとイイ男になってみせますよ(笑)。 「夢は逃げない」と謳う友がいる。 逃げない夢の続き、そのお話は、また、いつかの機会に。 |
2004年12月1日 01時20分52秒
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こんばんは。年末ジャンボで気合の3億3点勝負に臨んだものの、『3億』の使い道を考えていたらどうしても1億付近で思考が止まる自分につくづく貧乏性が板に付いてるなぁと感慨深げな「愛に生きる男」であります。 既に数人と「当たったら買っちゃる」的な話をしておるワケでして、例えばなげさにはブランド系の服一式、うり姉様にはアクセサリー、ちさには肉またはリーガの 最近ちょっと、身辺がワヤであります(泣)。後輩のビショップ君から『不穏な動きアリ、クリスマス付近注意されたし』との報も入ってきております。 まあワヤとは言っても、自分自身は結構落ち着いてはいる。色々と気苦労も多いが(汗)。なる様になるしかないなぁ、と思う今日この頃。自分は自分のすべき事に全力を傾注するのみ。そうした後には、結果は後から付いてくると思う。先の事はわからないしね。 『真向勝負』ですが、また改めて御礼&感想の日記を書こうとは思っております。そんでもって現在、順調に質問が集まりつつあります(汗)。先日も『詩を詠む会』の某代表から質問メール(と、受け取っていいんスよね?)が届きました。 今回は既にフォーマットが出来上がっているので、前回よりは短い期間で公開できるとは思うのですが、如何せん、気分と論文次第なのでその辺はご了承を。 そんなわけで、『真向勝負』の第二幕、なし崩し的にスタートです(苦笑)。 ここ何回かの日記をみて『あー、病んでるなぁ』と思った方、 スルドイです。 と、今回は短信をいくつかお届けいたしました。 |
2004年12月3日 00時28分52秒
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泰然自若。 素の自分であらねば。 自分のためにも、自分以外の人のためにも。 その状態で自分が彼女を受け入れられ、 その状態の自分を彼女が受け入れられなければ、 結局は意味がない。 涙も流れてしまうが、 それも感情の素直な発露。 ちくしょう、 負けてたまるか。 |
2004年12月5日 02時8分12秒
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日曜日、Doとうり姉様との三人で釣りに行ってきた。向かった先は御馴染みの周防大島。 以前カコニッキに書いたが、最近ちょっと『釣り』が気になっていたのだが、先月先輩のSさんに、Doともども一度連れて行ってもらっていたのだ。 Sさん Sさんに教えてもらった釣り方は、私もDoも全くの初心者ということもあって非常にシンプル。ざっと書くと 1:竿を調達 リールなどもなくただ伸ばすだけの「のべ竿」を購入(1000円未満)。 2:竿の先に糸を結び、竿と同じ位の長さで切る 3:糸の先に針を付け、その上に重りの鉛玉をつける 4:針にエサをつける 5:チャポン。 といったもの。本当にコレだけである。 あまりのシンプルさに私もDoも最初は多少不安もあったものの、その時は2人とも小さいながらもチヌを釣り上げることができた。Sさんはメバルを3匹釣り、流石といった貫禄。そこで私とDoは、Sさんに感謝と敬意の念を込め、この釣り方を「迫式」と呼ぶことにした。 そして、昨日となる。Doと「大島に行ってやってみたいよねぇ」と話していたところ、以前から「釣り」の単語にイイ喰い付きを見せていたうり姉様が見事にヒット、三人での大島行きとなったのだ。 準備段階でSさんにも色々相談したのだが、どうも潮位には同じ満潮でも「大潮=最も高い」と「小潮=最も低い」が周期的に回っているらしく、釣りには前者が適しているとのこと。逆に後者ではあまり釣果は期待できないのでは、とのことだった。そして12月5日日曜日は見事に「小潮」。更に「昼よりは夜」とも教えてもらったのだが、「よう見えんし寒いのにエサ付けたりするんたいぎいじゃん」という理由で昼間に決行。