愛に生きる男の過去日記
5月16日『できちゃったみたい(照)』〜6月5日『改』


できちゃったみたい(照)

 えー、思い付きです。

 今日は研究室に入らないと決めてたので朝は比較的ゆっくり目(8時起床)でスタート。焼いた食パンとコーヒーで朝食を済ませて軽くストレッチの後筋トレを(日課)。普段なら着替えて大学へと向かうのだが、今日は行かないので何となく手持ちぶたさん(ブゥ)なのでパソコンに向かってみる。





「ホームページでも作ってみるかなぁ」





ただコレだけの思いつきである。

 なにぶん思いつきなもんで「コンテンツはこんなのにして」だとか「レイアウトはフレームを採用して…」などの考えがあるはずもなく、オンラインウィザードに導かれるままに作ってみた結果がこれだ。

 まぁ作成者自身が「知ったこっちゃないページ」などと言ってしまう始末なのでそれほど精力的に更新される予定もなく、ある程度の構成が固まったら放置される可能性が高い。細々と生き永らえていくかひっそりと幕を降ろすか、風任せでいいんじゃないかな。まぁ気が向いたら足跡残していってくださいな。

2003年05月16日 16時59分18秒

更新した。

 第二回の日記だが、これでは更新履歴みたいなもんだ。HP開設初期にはよくある傾向だと思おう。
 今日の変更点は「掲示板の更新」。ジオシティーズ純正(?)のものから無料レンタルのものにしてみた。純正のままだと改行タグの入力やらが面倒なうえにレス機能もなかったもんで、その点からすると自分の希望はほぼ叶えられたのではないだろうか。
 しかしなんだかんだ言って、



自分のHPがリニューアルしてくのって楽しい(悦)




 そんな事を思うのでありました。

2003年05月17日 23時53分45秒

なんとなく災難

 パンクした。愛車の左フロントが。パンクといっても補修剤を使ったら直るような程度のものではなく、サイドウォールがバッサリと裂けてしまっているので問答無用で交換することになる。痛い、痛すぎる。
こんなかんじ

 そもそも事の発端は、新しい地図を買ったのと金曜日にチッソガスを封入したためその当りを確かめるためにちょっと走ってみようかと思い立ったところにある。
 以前から広島市北部にある某山について、

「このロケーション、標高、傾斜からすると、山頂からの展望はすごいはずだ」

 と目をつけていたのだ。下から見ると明らかに道はあるのだが以前から使っている地図では山頂に至る辺りはアバウトな表記となっており、それが今回の新しい地図ではちゃんと道として書かれていた。



「行くしかない…」



 心の声に背中を押され、いや、地図を買った理由の3割くらいはあの山への道を開拓することにあったと言っても過言ではないだろう。意気揚々と自宅を出発。チッソガス封入の効果は何となく感じられ、以前と比べて耳障りな音が減ったような気がする。走りは明らかに軽快になった感じだが、これは空気圧が以前は2.0だったところ2.4と結構高めに設定されたことも影響しているだろう。
 その山への上り口と思われる地点までは難なく着いたのだが、少し迷った。何故ならそこは、以前にもアタックを試みようとして「やっぱここは違うよなぁ…」と引き返した悪路だったからだ。しかし地図の道と思しきものはこれしかなく、どうやらこれで行くしかないようだ。
 いざ上り始めて困った。悪路も悪路、路面は砂利なんてものではなくもっと角々した大き目の石が未舗装の路上(つまり林道か?)を覆っているのだ。賢明なドライバーならここで引き返すのだろうが、心のアクセルは「行け、行け、」 と繰り返す。「入り口付近は未舗装でも上に進めば傾斜も出るし建造物もあることだし、きっと途中からは舗装されてるよ」などというあり得ない希望的(絶望的)観測を唯一の頼りに登山(!)を開始する。
 その道中は敢えて書かない。書くのが面倒くさくなってきたというのが一番の理由だということはさておき、やはり思い出すのも苦痛なのだ。たかだか数キロの道のりを上がるのに小一時間を要したと言えばその一端を感じ取ってもらえるかもしれない。
 その挙句の、パンクである。しかもパンク地点は山頂の一番奥。どうやら石にヒットしたらしく、それが高めに設定された空気圧とあいまって見事にタイヤが裂けたのだ。急ピッチでスペアタイヤへの交換を済ませるも場所は山頂。とにかくふもとまで下りなければならないが通常タイヤと比べてスペアタイヤは緊急用のため細くて空気圧は4.2という超高圧になっている。少しでも乱暴に進もうものなら一発でオシャカだ。ギアは1速固定、手計測で毎分50メートルという超低速で進み、2時間ほどかけて下山した。タイヤは無事。

 こんなことをしているから、最初は「昼前に出て、遅くても3時ごろには返れるでしょ」と踏んでいたものが帰宅してみたところ3時プレイボールのデーゲームが終盤大詰めの攻防を迎えるような時間になってしまったのだ。とにかく疲れた。うまいオチも見付からないが、数日経ってからまた考えよう。とりあえずはタイヤの手配だ…
2003年05月18日 23時33分37秒

見切り公開

 今日このページを幾人かに教えてみた。すると早速、数人からBBSにレスが入っていた。自分の周りにはこんなにも ヒマな 優しい、愛に溢れた人々がいるのかと思うと思わず胸が熱くなる。とりあえず、今後とも宜しくお願いいたします。

 前回の日記で書いた愛車のタイヤだが、月曜日に早速交換してきた。パンクしたのは1本だが気前良く4本総交換を敢行。不意の出費はツライのだが、日常的に乗るものなので妙に納得してしまう。二度とあの山には行かないと思ったかどうかは伏せておく。
 大学からの帰りに後輩のT越君を助手席に乗せ、山越えから可部方面に下りるルートでタイヤのフィーリングをチェックしたが、上々。ちなみにタイヤは FALKEN ZIEX ZE-512 の 195/60R14 。


 トップページにも書いてある通りこのページは「全天候型無志向性(馬並)HP」である。詳しい由来はこの日記やBBS、チャットで追々明らかにされることだろう。
 いまは主にリンクページの整備を進めている。他のコンテンツの構想もあるのだがそれらはもう少し内容を詰めてからカタチにしたい。そう考えるとリンクの整備などはすぐに着手できる。その過程で少しずつでもHTMLのタグを覚えたりしよう。
2003年05月21日 01時35分54秒

 
 20日深夜の公開から丸2日。思いのほか多くの人たちに訪問していただき、有難い限りだ。みなさんBBSに足跡を残していってくれており、それらを見たり、レスを付けたりと、管理人冥利に尽きると言っていいだろう。
 外の人々のサイトと比較などして、今後どの辺のコンテンツをいじっていこうかなと考え中。で、気付いた事がある。他サイトにあって本サイトにないもの。それは



・「このサイトについて」
・プロフィール




 いくつかサイトを見て回った結果、この2点(及びそれに準ずるもの)はほぼ全てのサイトに共通していると言える。これらは言わばウェブサイトの名刺代わり、つまり「ワタクシこういう者で、こういうサイトを運営してますー」みたいな事を披瀝する場だ。有象無象の様々なサイトが乱立するなか己の在所を明らかにすることも必要なのだろう。
 しかし「このサイトについて」と漠然と、しかし同時にかなりの具体性を具有したコトバに対しどういった内容で答えるべきか。このサイトを訪れてくれた人々の中にも

「ここは一体何のサイトなのか」

「どういった方向性なのか」

「管理人とは一体誰なのか」


 といった疑問点を抱いた人は少なからずいることだろう(但し、上記2つ目の疑問に関してはトップページ表記にあるように『本サイトは“無志向性”である』との言を以って応えたい)。これらの疑問は未だ解消されておらず、謎の管理人である“愛に生きる男”こと私



自身もこれらに真摯に応えていくべきではないかと感じ始めている。
 地道に更新、地味に更新。気長に見守ってやってください。
2003年05月23日 00時06分00秒

 先日、大島に行った。屋代島、いわゆる周防大島だ。コトの発端はBBSでもおなじみWinMax氏からの

「これから大島行きませんか?」

 とのメールからだった。
 もちろんこれが全文なわけではなく、そもそもはある書類を受け取りに行きたいのだという。インターネットを使い配布場所を調べたところ、その中に大島が含まれていたのだという。