というのもこの日の満潮予想時間が15時ごろだったため、結局三人の都合をあわせてこの日を選んだ時点でこういう時間帯になっていたのだ。すなわち今回は「シロウトが小潮の昼間にのべ竿一本だけ垂らしてどこまでいけるか」という熱いテーマの釣り会となったのだった。ただうり姉様だけは以前から家族と釣りに行っていたとのことで「うーん、でもよく分かんないんだよねー、」と言いつつも投げ竿を持参しての参加となった。 問題の釣果はというと、3人合計で15〜19センチのものが17匹。魚の種類もイソベラ、メバルなどの他にもハゲ、藻、足など様々。本人たちは大満足で、帰途で寄った釣具店の店長さんも「ほぼ初めての人でこの条件でこの釣果なら、立派なもんですよ」と言ってくれた。またうり姉様はこの釣具店で「のべ竿」を購入、次回は「迫式」での参加も濃厚な模様。 こんな感じの日曜日だったのだが、当初の予定では9時にうり姉様邸、半にDoを拾う予定だったのだが、8時前に目覚めた私を偏頭痛が襲った。そこで二人に時間を遅らせてもらうようお願いメールをし、全体的に予定より1時間弱押す形で進んだのだった。 昨日の偏頭痛は頭痛のほかにも「気分の悪さ」も伴うものだった。そういった「頭痛以外の諸症状」がソルマックを飲んだら回復したってのはどーゆーコトだ(汗)。 やっぱ二十歳そこそこの時と同じペースでは飲めんってことなんかな…(汗)。 |
2004年12月7日 00時44分18秒
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先日大学の近所の店に買い物に行ったのだが、その駐車場に車を停めて、ふと目線を上げると視界に入った光景がこれ。 何かが勢い余って突っ込んだんだろうなぁ。 先日スタートした「真向勝負・第二幕」だが、その作成方針を決めた。 「第一幕」では皆さんからの質問を期限を切って募集し、締め切り後に「回答」の作成を開始、全ての作業が終了した後に一斉に公開した。今回の「第二幕」では、『順次公開』という方式を採用しようと思う。読んで字の如く、質問が寄せられたら逐一その都度「回答」を作成し、順次追加していくというもの。 「第一幕」での最大の問題は質問締め切りから公開までに時間がかかりすぎたことである。入り口に「公開から二ヶ月…」と書いていることから募集開始は7月ごろと思われる。そして「カコニッキ・その3」で2003年8月31日に質問を締め切る旨の告知をしている。つまり質問募集期間は2ヶ月ほどであったということになる。その公開が2004年11月だった(汗)。 公開までに14ヶ月を有したことに関しては言い訳のしようも無いのだが、では『何故14ヶ月もかかってしまったのか』について考えてみた。 そこで今回は、再び悩んでしまわないように『順次公開』ということにした。一度公開の体裁を整えてやり、質問が寄せられたらその都度追加していく。最初の公開準備に多少の手間がかかるのは仕方が無いが、全部を一気にやろうとするとその作業量は中々のものがある。はっきり言って結構手間なのだ。その都度対応することで多少の煩雑さは予想されるが、莫大な量の作業に数時間を費やすという状況を回避する試みである。 この方法で新たに加える(加わる)要素に、『応酬の則時性』がある。具体的には「質問を受けた日付」と「回答を作成した日付」を明記するということである。「則時」というのは(たぶん)辞書に載っていないが、「その時に則した回答」という意味を込めて組み合わせてみた。「だからどうした」という話なのだが、公開までに膨大な時間を要した前回への反省を込めて。やや極端ではあるが。この「則時性」という点、上手く利用しすれば結構面白いことになるんじゃないかとも思う。回答内容が「真向勝負」であるのは大前提だし。とりあえずは既受の7件について回答を考えようと思う。この7件分の回答作成が終わった時点で、公開開始にする予定。どうぞ挙ってご参加を。 |
2004年12月14日 22時46分31秒
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愛pod、買っちゃいました。 |
2004年12月16日 23時29分06秒
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