「行くしかない…」

 数日前の日記でも見かけたこのフレーズだが、彼はこう思ったのだと言う。それを聞いて私は思った。



同じニオイがする… (・。・)



 その書類の配布場所を調べる時に、彼はネットを使って検索しリストをプリントアウトしている。そしてそのHPから、必要としている書類自体もダウンロード可能だったという。また他の配布場所として、より近い岩国もリストに記載されていた。なのに敢えて、大島へ。

 WinMax氏は愛車WinMax号をこよなく愛する男である。また彼はその愛車を駆り『中国地方の道の駅全制覇(1ヶ所漏れアリ)という伝説を持つ強者でもある。昨年までは相棒であるM田氏とともに、中国地方の野山を駆け回っていた。しかしそのM田氏も今年から神戸に移住(ひきこもり気味)し、Win氏が抱いた寂しさ、悲しみは想像に余りある。
 そんな二人のお気に入りの場所が、大島だった。大島とそこへ至る道程に心奪われた二人は、大学四年生だった昨年毎日のように走っていた。 広島から大島に行くとすると、ルート設定は山陽道を使い玖珂ICを経由するか、西広島バイパスから欽明路又は海沿いの国道を走り大島大橋へと至るのが一般的だろう。
 しかし彼らのルートは違っていた。島に行くというのに、まず山に向かう。そして途中で楽しんだ後、やはり山あいを縫うように走り最終的には欽明路に合流する。


 かく言う私自身も、愛車である努力号(通称ひげ車)と共に日々相当の走行距離を重ねている。車の運転にも、素人レベルではあるが下手ではないと思う程度の自信はある。大島へも何回となく訪れ、その都度“ピースフル”という表現がピッタリ当てはまる場景に心を癒したものだ。しかしこの半年ほど何かと忙しくしており行く機会恵まれなかったため、Win氏の誘いにありがたく同意した。


 中庭と駐車場でルートなどの打ち合わせを済ませ、2人で2台、すなわちWinMax号とひげ車で出発した。Win氏は沼田近辺で所用が2、3あったためひげ車がまず先行、Win車が後から来て目印となる廿日市市某所のコンビニで落ち合うこととした。
 コンビニを出てしばらくは快走路。“出てしばらく”と言わず、道中は総じて快適に走ることができる道だった。ちゃんと中央線も付き、緩やかなカーブとなだらかな起伏のある道を小気味良く抜けていった。ただ一区間を除いては。

 コンビニを出て3、40分ほど経ったであろうか。ある橋の上で先行するWinMax号がハザードを点けて路肩に車を停めたため、私もそれに倣った。
 「なかなかのもんでしょ」との言葉に促され、橋の上から辺りを眺める。橋のはるか下には川が流れ、そこから川上に目を向けると左右に聳え立つ山との見事な風景が飛び込んできた。
 「ほっほー…」 思わず息を飲む私を見て、にやりと微笑むWin氏。私は普段から持ち歩いているカメラを取り出しシャッターを切ったが、今度はそれに「あーしまった、今日カメラ持ってないやー」とオチまで付けてくれた。
 しばしの小休止の後「じゃあ次は○○のお店のとこでいったん停まりましょう」と話をつけ、お互いに愛車に乗り込む。キーをまわしWinMax号の発進を待っていると、Win氏が車から降り、小走りに駆け寄ってきた。「どしたの?」と訊ねる私に彼はこう告げた。

 「この先、見た目より結っ構、カーブがキツイですから。あのー、
事故せんように



 「…あぁ、了解。ありがと。」 そう告げると彼は車に戻り、ゆっくりと発進した。

 橋の継ぎ目の段差をゆっくりと越えた時、先行するWinMax号に異変が起きた。橋を過ぎて先に見える右カーブへとつながる“つなぎ”のわずかなストレートで、思いがけずWinMax号とひげ車の間に大きく差が開いた。その次の瞬間WinMax号はあっという間に右カーブをクリア、それに繋がるする左カーブへと飛び込んでいった。咄嗟にこちらもペースを上げ必死に後を追うも、WinMax号はそれまでとは明らかに違う音で咆哮を上げ、次々とカーブをクリアしていく。WinMax号が視界から消えるのにはさほど時間はかからなかった。
 WinMax号が見えなくなった後も、必死にペースを上げて追いつこうとするも、まったく話にならない。普段は割とスポーティで小気味良くカーブをクリアしていくひげ車も、この時ばかりは重く、苦しそうに感じられた。交換したばかりのタイヤでは接地の感触もつかみづらいということを差し引いても、全く話にならなかった。
 しばらく追いかけると、迂回帯にWinMax号が停車して待っていた。ひげ車が視界に入ったことを確認して再スタートを切り、ペースを落し気味で引っ張ってくれた。そして予定していた休憩ポイントに。

 「結構……、でしょ」 ペットボトルのお茶を一口飲み、彼はにこやかにこう言った。
 普段から彼は、涼しげな目元に柔らかな微笑を湛えているが、それが慈悲と冷徹を兼ね備えたアルカイック・スマイルであることをその時理解した。「もうこれで、(ニュータイヤの)皮むきはオッケーでしょ」と微笑みながらいう彼の姿に、一瞬の戦慄を覚えずにはいられなかった。

 そこからの道は、まさに軽快であった。オープンカーであるWinMax号に、その前を走るトラックの荷台からワラが飛んできたり、終始“ゆっくりとしたペース”で我々を先導する運送会社の車両などはあったが。


 こうして大島に到着し、Win氏も無事に書類をゲットした。


 しかしここで、ひとつ問題が持ち上がった。
 出発前の見当では、大島往復に要する時間は片道2時間半、往復すると5時間ほどだろうと読んでいた。我々が出発の決定をしたのが11時過ぎ、また前述の通りWin氏は所用を抱えており、結局彼が沼田を出たのは12時前であった。事実大島で書類を確保したのはドンピシャ2時半であった。つまりこの時点で帰着予定時刻は5時前後と推測される。

しかしWin氏は5時からバイトを入れていた。(・。・)

 そこで急を要する彼は玖珂ICから山陽道、私は下道で広島へと向かい、今後の参考にそれぞれのルートでの所用時間の比較をしようということにした。午後3時ほぼ同時に大島大橋をわたり、帰途につく。
 昼下がりから夕方にかけての2号線である。その交通量は容易に想像がつくだろう。岩国、栄橋、大竹、油ヶ面、宮島口、宮内…この他でもそれなりに渋滞ポイントが続き、結局大学に帰着したのは5時15分。WinMax号が五日市ICを降りたのが3時52分なので、差は1時間20分ほど。私はすべて2号線で帰ったが、山側の迂回路を選択するともう少しは早くなったのではないだろうかとも思う。それにしてもこの1時間の差が2850円の高速料金の代わりだ。この金額、高いのか安いのか。


 Win氏は目的としていた物を手に「高い書類になったなぁ」と呟いていた。いまさら本人が言わなくてもそんな事はわかり切ったことなのだが。何も大島まで行かなくとも岩国にもその書類は置いてあったし、ネットで配布場所を確認した時にダウンロードしておけば大学から動くことはなかった。にもかかわらず、高速料金という不要な出費をしてまで彼を大島へと駆り立てたものは一体なんなのか。それは私同様、心の声に導かれたのかもしれない。こんな愛すべき友人を持ったことを幸せに感じる今日この頃。またどこか行きたいものだ。
2003年05月25日 23時33分40秒

 1週間ぶりの日記更新になるが、何もネタが無くて更新してなかったのではない。このところ面倒くさくて相当に忙しく、文章に書き起こす手間が取れなかったのだ。また不定期に少しずつ、時々長編モノも交えながら書き足して行こうと思うので、気長に見守ってください。


 先ほど研究室のパソコンから、久しぶりにこのページのカウンターを確認した。というのも、自宅のPCにはセキュリティソフトを導入しているため、カウンタ表示に必要な信号を乱数化してしまい表示されないのだ。
 他人に告知し始めたのが5月20日の深夜だったので、実質21日からの10日間での計算になるが、その数463。すげぇ…。予想以上の訪問数に、またBBSのなかなかの賑わいにオマエら他にすることないのか自分は本当に良い友人たちに恵まれてるんだなぁと思うばかりである。
 これからもどうぞよろしくお願い致します。

 さてトップページでも告知してあるように、先日このHPに新たに『ゴシ日記』が追加された。HPを見たT越氏からの「ちょいオレのコーナーも作ってくださいよ!」というオファーに応えたもので、彼がその時思うことを一言ずつ書き留めていくようだ。学問とビールをこよなく愛するア○中の彼の日々のつぶやき、暇つぶしにでも覗いてやってください。

 ゴシなんぞの話はこれくらいにし、今日は一つ告知をしたいと思う。他のいろんなHPでもよく見られる“キリ番ゲット”イベントをやってみようかと思うのだ。現在のカウンタが463なので、さしあたり500番ゲットした人はBBSに清国(発作が…)申告してください。“愛に生きる男”から“愛のこもったナニかが贈られるかもしれません。
2003年05月31日 12時31分34秒

とりあえず緊急告知
 
 突っ込みが入る前にコレは告知しておかねばなるまい…


注意

『愛に生きる男』の“愛”の由来は


キャンプ仲間の
吉○愛ではない。


 ということです。誤解のない様にね。
 あ、いや、愛ちゃんのコトが嫌いとかそういうのでもないから(汗)。これも誤解の無いようにお願いします。なんだか墓穴を掘ったような気がする…
2003年06月01日 00時20分18秒

 この5月の連休前、ちょっとした農作業をした。今風に言えばガーデニングなのだが、農作業と言った方がなんとなく温もりがあって好きなのだ。

 以前から中プランターにミントを植え、育てていた。ミントを栽培したことがある人なら分かると思うが、ヤツは水さえやっていれば少々放ったらかしでも無節操に繁殖する。私の場合でも例外ではなく、中プランターでは余りにも窮屈になった。そのための株分けが今回の農作業のはじまりだった。

 作業に際し、用意したものは以下のとおり。購入は近所のホームセンターで。

購入したもの
・大プランター 3個
・底に敷く軽石 5リットル×2袋
・土 20リットル×2袋
・赤玉土(小粒) 10リットル×2袋
・バジルの種
・レモンバームの種

・植木鉢 1個(ベランダに転がっていた)
・新聞紙1日分(土を混ぜる時に敷物に)

 ざっとこんなところである。
 今年のGWは例年に無く晴天に恵まれ、絶好の農作業日和であった。
 まずは土を混ぜた。とにかく混ぜた、素手で。広げた新聞紙の上に土と赤玉土を適当な分量で開け、手の平をしっかりと使ってしっかりと混ぜ合わせた。ウクレレを弾くため右手の爪は長めにしているのだが、当然土が詰まってくる。右手だけでなく左手も土まみれに。しかしそのにおい、感触が懐かしい。たまらなく良いのだ。大げさな話ではなく、夢中になっていた。
 土を混ぜる時に、肥料も一緒に混合した。説明書に「土作りの際に混ぜ合わせると元肥としても使えます」との記述があったためだ。株分けという手術を経た後順調に根付き、再び元気に育ち始めてくれるようにと。

 土が大方準備できたところで、まずミントの株分けに入った。
 分け方は中プランターに繁殖していたものの半分を大プランターに移植。残った半分の3分の1(つまり全体の6分の1)を植木鉢に、3分の2(同6分の2)を中プランターに植えなおした。
 もともとは昨年、小さいプラスチック製の鉢に入った一株を祖母から分けてもらったものが始まりだった。それを途中で中プランターに植え替えていたのだ。それが今回取り出してみると、プランター一杯に根を張り巡らせ、また数箇所から新たに芽を出して茎を増やしていたことが分かった。これらを切り離すのも一苦労だったが何とか分離させ、それぞれ用意していた新たな棲家へと納めてやった。

 ミントがひと段落ついたところでバジル、レモンバームの種まきをした。したと言っても大プランター2つに土を十分に入れてやり、そこに種を適当にパラパラッとまいて、その上から薄く土をかぶせただけだ。
 「こんな適当にやってええもんなんかなぁ」と少々不安であったが、10日もすると2つとも元気に芽を出してくれた。バジルなどは芽が出て最初の小ぃーさな新芽が出た状態でも、既にバジルの香りをあたりに振りまいていた。

 今では毎朝起きて、朝食後にまずひげ農園のハーブたちに水をやるのが日課となっている。ミントは既にウォッカの供にしているし、バジルもそろそろ収穫して料理に使おうと思っている。収穫しても、生命力の強い彼らは2、3日で新たに葉が生える。問題はレモンバーム。何となく買って植え付けたものの、今ひとつ使い勝手が分からない。しかしレモン的な香りは堪能できているので、このまましばらくは観賞用でいいだろうなとも思う。いい活用法ご存知の方はBBSにてご一報を。



5月16日撮影
2003年06月02日 23時52分01秒

 今日は少し、自室をリニューアルしてみた。といってもそんなに大したものではないのだが。

 現在私のが使っている部屋は2つ。もともとの私の部屋と、3年前に結婚して家を出た兄が居た部屋である。

 もともとの部屋はかつてベランダであり、そこにサッシの壁を建てて屋根を乗せるカタチで部屋を増築したため天井が高く、独特の雰囲気をもっている。ある時は飲み会場(ウチでの呑みの場合、基本的に軟弱な酒はありません。必要な方は持参で。)として、ある時は麻雀会場、また勉強会の会場にも使われ ひげ基地 との愛称で友人知人たちに親しまれている。今回この“ひげ基地”に、ちょこっとだけ手を加えてみた。

 前述の通りひげ基地はかつてベランダだったため、通常の居室にはある根太(← 分からん奴は辞書ひけ 床板を受けるためにその下に横向きに入れられる受桟のようなもの)などが入っておらずベランダ床のコンクリートの上に床を作ってある。しかしいくら床を作ってあるからと言ってその下が直のコンクリートでは、冬などはさすがに冷える。エアコン付属の温度計で室外4℃・室内1℃という不可解な計測結果をマークしてしまう様なミステリアスな部屋になってしまっている。
 余談ながら天井は、これもサッシなのだが、天板として強化プラスチックが入りその下に手動開閉式のシャッターが閉まる仕組みになっている。そのためシャッターを天井全体の4分の1も開けておくと、部屋は燦燦と陽の光が降り注ぐのだ。冬の日中などは窓を閉め、天井を開けておくと自然と光と熱が篭りポカポカとしてくる。これは非常に良い。ただしあくまで冬のみ。 真夏の日中はさながら温室と化し、エアコン読みで室内40℃オーバも珍しい話ではない。一番タチが悪いのが「にわか雨」や「午後から下り坂」の予報を信じて窓を閉めて外出したものの一転終日快晴に恵まれた日の夕方の帰宅である。はっきり言って部屋に入りたくない。意を決して部屋に強行突入、窓を全開にすると同時に扇風機を浴びるしかない。まぁお客が来るときはエアコンを入れるのでご安心を。


 話が少々それた。
 さて今回のリニューアルを具体的に言うと、ホットカーペットの下に断熱マットを敷き込んだのだ。あの銀色のヤツだ。
 ヤツを入れることで、当然理由の一つには底冷え対策が含まれる。コレ、投入コストの割にかなり効果があるのだ。特にホットカーペットの場合は効率良くカーペットの発熱を表面部に伝えられるようになる。
 そして今ひとつの理由とは、居住性の向上である。画像を見てもらえれば分かるのだが、これまでホットカーペットは床にそのまま置いていた。そのため接地感が硬く、麻雀や飲み会など長時間座っているとお尻が痛くなってしまっていた。また私はヒザ&腰が悪いので、毎朝のベッドからの飛び降りが地味に辛かったりする。そこで今回アルミマットは8o厚の物を選択することにより、床面のクッション性を高めることにしたのだ。


 

これを


こうした


作業の結果、底冷え対策は当然まだ未確認だが居住性に関しては非常に向上したと思う。以前のひげ基地を知っている人なら、この違いを分かってもらえると思う。

 今回かかった費用だが、カーペットが1800o角だったので1800o×600oのマットを3枚購入。1枚498円(税抜)なので、まぁ1500円とちょっとといったところ。ちょっとした一工夫で意外と快適な生活が送れそうだ。
2003年06月05日 23時58分54秒



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